第四話 里美の入社
西暦2032年4月―。
最終選考を通過し、倉橋里美は、めでたく花菱商事に就職した。
その一か月前ー。
入社が決定し、内示を受け取ったあと、携帯電話に入社式案内の着信メールがあった。
「入社式のお知らせ。4月1日。花菱商事本社ビル5階本会議室において入社式を執り行います。新入社員の皆様にあっては、スーツ着用の上、朝8時30分までに会議室入口にて受付を済ませ、着席するようお願いいたします。なお、赴任先については、入社式の最後に、辞令を発表します。以上 総務部」
そして、またしても倉橋家の夜ご飯の場面。
「はぁぁぁ、どこかなあ・・・。化粧品の販売員さんだったらいいなぁ・・・。」と、ちょっとうっとりしながらロールキャベツに箸を差したまま、手が止まっている里美。
「ばかねぇ・・・あんた。販売しているのは社員さんじゃないわよ。」と、成奈美。
「え!そうなの!?」
「そうよ。あれはあくまで嘱託の社員さんや、テナントの販売員さんよ。正社員は裏方に決まってるでしょ。」
「うそ!じゃあ、私のおしゃれライフはどうなるのよ!」
里美の皿のロールキャベツが二つに割れて、中のスープがあふれ出した。
「《お客様に喜ばれる仕事》がしたいんでしょ。なにも販売員じゃなくてもいいじゃない。裏方だからこそできることがあるでしょ。何か企画を考えるとか、テナントを支える仕事だって、結果的にお客様に喜んでもらうことにつながるでしょ。ねぇ、あなた。」
「う、うん・・・。そうだな・・・。別にデパートだけじゃなくて、どんな仕事でも、お客さんに喜んでもらうのが仕事だからな。」と、珍しくもっともらしいこととを言った弦太だったが、
「いやいや、そんなおっきな話じゃなくて、こう、なんてゆうのかな・・・、ダイレクトに喜びを感じるような、そんな仕事をしてみたいの!」と、里美は反発した。
「あんたねぇ・・・。浜松じゃ、天下の花菱商事に就職できたのよ。まったく贅沢なんだから・・・。」
確かに成奈美の意見は、正論であるところもあるのだが、すぐに結果が分かる仕事に就いてみたいのも理解できる。それでも若い分だけ、里美にとっては何事も経験になるはずであった。
マスカラを付けて、頬にきらきらのラメ化粧を施し、デザインセンスの高い制服に身を包んだ姿を頭から追い出して、スーツで汗をかきながら、各階を走り回る自分を想像してしまった里美であった。
入社式当日ー。
「ただいまより、花菱グループ、2032年度、入社式を執り行います。」
受付を済ませた里美は、入社式が執り行われる会議室に参列していた。
30名程度の入社式ではあるが、その中には見知ったような顔ぶれもあった。地元の人間が多く、同級生が多いので自然とそうなったわけだが、中学生の時に見たことのある人物もいた。
「それでは、始めにも当グループの代表である、花菱良之助代表に入社式の挨拶をお願いいたします。全員、ご起立願います。」
参列者全員が、ざっと立ち上がった。
すると壇上に、和服を来た老人があらわれた。
「新入社員の皆さん、本日はまことにおめでとうございます。よく、私たちのグループにいらしてくださいました。私は、花菱グループの代表を務めている花菱良之助というものです。以後、お見知りおきください。」
ここで全員、一礼。
「着席ください。」と司会が言うと、全員、ガサガサっと着席した。
「皆さん。特に浜松に長く暮されている方の中には、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、当花菱グループは、江戸時代の末期から明治維新の時代にかけて古着屋という地味な商売から身を起こし、地元の方に愛されて、今日まで商売を続けていくことができました。どんな時も市井の人達のニーズに応え、小さな努力を積み重ねてきたからこそ、地元に愛される企業になったと自負しております。よって、新入社員の皆様には、花菱グループの社員として、まずは、お客様に喜んでいただけることを目標とし、日々の研鑽にあたってもらいたいと思います。どんな小さなことからでも良いのです。いえ、むしろ、いつまでたっても小さなことに目を向けていただき、いつまでも一人一人のお客様に目を向けて、行動、実行してもらいたい。それが、きっと地域の幸せになり、また、あなた方にもその小さな幸せが巡ってくる事でしょう。今後は、皆さんとお会いできる機会は、そうそうないかもしれませんが、是非、この老いぼれの言葉を手向けと思い、これからの人生を歩んでください。皆さんの一人一人の努力と思いが、これからの花菱グループを支え、地域の礎となるでしょう。どうか、皆さんのこれからの人生に幸せが訪れることを祈っております。」
そう言うと、花菱代表は軽く頭を下げ、参列者一同が頭を下げた。
きっと、この花菱代表は、いままで挨拶で述べたようなことを続けてきたのだろう。派手さはないが、地道で確実性を持った商売方法なのかもしれない。
まあ、そうは言っても、新入社員である彼らにどこまでこの言葉を理解していたのか、かなり疑問だ。歳や経験を重ねないとわからないこともある。彼らには、目立たない、へんな爺さんが出てきて、校長先生のような話をしているなぁ。と思ったのが関の山だろう。
しかし、里美はキャプテンを務めていたこともあって、なんとなく分かる気がしていた。何しろ部活動は、毎日の小さな積み重ねがないと強くなれないしチームワークも生まれない。逆に、それができないときは、弱くなっていくものである。少しは自分の経験が生かせるかな。と思った。
その後は、一人ひとり名前と、赴任先の辞令が読み上げられた。
「青井輝美、総務部総務課。石田聡介、開発販売部。神田美羽、広報部。倉橋里美、人事部付き。名取みなみ、販売促進部。仁科倉之助 施設部設備課・・・・。」
(?)
(人事部付き?)
いったいどういうことだろうか。ほかの新入社員たちは、はっきりと配属先が決っているのに、「人事部」ではなく、「人事部付き」とは、いったいどういうことなのだろうかと不安に思った。