63.魔女のしもべ(完)
「次は、カレン様と一緒に来ますわ!」
翌朝。
徹夜で語り合った気配など微塵もない笑顔で、リンダはホテルを後にした。彼女を乗せた馬車を見送ると、亜麻色の髪のシェフ、シヴァンシカは大きく息をついた。
「はぁ……疲れたぁ……」
「ふふ、実験は成功ね」
「生きた心地しなかったよ」
シヴァンシカは、疲れた様子でソファーに座り込んだ。そんな彼女の隣に腰を下ろし、ナズナはそっともたれかかった。
「でも大丈夫だったね。リンダ様が気づかないのなら、もう平気だと思うわ」
シヴァンシカとして生きた二十年。その中でナズナをはじめとするギムレット家の人以外で、一番親しかったのがリンダ。
そのリンダが、それと示されなければ気づかなかった。ならば、ひまりがシヴァンシカだと気づく人は、おそらくいないだろう。
「これで宿屋が開けるわ」
「そうだね。あー、一週間長かったぁ」
「よくがんばりました」
目を閉じると、ナズナの耳にひまりの鼓動が伝わって来た。
トクントクンと、優しく暖かい音がする。
「ふふ、優しい音がする。今日もちゃんと動いてるわね」
「止まったら困るんだけど」
「大丈夫よ、私が生きている限り止まらないから」
シヴァンシカの心臓は、神殺しの力が宿った短剣に刺された。
師であるミズハの力が込められた短剣は、ナズナの力では壊すことすらできなかった。
もう助からない、ならばその手で死なせてほしいとシヴァンシカは頼んだ。
そんなシヴァンシカの頼みを、ナズナは拒絶し。
心も、体も、命も、そして魂も、永遠に隷属させる「魔女のしもべ」とした。
「魔女のしもべ」となった者は、術者が死なない限り死ねなくなる。
死ぬほどの苦痛を与えられても、たとえ肉片となっても死ねない。術者が魔力を供給すれば修復するが、供給しなければ肉片のまま生き続けることになる。
「あなたは、私が死ぬまで死ねないの。そして、私が死ぬときは一緒に死ぬの」
対象者を人であって人でないものとする、魔女にとっても禁忌の術。呪いでしかないその力で、ナズナはシヴァンシカを生に縛りつけた。
簡単な魔法ではない。
シヴァンシカの治療に魔力を使い続けていたせいで、魔力も足りなかった。
だがシヴァンシカの胸に突き立った短剣には、「隷属の魔法」の術式と必要な魔力が仕込まれていた。ナズナはそれを起動し、正しく動かすだけでよかった。
たぶんあれが、師匠であるミズハからの卒業祝い。
本当に意地悪な師匠だ。
「二度と私の前で死なせたりしない。覚悟してね、あなたはどんなに辛く苦しくても、必死で生きていくしかないのよ」
「怖いなあ、それ」
「ふふ、勝手に死のうとした罰よ。私の怒り、思い知りなさい」
「かしこまりました、魔女様」
もたれかかるナズナを抱き締め、シヴァンシカはありったけの想いを込めてキスをした。
「私の全てはあなたにあげたもの。どうとでもしてちょうだい」
勝手に死んだひまりのことを、生涯悔い続けたという陽子。
その苦悩と悲しみに比べれば、こんなの罰でもなんでもない。
だって、死ぬまで愛する人のそばにいられることが約束されているのだから。
「ふふ、覚悟はできてる、てことね」
「もちろん」
「ならひとつ、聞いていいかしら」
ナズナの腕がシヴァンシカを抱き締めた。
ギュッと、ギュギュッと、そしてミシミシと。
「うぐ……な、ナズナ?」
「私、言ったと思うんだけど。リンダ様に出す料理は、デザートも含めてひとつもかぶっちゃダメよ、て。料理人としてのあなたの全部を出して、て」
「……」
黙り込んだシヴァンシカを、ナズナはさらに強い力で締め付ける。
小柄でかわいらしいからと言って、ナメてはいけない。あのミズハに鍛えられたのだ、格闘技だって超一流、最小限の力で相手を痛めつける、そんな技術を会得済だ。
「く……苦しい……死んじゃう……」
「平気よ、窒息したってあなたは死なないから。さあ、答えてちょうだい。どうして今日のデザートは、二日目と同じものを出したのかしら?」
「いや、それは、その……なんというか……痛たたたっ!」
「なんというか、なにかしら?」
優しい笑顔でナズナが問い詰めてくる。ミシミシと音を立てていたあばらが、今にも折れそうなほど軋んでいく。
「ナズナ、折れる、あばら折れる! 痛い、痛いってば!」
「ああもう、あなたって子は!」
どかん、とついにナズナが爆発した。
「どうせ最後の一品、思いつかなくて手を抜いたんでしょ! どうしたらそのサボりぐせが直るのかしら!」
「ゆ、許して、次は、次はちゃんとやるから!」
「次なんてありません! お客様にとっては、すべてが一期一会です!」
「あ、痛い、痛い! ホントに折れちゃう、折れちゃうって!」
「折れたってすぐ治るわよ! まったくもう、今夜はお説教よ、覚悟なさい!」
「が、がんばったんだから、許してよぉ!」
「そのちょっとした甘えが、プロとして致命的なんです!」
泣いて謝るシヴァンシカと、そんなシヴァンシカを叱り飛ばすナズナ。
二人のちょっと激しい、そして甘くて幸せな時間は。
こんな感じで、続いていくのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。