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08.イケメン・レディ

 空が白み始めた頃、シヴァンシカは一階の台所にいた。

 台所、というには立派過ぎるかもしれない。備え付けられた設備は一流レストラン並で、一度に十人以上が働くことも可能な広さ。食材は週に一度新鮮なものと入れ替えられ、よほど珍しい料理でもない限り材料が切れているということはない。


 そんな立派な設備だが、使うのはもっぱらシヴァンシカだ。


 大富豪の娘ナズナの屋敷である。本来なら大勢のメイドがいてもおかしくないが、「身の回りのことは自分でできるように」との方針で、常駐しているのは執事一人だけ。普段の炊事、洗濯、ちょっとした日用品の買い出しは、自分でやるのがルールだ。


「ん、いい感じ」


 スープの味をみて、シヴァンシカは上機嫌になった。

 ナズナが「一番好き」と言ってくれる、野菜たっぷりスープ。味付けは胡椒少々とベーコンの塩味だけで、じっくり煮込んで野菜の旨味を引き出す。ごく一般的なレシピに改良を加え続けた結果、今ではシヴァンシカのオリジナルレシピと言える一品になっていた。


「朝から手の込んだ料理をしていますねえ」

「ひっ!?」


 突然、美しいアルトボイスに耳元で囁かれ、シヴァンシカは引きつった悲鳴をあげた。


「ミ、ミズハさんっ! 気配殺して近づかないでください!」


 いったいいつ来たのか、女執事のミズハがすぐ後ろに立っていた。


「ふふふ、怒ったお顔も実に美しい」


 歯の浮くようなセリフが実に様になる。

 まったくもう、と振り返り、シヴァンシカは目を丸くした。

 朝も早いというのに、眠気のかけらもない爽やかな笑顔。隙なく着こなしたダークスーツにはシワひとつない。

 そんな、あきれるほど完璧なイケメン・レディが、両手で抱えるようにして大きなバラの花束を持っていた。


「そのバラ、どうしたの?」

「さきほど、お向かいのマーガレット嬢にいただきました。手ずからお育てになったそうですよ」


 貿易商の娘、マーガレット。先日十五歳の誕生日を迎えた、かわいらしいお嬢様である。


「そろそろあなたが女性だ、て教えてあげたら?」

「ふふ、どんな顔をするでしょうね」


 なぜかシヴァンシカの脳裏には「それはそれで……」と顔を赤らめるマーガレットが思い浮かんだ。


「お願いだから、健気な女の子を変な道に進ませないでね」

「恋愛に正しい形などありませんよ?」


 あなたが言いますか、と言わんばかりの目を向けるミズハ。シヴァンシカはぷいと視線を逸らし、朝食の準備に戻った。

 バラを花瓶に生け、玄関と食卓に飾るミズハ。選んだ花瓶といい生け方といい、センスが光る。大したものだなと思いつつ、シヴァンシカはお茶を用意しミズハに出した。


「おや、ありがとうございます」

「それで、夜明け前からどこへ行っていたの?」


 シヴァンシカの問いに、ミズハはちらりと鋭い視線を向けた。なぜ知っているのかと問う視線に、シヴァンシカは軽く肩をすくめた。


「……たまたま起きてたの。散歩には早い時間だし、何かあったのかと思って」

「寝不足は美容の大敵ですよ」

「怖い夢を見て目が覚めちゃったのよ」

「おや、それはいけませんね。ラベンダーのポプリでもご用意いたしましょう」


 ミズハはお茶を一口飲み、十秒ほどの沈黙の後に言葉を続けた。


「ベロニカ商会のご令嬢が、錯乱した状態で発見されました」


 えっ、とシヴァンシカは息を飲んだ。


「カレン……様が?」


 ベロニカ商会の令嬢、カレン。

 読書好きで物静かな、優しい子だ。ナズナとは幼馴染で、シヴァンシカとも同い年。去年はシヴァンシカと同じゼミに所属していて、論文を共同で執筆した。


「ど……どこで?」

「街の東にある、人気の少ない公園です」


 近隣住民の「奇声がする」との通報を受けて警察が出向いたところ、若い女性がけたたましく笑いながら踊っていたそうだ。


「まともに会話ができず、着衣も乱れていたそうで。薬物の使用が疑われています」

「薬?」

「アンドルゴの王子が開いたパーティーに誘われていたらしいのですが……目下、事情聴取中とのことです」

「……そう」


 シヴァンシカは胃がギュッとつかまれたような気がした。

 あのバカ王子が、シヴァンシカを逃した腹いせに別の女性を毒牙にかけたのだ。カレンとワイアットに接点はほとんどない。たまたま見かけたから、そんな理由で強引にパーティーに連れて行ったに違いない。


「ほう」


 腸が煮えくり返る思いを必死でこらえていたら、ミズハが探るような目でシヴァンシカを見た。


「意外と冷静ですね。もっと驚くかと思っていました」

「え?」

「ひょっとして、ベロニカのご令嬢がこうなることを知っていましたか?」


 思わぬ嫌疑にシヴァンシカは声を失った。頭が真っ白になり、反論が思い浮かばない。


「ふふ。冗談ですよ」


 長い沈黙の後、ミズハは微笑を浮かべ再びお茶に口をつけた。


「た、タチが悪すぎます……」

「失礼しました。どうも私にはユーモアのセンスがないようで」


 空になったカップを置くと、ミズハは背伸びをして天井を見上げた。

 その端正な横顔を見ながら、シヴァンシカは疑念を抱く。


 この人、気付いているのだろうか。


 シヴァンシカがある程度未来を知っていること。その知識をもとに危機を回避していること。ミズハには、過去にもそう思わせる言動があった。

 そんなはずはない、と思うのだが。


「どうしました?」

「いいえ、何も」


 そういえば、といまさらながらに思う。

 ミズハのことは『私』の記憶に一切ない。全キャラクターのデザインをしたはずの『私』だというのに、ライバルキャラの女執事という立場のミズハを知らないのである。


 まだ思い出せていないだけ、という可能性はあるが。

 出会って七年も経つのに思い出せないというのは、なんだか不思議だ。

 いったい彼女は何者で、この世界でどんな役割を与えられているのだろうか。

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