第一話 里美の面接(1)
「どうぞ、お入りください。」
インターハイを終え、バレー部を引退した倉橋里美は、就職面接に挑んでいた。
彼女にとっては、部活動というステージから、社会人として活躍するステージに入るわけだ。
部活動においては、やや粗暴さが目立った彼女であったが、社会人としてデビューしようとしている今、髪を整え、スーツを着てみれば、プロポーションも良く、きりりとした顔立ちは、さすがに全国で勝負をしてきただけあって、まだ未成熟ながらも、立ち姿にさえ美しさを感じられるのであった。
「失礼します。」
力が入り、少し甲高い声が混じったが、里美は力強くドアを開けた。
彼女は、地元では有名だった花菱グループを就職先として選んだ。
花菱グループは、1860年に現在の浜松市に、着物を扱う卸問屋として創業された。
創業当初は、わずかばかりの着物と古着を扱う質素な問屋であったが、しだいに食料品なども扱うようになり、ついには地場の総合商社のような企業となっていった。太平洋戦争終結後、戦後復興が進むにつれ、花菱グループの地位は益々大きくなり、ほどなく浜松駅前に松菱デパートを開業した。現在、このデパートは3度目の建て替え中であり、里美が入社できるとすれば、この新館に入るかもしれなかった。無論、花菱グループが里美のような優秀な生徒を拒もうはずもないが。
里美は、地元では有名なこのデパートに馴染みがあったし、部活動という活動している本人たちには縁のない、商売っ気のある場所に身を置いてかった。制服とジャージの世界から、鮮やかな服や服飾品、化粧品などの華やかな世界に触れてみたいとも思ったので、入社試験を受けることにした。
それに・・・。
それに、何かの縁を感じるのも、その理由だ。
もしかしたら、建設中の建物の前に張り出してあった完成想像図が、里美の目に映ったことがあったからもしれなかった。しかし、もし、里美が目を凝らしてその完成想像図を見ていたならば、考えが揺らいでいたかもしれなかった。
新館の屋上に鎮座している銀色の半球ドームに気づいたならば・・・。
「どうぞ、おかけになって。」
面接官は里美に対し、椅子に座るように勧めた。
「失礼します。」と言って、折り畳み椅子の前出て、すっと座る里美。
物を売る商売とは言え、接客業を生業とする企業である。
いくらインターネットが発達しようが、現実の人間と対面し、物を売り買いする〝楽しみ〟は、近未来でも消えていなかった。よって花菱グループでは、いまだに現実の対面式での面接が続けられている。まぁ、実際の話、会ってみなければ、その人とその成りが分からないこともある。その人が生み出す空気、わずかな息遣いや声色、表情、人間は敏感なものである。敏感でこそ、生き残ってきたと言えるのであるが。
「初めまして、私は、当花菱グループの採用を担当している面接官の八木と言います。」
〝八木〟と名乗る男は50代くらいだろうか。ちょっと暗い雰囲気があり、笑顔はない。ただ手元にある資料をろくに見もせず、里美の表情をおぼろげに見ている。どうやら顔の表情全体を見ているようだ。
しかし里美は動揺しない。立派なものである。
「倉橋里美と言います。本日は、よろしくお願いします。」
と言って、ぺこりと頭を下げた。
八木の横には、アシスタントとして女性事務員と若い男性が座っており、こちらは黙って頭を下げただけだった。女性事務員は資料を手渡し、整理したりする係なのだろう。若い男性社員は、面接の様子を観察、記録し、後で記憶の齟齬や、聞き間違いなどなかったか、印象はどうであったかを、もう一つの目線で見るために座っているようだった。
ところが、八木から一番遠い場所に、もう一人、目立たないように座っている初老の男性がいた。この男性も積極的に面接に関与しようという雰囲気ではなかったが、じっと、里美の履歴書を見つめていた。
「では、こちらから質問しますので、思ったことを素直に答えてくださいね。」
「はい。」
「まず簡単な自己紹介をお願いします。」
「倉橋里美、県立浜松商業高校、商業科、三年生です。高校生活は、バレー部の活動が中心で、キャプテンを務めました。夏のインターハイが終わり、キャプテンを後輩に譲り、就職活動中です。」
「生まれはこちらですか?」
「はい。生まれてからずっと浜松市に住んでいます。」
「花菱グループに対してどんな印象を持っていますか。」
「浜松では、とても馴染みのある会社と思っています。お祭りの提灯に御社の名前を良く見かけました。」
「そっか・・・、それは、ありがたいね。志望動機を教えてください。」
「はい。先ほども申し上げました通り、地元の浜松市では馴染みのある会社だと思ったこと、私も地元の方々にいろいろとお世話になりましたし、家族、友人のいる浜松市で働きたいと思ったからです。それから・・・。」
「どうぞ、続けて。」
「人と話をすることが好きなので、お客様と話をしながら仕事の出来る接客業をやってみたいと思ったからです。」
と、化粧品売り場に立ってマスカラを付け、ほほにちょっときらきらしたラメを塗って、おしゃれに化粧品を売り込む自分を、ちょっと想像しながら話した。
そうすると、八木の顔が少し明るくなって、
「そうだね。倉橋さんのような明るい人であれば、きっとお客様も喜んでくださるだろう。」
と、言った。今にも「内定出します!」と、言い寄るような雰囲気である。
女性事務員と若い男性社員も、少し顔が緩んでいるようだ。彼らも里美に入社してほしいと思っているようだ。
しかし、少し離れた場所で座っていた初老の男性は、少し様子が違っていた。なんだか里美の顔を懐かしむように穏やかな顔で見つめている。
里美は奇妙に感じたが、何しろ初対面の、しかも初老の男性の考えることなど思いもつかず、気にはなったものの、深く考えないようにした。
すると、その男性が、顔の位置までゆっくりと手を上げた。
「八木さん、私にも質問させてもらってもいいかな。」
「えぇ、じゃあ、少しだけどうぞ。」
「どうも、ありがとう。」
初老の男性は、八木に質問の許可をもらうと、里美に向き直り、
「私は星野と言います。訳あって面接に立ち会わせてもらっています。」
と言った。八木がなにやら目くばせのような、微妙な仕草をしている。どうやら手短に済ませろという意味と、ここでは理由を話すな。という雰囲気を感じた。
実は、この星野という人物。現在、建て替えされている花菱デパートの屋上に建設されるプラネタリウム館の館長である。彼の部下になるスタッフを探しているのだが、天文学の専門家以外のスタッフを探していた。
ただ、就職面談は、花菱グループ全体の問題であり、人事課の業務範囲であったので、あまり口出しすることは出来ず、もし、誰か良さそうな人物がいれば、相談にのってもらえないかという態であった。
星野館長は顔が広く、プラネタリウムの開設にあたってスカウトしてきてもらった経緯もあり、「星野の言うことくらい聞いてやれ。」と、会長の一言があって、渋る人事課をよそに、こうやって面談の隅に並んでいた。