55.『誰か』と『私』(1/2)
これは、とある女性――『誰か』と呼ばれた、私のお話。
絵を描くことが好きだった。
絵の仕事で食べていきたいと願った。
だからデザイン科のある高校へ行き、さらに美大へ進学し、徹底的に勉強した。
だけど、現実は甘くなかった。
絵の仕事だけではとても食べて行けず、母のつてで地元の写真スタジオに就職した。
いつかきっとという思いで作品を描き、ネットで発表し、一枚数千円という破格の値段でイラストの仕事を受け続けていた。
「もう三十なんだから。そろそろきちんとしてちょうだい」
諦められない夢にしがみついている私に、母が小言を言うようになったころ。
大手ゲーム会社に就職した、美大の同級生から連絡を受けた。
「仕事、頼める?」
開発中のアダルトゲームのパッケージイラストを描いてほしい、という依頼だった。
「キャラデザの担当、いるんじゃないの?」
「シナリオ担当の室田って男がゴネててね」
私の問いに、うんざり、という感じの言葉が返ってきた。
「ゲームの顔であるパッケージは、ちゃんと勉強したやつに描かせろ、てうるさくて。ホント、クソみたいなシナリオ書くくせに、態度だけはでかいのよ」
キャラデザの担当はアルバイトの子で、シナリオライターはそれが気に入らないらしい。おおかた、自分が軽んじられているとでも思っているのだろう。
「下手な子なの?」
「まだまだこれからなのは確かね。でも、いいもの持ってるとは思う」
資料として送ってもらったその子の絵を見て、なるほど、と思った。
上手だが、基礎的なところの勉強が不十分。でも、きちんと勉強したらすごく上達するだろうな、と感じた。
同時に。
この程度で絵を仕事にしていることに、嫉妬した。
アダルトゲームだから予算は厳しいだろう。安く上げるために、プロとして活動しているイラストレーターではなく、アルバイトの子を使っているのだろう。
そういう大人の事情はわかっていた。
だけど、嫉妬した。
ちゃんと勉強した自分ができないのに、まだまだこれからだという子が絵の仕事をしていること、それが悔しくてたまらなかった。
「……見てなさい」
私は主人公ではなく、主人公のライバルキャラの一人、「漆黒の魔女」ナズナを選んだ。そして、これまでに培った技術と残っていた情熱のすべてを込めて、パッケージ用のイラストに取り掛かった。
どうだ、これがちゃんと勉強した人の絵だ。
そんな安っぽいプライドと、ちょっとした意地を込めたイラストを一週間ほどで描き上げ、納品した。
「あんたこれさあ……」
「なに? ちゃんとオリジナルの特徴は残してるでしょ?」
「いやそうだけど……大人げないというか、なんというか……」
そういう心根は、友人に見透かされていたらしい。だがイラスト自体は高評価で、「なんかあったらまた頼むわ」と言ってくれた。
ひょっとしたら、これがきっかけで絵の仕事ができるかも。
そんなささやかな期待を胸に、私は久々に思い切り描けたことに満足した。
それから十日ほどして、友人から連絡があった。
さっそく仕事の依頼だろうかと期待したが、違った。
「ちょっと、大変なことになった」
「どうしたの?」
「あんたの絵を見たひまりちゃんが……ああ、キャラデザ担当の子だけどね。イラスト全部描き直す、て言い始めて……」
私が描いた絵を見て衝撃を受け、全部描き直させてほしいと申し出たそうだ。
もちろんそんなのは通るはずがない。
だが、若さというのは時に無謀になるらしく、これまでに描いたイラストのデータ全てを無断で消去し、描き直さざるを得ない状況にしてしまったという。
「バカなの、その子」
一枚絵、立ち絵、合わせて二百枚ほど。
そのすべてを描き直す。
しかも、私が描いたパッケージイラストの画風に合わせる、という。
「どう思う?」
「無理でしょ」
「そうよねえ」
そもそも画風が違う。ひまりという子の絵はアニメ風の、わりとはっきりとした絵柄。対して私は水彩画の手法で描いた、淡いタッチの画風だ。
慣れていない画風で、短期間に、二百枚のイラスト。プロだって無理だろう。
「いやもう社内大騒ぎでさ。シナリオの室田は激怒してるし、マスターアップは延期確実。私も応援に行かされそうだわ」
「なんとかなるの?」
「わかんない。なにせ誰かさんが、無駄にハイレベルなパッケージ描いてくれたし」
「……私に嫌味言われても」
「ごめん、ちょっとテンパってて……でも、ひょっとしたらあなたに協力してもらうかも」
その場合はこっちに来て、一か月ほど一緒に仕事してもらうことになる。
そう言われて「さすがにそれは……」と言葉を濁したが、内心チャンスだと思った。今の仕事はクビになるかもしれないが、念願の絵の仕事ができる、その期待に胸が膨らんだ。
だが、その期待は半月後に消えた。
ただのアルバイトのイラストレーターは、宣言通り、イラストを私の画風で描き直したのだ。




