06.神託?
光を放つ四角い板――ディスプレイ、という名を思い出したのは少し後――に、二つの絵が映し出されていた。
造形や衣装はまったく同じ。当たり前だ、どちらも同じ人物を描いたのだから。
違うのは、絵を描いた人とその画風。
左側の、かわいらしくアニメ風のものが、『私』――シヴァンシカが自分だと思っている人――が描いたもの。
右側の、美しく儚くまさに芸術と呼べるものが、『私』の絵を元に実力ある絵師――いや、画家が描いたもの。
「なんで……なんでこんなに……」
悔しくて腹立たしくて、悲しくて情けなくて、『私』は猛烈な嫉妬と、それを上回る感動に涙した。
必死で描いた。
何度も何度も描き直し、やっとの思いで仕上げた。
完成した絵を誰もが褒めてくれ、「これで神絵師の仲間入りだな」なんて言われて有頂天になった。
そんな『私』のささやかな自信と満足感を、たった一枚の絵が粉々に砕いた。
「私の……私の、ナズナなのに……」
『私』が描きたかった、だけど到達できなかった、理想そのもの。美しくて儚くて、やがて破滅する美しい女性が見事に描かれていた。
「なんなの……なんなのよ、これぇ……」
美しくて、儚くて。
『私』が描いたナズナよりも何倍も――いや、比較するのもおこがましいほど美しい。
いつまでだって眺めていられる。
永遠に飽きることはない。
これが美だ。
これが本物だ。
これに比べたら、『私』の絵はゴミに等しい落書きだ。
これが才能か。
何が神絵師だ、うぬぼれるな。『私』なんてアマチュアよりちょっとはマシというだけの、十把一絡げの有象無象ではないか。
「う……う……うあぁぁぁぁぁっ!」
どうにもならない気持ちが絶叫となった。我を忘れ、激情のままディスプレイにマウスを叩き付けようとした。
だけど、直前で踏みとどまった。
できなかった。
ディスプレイが壊れたら、この絵が見られなくなる。
そう思ったらできなかった。
悔しい、悔しい。
だけど――目を離せない。
ぶっ壊してやりたいと思うほど悔しいのに。
このナズナが、『私』の理想そのものが、心の底から愛おしい。
※ ※ ※
眠りの園から叩き出され、シヴァンシカは文字通り飛び起きた。
煮えたぎる思いの残滓が胸で疼く。嫌な汗で体がじっとりしていて気持ち悪い。
「……ああもう」
何度も見た夢だというのに、やっぱりキツイな、とシヴァンシカは大きく息をついた。
外はまだ暗く、夜明けまではもう少しありそうだった。しかしもう一度寝る気になれず、シヴァンシカはベッドを降りた。
窓を開け、椅子を持ってきて座る。ひんやりとした風が心地よい。窓から見える景色は夜に包まれ、人はその中で眠りについているのだろう。
あのまま連れて行かれていたら、今頃は――。
放課後のことを思い出し、シヴァンシカはぶるりと震えた。あの女好きでサディストのバカ王子にどんな辱めを受けるのか、想像するだけで血の気が引き、震えが止まらなくなる。
覚悟を決めたはずだった。
だけどナズナが助けに来てくれた時、どれだけホッとしたことか。覚悟なんて本当はできていなかったんだと、思い知らされてしまった。
それに。
まだやるべきことをやっていない、そんな思いがくすぶっている。
自分には無理だと諦めたはずなのに――その思いは心の奥底にこびりついたまま、消えていなかった。
「はぁ……」
しばらく夜風を浴び、シヴァンシカはようやく落ち着いた。
「この夢を見たってことは……『イベント』が発生する、てことよね」
ポツリとつぶやいて、シヴァンシカは鍵付きの引き出しから古びたノートを取り出した。
『閨房戦記3 白銀の聖女』
ノートを開くと、最初のページにそんな文字が書かれている。
次のページからは「物語」「ゲーム」「立ち絵」「イベント」「留学」「鬼畜」「留学」「エロ」「攻略対象」「ルート分岐」「条件」「成人向け」なんて単語が無秩序に書き連ねられており、途中のページでそれらの単語はひとつの文章にまとめられていた。
※ ※ ※
成人向け乙女ゲーム『閨房戦記3 白銀の聖女』
時は産業革命の黎明期。
宗教国家レクスに生まれた、美しい少女シヴァンシカ。神の加護を受け「聖女」となった少女は、十五歳の時に祖国を離れ、とある国に留学する。
見聞を広げ見識を高め、真の聖女を目指す彼女は、そこで一人の男性と出会ってしまう。
※ ※ ※
そこまではいい。問題は次。
※ ※ ※
その男は、彼女の祖国を脅かさんとする国の王子。
無理難題をふっかけられ、国同士の交渉は行き詰まり、もはや祖国の滅亡は時間の問題。
そんな祖国を救うため、シヴァンシカは己の美しさを武器に、王子との仲を深めるのであった。
※ ※ ※
「……」
いつ読み返しても不愉快になる。
要するにシヴァンシカは、色仕掛けで他国の王子をたぶらかして祖国を救う、ということらしい。
これが「ゲーム」、もしくは「エロゲー」呼ばれるものの基本ストーリー。
『私』はその「ゲーム」を作っていたスタッフの一人だった――ようだ。
この記憶が戻り始めたのは五歳の頃。
ちょうど「聖女」として認められ、環境が激変した頃だ。初めは意味がわからず混乱した。教堂の導師に相談したら「神託かもしれない」と言われ、何かを思い出すたびに書き留めておくよう言われた。
でも今ならわかる。
これは神託なんかじゃない。ただの「設定」だ。
バカバカしい、と切って捨てたいところだが、そうもいかない。
生まれ変わり? 異世界転生? なんと呼べばいいかわからないが、問題は自分がその「ゲーム」のヒロイン、シヴァンシカになってしまったことだ。
「勘弁してよね……」
成長してソッチ方面の知識を得、思い出した内容を理解できるようになると、シヴァンシカは絶望的な気持ちになった。
どう転んでも。
シヴァンシカの人生は、ズブズブの愛欲生活まっしぐらなのだ。




