57.デコピン
目を開けると、光の中でふわふわと浮いていた。
「おや、お目覚めですか」
パチリ、と指を鳴らす音が聞こえた。
ザアァァッ、と光が渦を巻き、その眩しさにシヴァンシカは思わず目を閉じた。渦を巻いていた光が動きを止め、暖かな日の光と風を感じて目を開けた。
「おはようございます、シヴァンシカ様」
「あ、うん……おはよう」
地面に寝転んでいたシヴァンシカに、ミズハが手を差し伸べた。
「えーと、ここ、どこ?」
「さて、どこだと思います?」
シヴァンシカはミズハの手を取り体を起こすと、周囲を見た。
一面の花畑だった。
「……あの世?」
「その入口ですね」
そっか、とシヴァンシカはため息をついた。
どうやら死んでしまったらしい。それはそうか、と思う。何せ心臓に短剣が突き刺さったのだ。生きていられるはずがない。
「えーと、それで、ミズハさんはどうしてこんなところにいるの?」
「名家の執事たるもの、あの世とこの世のはざまにぐらい来られなくて、どうします」
「いや、無理だから」
シヴァンシカの突っ込みに、ミズハは「それもそうですね」と笑う。
「私は魔女ですから。ツテがあるんですよ」
「あー……そうなんだ」
「おや、驚きませんね」
「いやまあ、言われてみれば納得だし」
学園の授業とは別に、師匠に魔法の指導を受けていたナズナ。毎日のように厳しい指導を受けていると言っていたが、それにしては師匠のところへ出かけている様子がなかった。
「同居していると考えれば、つじつま合うし」
「なかなかに鋭いですね。その鋭さを、別のことにも向けてほしいものです」
「別のこと?」
「勝手に守ると決めて、自分をかばって恋人が目の前で死んだとしたら。残された方はたまったものじゃありませんよ」
どこからともなく、ミズハが一冊のノートを取り出した。
「『閨房戦記3』。なかなかに愉快なゲームのようですね」
「……中、見たの?」
「ええ、ナズナ様もね」
うそ、と驚くシヴァンシカを見て、ミズハはクククッと笑った。
「それはもう、お怒りでしたよ。私を守るために勝手に死のうとしてるなんて許せない。何があっても死なせるものですか、とね」
「うわちゃー……」
めったに怒らないナズナだが、怒った時は本当に怖い。しかも結局、シヴァンシカは死んでしまった。
「恨まれるだろうなあ」
「そうですね。しかも、目の前で死なれるのは二度目ですし」
「二度目?」
「今の今まで、夢で見ていたじゃないですか」
そう、夢を見ていた。
絵が好きで、絵の仕事がしたいと願っていた、一人の女性の夢を。
そして、ナズナが描けないことに絶望し死を選んだ、『ひまり』を看取ってくれた人の夢を。
「あの夢……陽子さん?」
「ええそうです。小山陽子。『閨房戦記3』のパッケージイラストを描いた、イラストレーター。ナズナ様の前世です」
「えっ!?」
「あなたや室田青磁が転生しているのです。小山陽子が転生していてもおかしくないでしょう?」
あんぐりと口を開けたシヴァンシカを見て、ミズハはおかしそうに笑った。
「まあ、ナズナ様は前世を思い出していませんでしたがね。私が封印しましたから」
「封印?」
「ええ。神が三柱も相手では、魔王といえど苦戦しますので」
「神? 魔王?」
「ひまり、室田青磁、小山陽子。他にスタッフは大勢いましたが、『閨房戦記3』の骨格を作り上げたのはこの三人。いわばこの世界の創造主。神と呼んで差し支えないかと」
そんな創造主を見つけては、ケンカを売って楽しんでいるのがこの私、魔王ミズハ。
そう告げるミズハに、シヴァンシカは「はあっ?」と思わず声をあげた。
「ま……魔王? ミズハさんが?」
「おや、こちらは驚いていただけましたか」
クククッ、と楽しそうに笑うミズハ。
マジかー、とシヴァンシカは呆然とするしかなかった。
