58.謝罪
ガツン、と脳天に走る衝撃で、シヴァンシカは目を覚ました。
見えたのは、見慣れた天井。七年の月日を過ごした、ナズナの屋敷にある自分の部屋だった。
「シヴァ?」
シヴァンシカが目を覚ましたのに気付いて、ナズナが顔をのぞき込んできた。
泣きはらした目の下にくっきりと隈が浮かんでいる。「ああ、心配かけちゃったんだな」とシヴァンシカは思う。沈着冷静なナズナが心を乱すのは、いつだってシヴァンシカに何かがあった時だ。
「ナズ……ナ……」
声を出した瞬間、胸に激痛が走った。
顔をしかめたシヴァンシカを見て、ナズナが慌てて魔法をかける。胸の痛みが和らぎホッとしたものの、自分の胸を見てシヴァンシカはギョッとした。
「な……なかなかに……すごい光景ね……」
胸に、短剣が刺さったままだった。
動かないよう包帯で固定されているが、これでどうして生きているのか不思議だった。
「私の魔法で痛みを軽減、止血と心臓のリズムを維持しているの」
「そんなこと、できるんだ」
「……万一に備えて、必死で覚えたのよ」
万一って何だろう、と目で問うたが、「こっちの話よ」とはぐらかされた。
「けど……ごめんね。この短剣、抜けないの」
抜けば血が噴き出し、シヴァンシカは失血多量で死ぬという。
「普通の短剣なら、私の魔法で解体して傷をふさぎながら抜くことができるわ。けどこれ……お師匠様の力が込められている、神殺しの短剣なの」
いつの間にか聖女の正装として紛れ込んでいた短剣。どうやら魔王たるミズハの細工だったらしい。
「この短剣、私の力じゃ、傷すらつけられない」
ナズナは悔しそうに、そして悲しそうにうつむいた。
「ずっと、魔法を使い続けてるの?」
「ええ」
「大丈夫なの?」
「……少し、キツイわ」
トクン、トクンと心臓の鼓動が聞こえる。
ナズナが必死でつないでくれている命の音。いくらナズナが優秀な魔法使いでも、こんなのいつまでも続くはずがない。それぐらいのことはシヴァンシカにもわかった。
「無茶してるんでしょ?」
「平気よ、シヴァのためだもの。心配しないで、必ず助けるから」
「……どうやって?」
意地の悪い質問だなあ、とシヴァンシカは苦笑する。
案の定、ナズナは目を見張り、何かを言おうとして目をそらした。
「輸血用の血と、人工心肺装置さえあれば……」
ナズナが小さくつぶやくのが聞こえた。
それを聞いて、そっか、とシヴァンシカは笑みを浮かべた。
ここは産業革命の黎明期がモデルの世界。医療科学はまだ未発達で、輸血の技術すら確立していない。いくら知識があっても、それを実現する技術がなければどうしようもない。
「ごめんね、ナズナ。勝手に死んで」
「まだ死んでないわ。諦めないで」
「あー、うん、そうね、シヴァンシカとしてはまだ死んでないわね」
ナズナの手を求めて、シヴァンシカは手を動かした。
気付いたナズナが、優しく手を握ってくた。
「でも、ひまりとしては死んじゃったから。だからごめんね……陽子さん」
「どうして……それを……」
「あの世の入口で、ミズハさんに教えてもらった」
残された陽子は、ひまりを助けられなかったことを生涯悔い続けたという。
本当に罪深いことをした、心から申し訳ないと思った。
たった一枚のイラストを通して、妬んで、羨んで、そして心から憧れた人。そんな人に、生涯悔い続ける人生を強いてしまった。
きっと、どれだけ謝っても許してもらえない罪だろう。
「それなのに、私はまた同じことを繰り返しちゃった」
「……私にとって、『陽子』は夢で見た他人みたいなものよ」
ナズナがぎゅっとシヴァンシカの手を握った。
「だけどね、『陽子』がどれだけ悲しんで、苦しんだか、それは知ってる。だから今は『陽子』として言ってあげる」
ナズナがキッとまなじりを上げ、シヴァンシカを見つめた。
「このバカッ! なに勝手に死んでるよ! ひっぱたいてやるからそこへなおれ!」
ナズナが手を上げた。
うわっ、とシヴァンシカは目を閉じ、ほおに来るであろう衝撃に備えたが。
ほおに感じたのは、平手打ちの衝撃ではなく、柔らかい唇のキスだった。
「ナズナ……」
「お願いだから死なないで。ずっとそばにいて……私に、『陽子』みたいな思いはさせないで」




