59.聖女の死
シヴァンシカは目を閉じ、涙をこぼすナズナの頭をそっと抱き締めた。
「私が生きていたら、ナズナは幸せになれるの?」
「そうよ、当たり前のこと聞かないで」
「ギムレット家の娘として、魔女として、この世界でやるべきことを、ちゃんと果たせるの?」
「……無理よ。私の魔力供給が途切れたら、シヴァは死んでしまうもの」
「だよね」
シヴァンシカはナズナの顔を引き寄せ、そっと唇を重ねた。
甘いキスの感触と、同時に走る胸の痛み。
うめいたシヴァンシカを見て、慌ててナズナが魔法をかけて痛みを和らげてくれる。
「キスするだけで、こんなにしんどいのかぁ……」
「ごめん、ちゃんとやれるようにするから」
「ねえナズナ。私ね、リンダ様の絵を描いているとき、本当に楽しかった」
唐突なシヴァンシカの言葉に、ナズナは数度瞬きした。
「お料理をしているときも楽しい。ナズナがおいしいて言ってくれるかな、て考えながら作るとね、すごく楽しいの」
「……うん」
「だけど私、もうそういうのできそうにないね」
胸に突き刺さった短剣を見て、シヴァンシカは力なく笑う。
少し動いただけで激痛がする。常にナズナが魔力を供給していないと、血が噴き出し心臓は止まってしまう。そんな状況でシヴァンシカにできることなんて、何もない。
「私だけならいいけど。このままじゃ、ナズナにも同じ生活をさせちゃう」
「何が言いたいの。ねえ、やめてよシヴァ」
聡いナズナだ、シヴァンシカが何を言おうとしているのか、もう気づいているのだろう。
だから、はっきりと言おう。
シヴァンシカは不思議と穏やかな気持ちで、愛するナズナへの最後のお願いを口にした。
「短剣、抜いて」
「……いや」
「私はもう、聖女としての務めも果たせず、一人の女としての人生も歩めない」
そして、愛するナズナの人生も狂わせてしまうから。
そう言ってシヴァンシカは、ナズナの手を握る手に力を込めた。
「お願い、ナズナ。心も体もあなたにあげた。ついでに、命も受け取って」
「だって……だって、そんなの、私……」
「勝手に死ぬんじゃなくて、ナズナの手で死ぬのなら、いいでしょ?」
「い、いいわけ……ないでしょ……」
「だよねえ」
無茶苦茶言ってるよね私、とシヴァンシカは力なく笑う。
「だけど私、こんな形でナズナを縛り付けたくない」
「そんな風に思わないで。大丈夫、必ずあなたを救う方法を考えるから」
「でも助かったら……私、ナズナのそばにいられないよね」
シヴァンシカの言葉に、ナズナはハッとした。
シヴァンシカの言う通りだ。彼女はレクス国の聖女。傷が癒えれば、国に帰り聖女としての務めを果たさなければならない。
「でもここで死ねば、最期までナズナのそばにいられるかな、て」
「最期って……それじゃ私、結局ひとりぼっちじゃない……」
「ごめん。あーあ、一度死んで、聖女じゃなくなってから生き返られればいいのに」
シヴァンシカはできるだけ明るい声を出した。
「聖女じゃ……なくなって?」
ナズナがぼやけた声でつぶやいた。さすがに無茶苦茶言ってるな、というのはシヴァンシカにも分かる。
「そ。一度死んで生まれ変われば……もう聖女じゃない。そうしたらずっとナズナのそばにいられるなあ、て」
「死者の蘇生は……はるか昔から研究されているわ。だけどそれは……人の身では無理だと言われたわ」
「だよね」
そう、一度死んだ人間は生き返らない。
それが現代に生きる人間の共通認識。だからこそ人は毎日を懸命に生きている。
「ごめん、変なこと言って」
シヴァンシカが穏やかな顔でナズナを見つめた。
「ナズナ。私はもう……あなたのそばから離れたくない。私の最期は、あなたのそばで迎えたい」
「シヴァ……」
シヴァンシカの顔を見て、ナズナは悟った。シヴァンシカはもう死を覚悟し、受け入れたのだと。
ならば。
「あなたはもう……覚悟を決めたのね」
「うん」
「後悔しない? それがたとえどんな結末でも」
「しない。ナズナに出会えて、愛し合えて、とても幸せだった」
「そう……わかったわ」
ナズナはうなずき、立ち上がった。
シヴァンシカを生き永らえさせるために、ただそのためだけの人生になってもいい、そんな風に思っていたナズナだが。
「私は、魔女」
膨大な知識を司り、知恵で世を導く者であれ。
たとえ恋人の死に直面しても冷静であれ。
それが師匠たるミズハの教え。
そして、冷静になった思考が告げる。
こんな生活、一か月ともたず破綻する、と。
「眠って、シヴァ」
「うん」
ナズナが杖を持ち、ゆるりと振るう。暖かな光がシヴァンシカを包み、心地よい眠りへと誘っていく。
「また、後始末押し付けちゃうね」
「いいのよ、任せておいて。聖女サマの後始末は、きっちりしてあげる」
「えへへ、頼もしいなあ……」
シヴァンシカが笑い、穏やかに眠りに落ちた。
ナズナは杖を構えたまま、眠りについたシヴァンシカを静かに見つめる。
「解除」
はらり、と短剣を止めていた包帯がほどけた。
ナズナは手を伸ばし、短剣の柄を握った。
心臓と一体化した短剣は、トクントクンと脈打っている。
眠っているシヴァンシカの優しい鼓動に、ナズナはポロリと涙をこぼした。
「ほんと……お師匠様って、意地悪……」
神殺しの力が込められた短剣。この短剣をセシルに向けていれば、世界の加護などたやすく切り裂けたのではないだろうか。
だがミズハはそうせず、短剣はシヴァンシカの胸に突き立った。
「これで……シヴァのすべてを私のものにしろ、てことなのね」
涙がほおを流れるままに。
ナズナは、シヴァンシカの胸に刺さった短剣を、ゆっくりと抜いた。
◇ ◇ ◇
翌日の夕方。
ラベーヌス共和国政府より、アンドルゴ王国が企てた陰謀のすべてとともに、「白銀の聖女」シヴァンシカの死が発表された。
第12章 おわり




