第三話 カールツァイス・イエナ
「しかし、星野館長もこんな骨董品を欲しがるなんて、物好きだねぇ・・・。」
施設課の鈴木卓也は、その高価な骨董品を、その価格と運送、設置費用ゆえに苦々しく口にした。
駅前で3月の竣工を控えた花菱デパートの屋上、プラネタリウム館に、その骨董品と言われた巨大な機械がバラバラになって運ばれていた。
関西の博物館で保管されていた投影機、『カールツァイス・イエナ社製投影機』である。
これだけの精密機械となると、運搬、据え付けだけでも相当な費用、労力、日数が掛かった。
まずは、その巨大な二つの球体と、その球体を保持できるフレームである。特に、その重たい球体にあっては、沢山のレンズ窓がついているため、レンズの破損はもちろんのこと、球体のゆがみ、ひずみを発生させないよう、運搬することに細心の注意が払われた。真夜中にデパート前の道路を封鎖し、大きなクレーンで屋上へ楊重した。
旧東ドイツからはるばる海を越えて日本にやってきたこの巨大で無骨な機械は、1960年に稼働を始めた。デジタル化が進む中で、現代でも十分に活躍できる機械だった。しかし、価値観の多様化が進み、デジタル機器とインターネットの発達により、「実際の星空」や「天体観測」に対する憧れが、少子化が進む中で薄れていっていた。そうした中、とあるデパートの屋上で活躍していたこの巨大精密機械は、そのデパートの解体とともに居場所を無くし、関西の博物館に保管されていたのだった。
ところがである。
月面開発、火星有人飛行の計画が進むにつれ、全世界的な宇宙ブームが巻き起こり、これに目を付けた花菱グループが、浜松のデパートの建て替えに合わせてプラネタリウムを併設することにしたのだった。そこで、この新しいプラネタリウムの館長として、星野が指名された。星野は、これぞ天命とばかりに、真っ先にこの無骨な投影機を設置することを申し出たのだった。
プラネタリウム館館長の星野は、特にこのアナログな光学式の機械が好きだった。自分が子供の頃に親しんだせいもあるが、手作りで作られた星空の映像に、人のやさしさを感じ取れるせいかもしれなかった。静かなモーター駆動音と、フレームが動く際に発生させる微かにかすれる音、デジタル製品よりも扱いにくいようで、ともすれば分かりやすく、温かみがあって身近に感じる存在が、なんとも心地よかった。まるで木造のメリーゴーランドや、ジェットコスター、小さな観覧車に通ずるようなやさしさなのかもしれない。
プラネタリウムとは不思議な空間と時間を持っている。
それは消して本物ではない作り物の世界でありながら、本物の星空を見たときの心地よさを疑似体験させてくれる。
子供は星を学び、大人は真っ暗で人工的な騒音のない世界に眠気を誘われた。
解説員、プラネタリアンの手作りの解説は、まるでおとぎ話を聞いているような心持ちで、日常空間とは切り離された世界であった。
作られたその不完全な星空は、人類にも手が届く光の点であるがゆえに、自分達のものになりそうな気がした。でも、本物は手に入らない。
だからこそ、いつまでも人の心に残り続け、〝手に入れられない魅力〟を感じるのかもしれなかった。
子供たちは、新しい『星の世界』を夢見た。
大人は、『星の世界』を体験することで日常を忘れ、心地よさを覚え、ある者は眠りについて夢を見た。
星野は、大人も子供も『星の世界』を共有できるプラネタリウムというこの世界が好きだった。
年を重ねたせいもあるかもしれない。
親しい人と、こうやって地上から眺めることのできる星空を、プラネタリウムという狭い空間で一緒に居られることが幸せなんだと思った。
月や火星に行ったところで、何が出来るわけでもない。確かに科学技術の発展や、国威発揚というプロパガンダには役立つかもしれない。
しかし、それで人類が幸せになれるのだろうかと、自分が重ねてきた短い一生を思うと、それは自分にとってあまり意味のないことのように感じられた。むしろ、地上で解決しなければならない問題が山積みである。貧富の格差はいつまでも埋まることはなく、紛争や過剰な競争、差別、人工増加に耐えられなくなりつつある食料問題、公にされていないが、気象操作の技術や、強大な細菌兵器開発の噂も聞こえている。
プラネタリウムの運営を手伝い、世間の人にプラネタリウムを楽しんでもらうことで、「青い鳥は、ここにいる。」と、世の中に伝えたいと思っていた。
「慎重に運んでくれよ。変えはきかないんだからな。」
星野館長は、おっかなびっくり運んでいる作業員たちに、優しく声をかけた。
「我々も、こんな機械を運ぶのは初めてでして・・・。巨大な精密機械というのも、なかなかない物件ですね。でも、まかしておいてください。」
夜中だというのに汗をかきながら、運搬している会社のチームリーダーのような作業員がそう言って星野に返事をした。
それから3週間後、その投影機は姿を現した。
組み立て終わった姿に星野は満足して「よし、やるぞ。」とつぶやいた。試運転も始めた。よく整備されていたらしく、大きな問題は見当たらない。星野は、配員された学芸員と、プラネタリウム専門家の大平、光学機械メーカーの社員の五藤と幾人かのスタッフと一緒に、開館に向けて調整を始めた。全体像を通じて、無骨な感じが否めないのではあるが、狂いやゆがみが見られない。いかにもドイツらしい堅牢な作りの機械と言えばそうなのかもしれない。
調整は順調に進んだ。特に大平と五藤は熱心に従事し、単なる仕事以上に調整に励んでいた。
この業界にあっては当たり前なのかもしれないが、ともかく二人ともプラネタリウムが好きなようであった。
「星野さん、本当に私は感無量なのです。これほどの名器を触らせてもらえるなんて。100年先でも動くように、きっちりやらせてもらいますから。」と、ロクに散髪へ行ってないぼさぼさ頭から汗をにじませながら球体を覗き込み、調整を続けていた。五藤にあっては、「全力を挙げて素晴らしい星空を再現させてみますよ。子供たちに最高の星空を見せてやります。」と、こちらも大変な意気込みであった。
《好きこそものの上手なれ。》とは、まさにこのこと。星野は、おそらく人生最後になるであろう自分の仕事に、これだけの人物と一緒に仕事できることを、大変幸運であったと満足するのであった。
かくして、カールツァイス・イエナ社製ユニバーサル23/3投影機は、星野の夢を乗せて復活した。フレームを動かして二つの大きな球体を上下させると、まるでお辞儀をしているようである。
西暦2032年、3月のことであった。