05.爆笑
「世界なんてどうでもいい。シヴァが……私のシヴァが、幸せになれない世界なんていらない」
うぐ、とシヴァンシカはうめいた。
私のシヴァ。
なんて嬉しいセリフだろう。喜びをこらえきれずにうつむいた。ブルブルと体が震え、ナズナの頰を挟む手に思わず力が入った。
それを――シヴァンシカが本気で怒った、とナズナは感じてしまったようだ。
「ご、ごめんなさい……あなたの覚悟を台無しにして。でも私……」
あふれた涙がシヴァンシカの手に落ちてきた。シヴァンシカは慌てて顔を上げ、ポロポロ涙をこぼしているナズナを抱きしめた。
「バカ、泣かないで。怒ってなんていないから」
「……ほんと?」
「ええ。むしろお礼を言わなきゃ。助けてくれてありがとう」
シヴァンシカはナズナを離すと、ハンカチで涙を拭ってやった。
「やっぱり、あんなバカ王子の慰み者になんてなりたくないわ」
ナズナがホッとした顔になり、シヴァンシカに微笑む。シヴァンシカは一息ついて気持ちを落ち着けると、ナズナのほおにキスをした。
「心配かけて、ごめんなさい」
「もう……こんな危ないことはしないでね?」
「うん、わかった」
「約束よ?」
「うん、約束する」
ナズナがすっと身を寄せ、シヴァンシカの胸に飛び込んだ。
愛しさが込み上げ、ナズナの華奢な体を抱きしめた。このまま永遠に抱き合っていられればいいのにと思う。
でも、それは許されないこと。
なぜなら、シヴァンシカは聖女であり、ナズナは魔女だから。
本当ならば、触れ合うことすら忌避される、そんな二人なのだ。
数分間の抱擁の後、シヴァンシカはナズナを解放した。
物足りない、と言いたげなナズナの顔にまた愛しさが込み上げたが、どうにか抑え込み距離を取った。
「それにしても……おかしかったね」
「え?」
「あのバカ王子よ」
くくくっ、と笑いながら体を翻し、シヴァンシカはソファーに身を沈めた。
「ねえ、もう一度やって見せて」
「なにを?」
「ばぁん」
シヴァンシカのリクエストに、ナズナは顔を赤くした。
「あ、あれは、無我夢中で……その……」
「かっこよかったなぁ。もう一度見たいなぁ♪」
「か、かんべんしてよぉ」
「だーめ。私の言いつけを守らなかった罰」
意地悪な笑顔を浮かべたシヴァンシカ。ナズナは「もう」と唇を尖らせたが、しぶしぶという感じで杖を手に取り、虚空に向かって「ばぁん」と言った。
「顔がダメ」
「か、顔って……ええっ?」
「だってナズナの顔だもん。私が見たいのは、漆黒の魔女サマ」
「……意地悪」
「ほら早く」
「もお……」
ナズナは諦めた顔になると、一度背中を向けて大きく深呼吸をした。
すうっと。
ナズナがまとう空気が変わる。
再びシヴァンシカに向き直ったとき、ナズナは「漆黒の魔女」の顔だった。
(きれい……)
その美しさにシヴァンシカは震える。世の誰もがシヴァンシカの美貌を称えるが、本当に美しいのはナズナの方だ。なぜみんなそれに気づかないのかと、不思議で仕方ない。
「ばぁん!」
その美貌から放たれる静かな言葉は、ゾクリとする迫力だ。演技とわかっていてもそうなのだ、あのバカ王子はさぞかし恐怖したことだろう。
「うん、かっこいい♪」
シヴァンシカは満足そうにうなずき、賞賛の言葉にナズナは照れ笑いを浮かべ。
数秒後、同時に爆笑した。
「あのバカ王子、ほんとヘタレよね!」
「私、あそこまでびっくりするとは思わなかった」
「『ひぃぃぃっ』だよ? バカでかい図体してあの悲鳴」
「私、笑わないよう必死だったわ」
事なきを得てホッとした反動もあり、二人は涙が出るほど笑い転げた。あまりに笑いすぎてお腹が痛くなったが、それでも笑いは止まらない。
ようやく笑いが収まった時には、二人とも喉がカラカラになっていた。
「ナズナ、お茶にしましょ。助けてくれたお礼に、新しいお茶の葉を買ってきたの」
「それで帰ってくるの遅かったんだ」
シヴァンシカは立ち上がると、優雅な仕草で一礼し、恭しく手を差し出した。
「お手をどうぞ、お嬢様」
「うむ、くるしゅうない」
おどけたシヴァンシカに、おどけて返すナズナ。差し出された手を取り立ち上がったナズナは、シヴァンシカを物言いたげな目で見つめ、シヴァンシカもまっすぐにナズナを見つめる。
二人は長い間見つめ合い――そっと顔を近づけ、唇を重ねた。
十秒ほど重ねた後、離れる。同時に熱い吐息を漏らし、クスッと笑い合った。
「あ、そうだ。来週、新茶が入荷するって。取り置きしてもらってるから、一緒に行かない?」
「うん、行く」
卒業まで、そしてお別れまであと一か月。
それを思うと寂しくて仕方ないが――今は考えまいと、シヴァンシカはナズナの手を握り、笑顔で歩き出した。
第1章 おわり