前書き
小生が十の頃、諸事情あって矢作町に引っ越す事に。
小学校からの帰りは元々住んでいた実家の本町で過ごし、両親が帰宅後、車で矢作に戻り夜を過ごすを繰り返す、少々奇妙な生活リズム。
学校迄、小学生の足で通うには僅かに骨が折れる距離。毎朝早めに起きては弟を連れ、大学病院へ向かう坂道を歩み、亥鼻キャンパスを抜け、見慣れた街並みへ。
昼から夕刻迄を学校と実家で過ごし、矢作には寝に帰るだけを繰り返す中、ほんの少し気になっていた処が。
それが現在の矢作弁天池公園。
当時、公園ではなく坂道に隣接し、朽ち果てた金網に囲まれた荒れ地に薄汚れた鳥居の建つ仄暗い池とも沼ともつかない水場。
小生、釣りを楽しむを趣味としており、幼少の頃は水辺を見付ける度、ここでは何が釣れるのか、どんな魚が棲んでいるのか、釣ってみたいと心躍っていたものの、何故か“その”池には一切の興味を抱かなかった。乃ち、釣りをしたいと思わなかった。
池を見るのは日に一度。
朝、登校中、弟を連れ、坂道を登る、それだけ。
そんなある日、恐らく休日だったと思う。
休日、普段は実家で過ごすものの、その日は矢作にいたのだろう。何故か一人でその坂道を歩き、不意に池のある荒れ地に踏み入る。
誰に聞いた訳でもなく、池の畔にある鳥居と祠が弁天様のものだと知ってはいたが、何故そんな“もの”が置いてあったのか露知らず、子供故の無邪気さ故か、或いは“なに”かに取り憑かれでもしたのか、どういう訳か小生は“それ”を持ち帰った。
打ち棄てられていたそれを盗ったと言う意識は皆目なく、拾い上げたと言う感覚が正しい。事実、小生が見付ける迄、それはそこに在り続けたのだから。
宝物として持ち帰ったそれは、短刀と勾玉。
凡そ刃渡り七寸の短刀所持は、銃砲刀剣類所持等取締法第二条で定義されるところの違法に当たるものの、少年法による刑事責任年齢に達していない為、お許し願いたい。
それは錆が酷く、刃文の判別は分からないものの、厚口と一口に表現するには足りぬ程の異常な重ねの分厚さ。当時、土産物の模造刀と言えば刀身が厚いのが常であったので、子供ながらに紛い物だろうと思った。
勾玉と言えば、苔生す白濁した代物。幼少の折、小綺麗な石を集める趣味があった為、乳白色に微かな半透明なその石を勾玉とは認識せず持ち帰った。
子供と言うものは実に飽きっぽく、宝物として見付け出したにも関わらず、あっと言う間に忘れ去った。
中学に上がると間もなく、父の実家の増改築が終わり、そちらに引っ越した。
それを見越し、通う中学校は隣りの学区であり、近隣ではあるものの新天地として真新しさがあった。
どう言う訳か、小学校の頃は旧市街地とその東側への造詣は深かったものの、駅方面は詳しくなかった。
海に釣りに行くと言っても祖父に車を出して貰っていたせいか、都川上流には自転車を漕いで何十分もかけて自力で行っていたにも関わらず、遙かに近い港への道は殆ど知らず、同様に水辺のない駅方面の地理には地元でありながら無頓着だった。
小生の通った中学は、主に二つの小学校からの生徒が集まっていた。
その一つが駅の北側、弁天町(現弁天)にある。もう一つの小学校は小生が通った小学校と歴史を共有する学び舎で、こちらはそれなりに知っていた。
実家が駅の南に面していた為、弁天に行く事は稀で、友人宅を訪れるくらいであった。
そう、目と鼻の先にある筈の千葉公園が弁天にある事さえ、実はよく分かっていなかった。
所属していた部活の大会が千葉公園体育館で開催された時、実はその場所を知っていた事に気付く。
幼少の頃、バスを使って両親や祖父母に連れられ、プロレスを見に来たり、遊びに来たりと千葉公園に訪れていた記憶が甦る。
何故、忘れていたのか、こんなにも近くにある場所を。
ふと気付く。
敷地に神社が二つある事を。
一つは千葉縣護国神社、もう一つが厳嶋神社。そして、後者を弁天様と呼ぶ。
突如閃き、家に帰り、あの宝物、既に忘れ去っていた今は只の瓦落多と成り果てた短刀と勾玉を探す。
思えば、母の実家に置いてきたと気付く。
自転車を漕ぎ、釣り道具を置いてある納屋を覗く。無造作に置かれた錆び付いた短刀と、古銭を入れた箱の中に仕舞い込んだ勾玉を手に取る。
トイレ用洗剤で短刀の刃と勾玉を磨く。丁度、技術・家庭科の授業で文鎮を作っていたので、布鑢やコンパウンドを持っていたのでそれを試す。
短刀の錆び付きは酷く、精々バリを落とす程度。勾玉の方は美しく磨き上げる事ができ、透明度が上がった。その材質が何なのか知る由もなかったが、水晶のような硝子質の透明度を得た。
次の土曜深夜、再び千葉公園を、人目を憚り厳嶋神社に訪れる。
石造りの一之鳥居を潜り、幾重にも続く木の鳥居を越える、何者かに呼び寄せられるように。
社殿の脇、弁天様と蛇の石が並ぶ。暗がりにも関わらず、刻まれた蛇の彫刻は月明かりに照らされ白々と浮き上がるかのよう。夢でも見ているのか、不意に鎌首を擡げる石蛇が口をかっ開くと、そこには楔にも似た溝が。
まるで、そうすることを知っていたかのように、小生は短刀を枘穴に突き立て、時計回りに捻り上げる。ぴたり、と嵌まった訳ではないが短刀は蛇の口の溝と概ね合致し、多少の圧を感じながらも回転し、やがて鈍いを音を立てて蛇石は縦に割れる。
割れた蛇石の中は空洞になっており、内には無数の巻物や書簡が入っていた。
どれも迚も古く、併し然程痛みはなく、簡素ではるものの、やけに神妙な様。
それにしても、どの紙にも書が認められてはいない。白紙。少なくとも、そう見えるだろう、これがなければ。
勾玉に穿たれた小さな穴から覗き見る。
仄かな月明かりが勾玉の結晶内を照らし、金青とも紫紺ともつかない微光が瞳を焦がし、無地の紙面に薄墨の書を映し出す。
聞いた事も習った覚えもない史書、いや、伝承の類か、兎も角、見知らぬ内容が事細かに記されている。
いっそ、夢であれば良いのだが、果たしてこれを誰かに伝えて良いものだろうか。
只、間違いなく読み知ったその書の中身は夢現。
伝えなければ夢幻。努々忘れぬよう、書き残そう。