62.新しい名前
絶句したリンダを前に、ナズナはゆっくりとコーヒーを口に運んだ。
「素敵でしょ?」
「ええ……ええ、本当に。けど……」
贈り物は絵だった。
アラディブとカレンが仲良く寄り添い、微笑んでいる絵。ナズナが言う通りとても素敵な絵だ。
だが問題は、この画風、この色使い。
このタッチで絵を描けるのは世界でただ一人のはず。それを証明するように、絵の右下に書かれたサインは、リンダが持っている肖像画と同じものだった。
「これ……は……どなたが……?」
探るようなリンダの問いに、ナズナは静かにほほ笑み、リン、と呼び鈴を鳴らした。
扉のすぐ外で待っていたのだろう。
呼び鈴が鳴ると同時に部屋の扉が開き、コックコート姿の人物が入ってきた。
「彼女よ。料理だけでなく、絵も得意なの」
むしろ絵の方がすごいかもね、なんて自慢げにナズナが笑う。
「あ……あなたが?」
帽子を取り、亜麻色の髪のシェフが優しくほほ笑んだ。
そのほほ笑みが、リンダの記憶にある美しい女性を思い出させた。
どこまでも清らかで、それはそれは美しい、神様に愛されたあの女性を。
「そう……そうでしたの……」
驚愕が、やがて理解へと変わった。
ここまでヒントを出されたのだ、さすがにリンダも彼女が何者か気づいた。
「そういうことでしたのね……ああもう、こんなサプライズ、私、何と言っていいか……」
涙がこぼれ落ちそうになり、リンダは慌てて顔を上げた。ナズナが差し出したハンカチを受け取り、リンダは涙を拭い笑顔を浮かべた。
「もう、本当にもう……どうして……いいえ、それは聞きませんわ」
そう、聞いてはいけない。言葉にしてはいけない。
「白銀の聖女」シヴァンシカは死んだ。
それが事実であり、その事実を変えてはならない。それがきっと「白銀の聖女」の遺志であり、望みなのだから。
「ふふ、私が指名されるわけですね。納得しましたわ」
「さすがリンダ様。ご理解が早くて助かります」
ナズナがうなずくと、亜麻色の髪のシェフが一歩前出て、穏やかな声でリンダに語り掛けた。
「リンダ様。お料理は、お楽しみいただけましたか?」
「ええ、それはもう。本当においしかったですわ。野菜スープが特に絶品でした」
「ありがとうございます」
丁寧に一礼する彼女を見て、ああ、ずいぶん変わったな、とリンダは思った。
長かった白銀の髪は、バッサリと短く亜麻色に。
清らかな白い法衣ではなく、料理で汚れたコックコート姿。
でも、何よりも変わったのは、その顔。
どこか怯えて縮こまっていた、そんな顔が引き締まり、たくましさすら感じるようになっていた。
わからないはずだ。今の彼女を見て、かつての彼女を想像できる人はまずいないだろう。
「お名前、お伺いしてもよろしいかしら?」
「ひまりと申します。以後、お見知り置きを」
「ひまり様……宿と同じ名前なのね」
「ええ。とても大切な名前なの」
ナズナが幸せそうな顔で告げた。シェフ・ひまりも同じような顔でうなずき、二人の様子にリンダは自然と笑顔になった。
「そう。いいわね、なんだか暖かい雰囲気で」
「それで、頼みは引き受けていただけるかしら?」
「ええ、もちろんです。お任せください」
リンダは笑顔になると、どん、と胸を叩いた。
「スウェン王国外交官、リンダ=トルステンソン。ご依頼の品、間違いなくお届けいたしますわ!」