「室田青磁……いえ、この世界ではセシルですね、彼は倒しました。神性をはぎ取りタダの人とした上で、彼のような美少年が大好きな、欲深のドS好色ジジイにプレゼントしてきましたよ」
「……マジ?」
「大好きな鬼畜凌辱シナリオに放り込りまれて、彼も満足でしょう」
「いや、絶対嫌がってると思うけど……」
まあいいか、自業自得だ、とシヴァンシカはそれ以上深く考えないことにした。
「本当は、あなたとも戦いたかったんですがね」
「へ?」
「なにせあなたは、この世界の主神ですから」
「主神!? なにそれ!」
「『閨房戦記3』のキャラクターデザイン、イラストは、あなたの担当でしょう?」
「え……あ、うん、そうだけど……」
なんで知ってるの、と首を傾げたシヴァンシカに、ミズハは「私、魔王ですから」と笑う。
「『閨房戦記3』は、シナリオよりもイラストが高く評価されたゲーム。ゆえに、イラスト担当だったあなたの方が、力は上です」
「いや、でも私、セシルに手も足も出なかったけど……」
「力をほとんど使い果たしてましたからね」
ワイアットより先にナズナと出会い、二人の婚約を阻止する。
シヴァンシカはそれを実現するために、ほとんどの力を使ってしまっていたという。
「二人の婚約は、共和国ルートが存在する大前提。そこをひっくり返すというのは、世界を丸ごと作り変えるようなものです」
「……自覚ないんだけど」
「そのようですね。まさに愛の一念、世界を変えるです」
ダシガラ同然のシヴァンシカでは闘う気になれなかった。
ミズハはそう嘆いたが、シヴァンシカは心底ホッとした。ミズハを相手に勝てる気はしない。
「あの、でも陽子さんは……パッケージイラスト描いただけよね?」
「あなたが亡くなった後、『閨房戦記3』はその人気ゆえに、コンシューマー向けに発売されることになりました」
「……あのシナリオで?」
「もちろん、大幅に変更されましたよ」
その際、亡きひまりに代わってイラストを担当したのが、小山陽子だという。
「室田青磁は色々あってクビになりまして。追加のイラストと、シナリオの手直しもしていましたから、小山陽子はガッツリ絡んでますよ」
「え、なにそれ。そのゲームやりたい」
あの人の、小山陽子が描いたイラストと手直ししたシナリオのゲーム。見たい、やりたい、とシヴァンシカは心の底から思った。
「なら死ぬべきではありませんでしたね」
「うっ……」
「まあ、あなたが死ななければ、そういう未来もなかったわけですが」
ちなみに、とミズハが言葉を続ける。
「小山陽子は、ペンネームとして『ひまり』を使いました」
「え、なんで?」
「彼女は、あなたを助けられなかったことを生涯悔い続けました。『ひまり』を名乗ったのは、彼女なりの贖罪だったのでしょう」
「いや、それは……私が勝手に死んだだけだし……」
「ええそうです。死んだあなたが悪いんです」
ズバリと言われて、シヴァンシカは言葉を失った。
「今回もそうです。勝手に決めて、勝手に死んで。何度でも言います。残された者の気持ちも考えなさい」
「……すいません」
「謝る相手が違いますよ」
ミズハがにこりと笑い、指で輪を作った。
「え、なに……それって……」
「ええ、デコピンです。私のはけっこう痛いですよ?」
ぴたり、とミズハの手がシヴァンシカの額に当てられた。
ひっ、と思わず後ずさろうとしたシヴァンシカだが、なぜか体が動かない。
「ふふふ。魔王からの愛のムチです。そして、これをかわいい弟子への卒業祝いとしましょう」
「こ、怖い! 目が怖い、ミズハさん!」
「さあ、恋人にちゃんと怒られてきなさい」
ミズハの言葉が終わるや否や。
バチンッ、としたたかに額をはじかれ、シヴァンシカは「ふごっ!」と奇声を上げて意識を失った。




