56.『誰か』と『私』(2/2)
「うそでしょ……」
一枚絵、立ち絵、あわせて二百枚ほど。
その半数が私の画風で生まれ変わった。しかも、たった半月で、である。
「……天才って、いるのね」
悔しそうな友人の声に、私は何も言えなかった。
私が何年も勉強し研鑽して手に入れた技術を、ひまりは半月でものにした。それがどれだけすさまじいことか、真面目に絵に取り組んだ者であればわかるはずだ。
プライドがボキボキに折られた。
きっと友人もそうだったのだろう。
「まだ半分残っているけど……関係者全員絶句よ。まだ文句を言ってるのは、シナリオの室田ぐらいね」
このイラストだけで売れる、友人の会社の幹部はそう判断したという。
異論はない。
これが画集で出るのなら、私は少々高くても買う。それほどのクオリティだ。
特に惹かれたのは、主人公「白銀の聖女」シヴァンシカ。
どこまでも清らかで美しい、無邪気で無垢な美貌が見事に描かれていた。
これが聖女だ。
神様に愛された女の子だ。
私の安っぽいプライドなんて吹き飛ばす、真の天才が描いた聖女を見て、己の浅はかさを悔いた。
「なんて……きれいなの……」
気が付けば私は泣いていた。
悔しかった。
心の底から悔しくて、ひまりというイラストレーターの才能に嫉妬した。
「……ねえ、こっちに来て手伝ってほしい、て言ったら……来る?」
友人の会社の幹部は、ひまりの絵の完成度をさらに高めるために、私に協力してほしいと考えているそうだ。
絵の仕事。待ち望んでいたはずのことだった。
だけど、とてもそんな気になれなかった。
「勘弁してよ……」
みじめじゃない。
その言葉は続けられなかった。だけど伝わったのだろう。「そうだよね。ごめん」と言って、友人は電話を切った。
それから五か月後、ゲームが発売された。
イラストの美麗さが話題となり、アダルトゲームとしては異例の売り上げとなったという。私も購入し、シナリオのエグさに眉を顰めつつ、ひまりが描いたイラストを見たい一心で全ルートを攻略した。
「すごい……」
悔しくて、嫉妬して、その果てに、感動した。
「すごい、すごいよ、ひまりさん。あなた天才よ」
だけどひとつだけ、気になった。
私がパッケージイラストで描いた「漆黒の魔女」ナズナだけが、どうにもしっくりこない。
あまりに気になったので友人に連絡を取ったら、「そのことだけど」とかなり深刻そうな声が返ってきた。
「ナズナだけが描けなかったの。どうしても本人が納得しなくてね。仕方ないから、没にしたのをこっそり拝借して、ゲームはそれで完成させたんだけど」
「そうなんだ」
「今もまだ描き直してるのよ。ちょっとヤバいんじゃないか、てうちの上司も心配してるところよ」
ひまりは家に引きこもって、ひたすらナズナを描いているという。友人が暇を見ては様子を見に行ってるが、睡眠も食事もろくに取っていないらしい。
「ねえ、お願いだけど。ひまりに会ってあげてくれない?」
「私が?」
「あなたのアドバイスなら、素直に聞いてくれるんじゃないか、て思って。お願い、人助けだと思って」
ちょっと考えさせて、といったん電話を切った。
ひまりは天才だと、素直に認められるようにはなっていた。
だが、ひまりに対するどうしようもない嫉妬と悔しさの残滓は、まだ心の中にくすぶっていた。
会ったところで、素直な気持ちで話ができるだろうか。
だって、悔しかったから。
私が望んで、でもできなかった絵の仕事をしているひまりが、妬ましかったから。
やっとのことで決心したのは三日後の日曜日。私は友人に連絡を取り、翌週の週末にひまりの家を訪ねることにした。
その悩んだ三日間のことを、私は死ぬまで後悔することになった。
すぐに決断し、その週のうちに行っていればと、生涯自分を責め続けた。
ひまりはかなり危ない状況だった。下手に刺激を与えてはまずいと、私が行くことは内緒にしていた。
そしてその日。私は、友人とともにひまりのアパートへ向かい。
血まみれで倒れているひまりと対面した。
かろうじて意識はあったが、もう虫の息だった。救急車を呼び、必死で止血をしたけれど、ひまりは眠るように息を引き取った。
あとは、おねがい。
それが、私の腕の中で死んだ、ひまりの最後の言葉だった。