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04.下宿先

 へたり込んだワイアットを見て――気が付けばシヴァンシカは逃げ出していた。


 イベント(・・・・)は発生したが、ナズナの登場により結末が変わってしまった。

 あのままとどまっていれば、恥をかかされたワイアットが怒りの矛先をシヴァンシカに向け、予定通りの結末になっていたかもしれない。


 だけど、そんな勇気はなかった。

 ナズナの登場で、シヴァンシカの覚悟はもろくも崩れ去ってしまった。


(あー、だめだなぁ、私)


 もう追ってはこないだろう、というところまで走り続けたシヴァンシカ。

 呼吸を整えると、まっすぐ帰らずに行きつけの雑貨店へ向かうことにした。


 表通りから一本入ったところにある、小さな雑貨店。

 こじんまりとした店だが、オリジナリティのある品ぞろえで知る人ぞ知る名店だ。


「来週、新茶が入るよ」


 美貌を誇るお得意様に、女主人が気さくに話しかける。シヴァンシカも笑顔を浮かべ、女主人に応えた。


「よかった、間に合ったのね!」

「今年はなかなかいいデキみたいだよ。どうする?」

「じゃあ、ひとつ……いいえ、ふたつ、お願いします」

「まいどどうも。取り置きしとくね」


 雑貨屋での買い物はシヴァンシカのささやかな楽しみだ。それを知っている女主人は、家まで届けるなんて野暮なことは言わない。


「来週、お友達と一緒においで」

「はい、そうします」


 見れば寿命が三年は伸びる、と言われている美しい笑顔を残し、シヴァンシカは雑貨屋を後にした。

 いつもの通学路に戻り、シヴァンシカは急ぎ足で下宿先へ向かう。

 国へ戻れば「聖女」としてかしずかれる身だが、ここにいる間は一留学生として過ごしたい。そんな希望を聞き届けてもらい、徒歩での通学が許されていた。

 そしてもうひとつ、わがままを通したのが下宿先だ。


「ただいま戻りました」


 歩くこと十分少々。シヴァンシカは下宿先に到着した。

 お屋敷と呼ぶにふさわしい豪邸である。

 それもそのはず、ここはこの国きっての大富豪の家。しかもこれで本宅ではない。当主が一人娘のために建てた別宅で、一か月間毎日違う部屋で寝てもなお余るという部屋数の、本宅並みの豪邸だ。


「おかえりなさい」


 シヴァンシカの声に答えて、金髪ショートヘアにダークスーツを身にまとう、三十手前の女が顔を出した。この屋敷の管理を任されている、女執事のミズハだ。


「遅かったですね」

「……ということは、もう帰ってるのね?」

「三十分ほど前に」


 ソワソワしてましたよ、と笑いながらミズハは部屋に戻っていった。

 これは急がないとね、とシヴァンシカは三階へと急いだ。


 三階の、奥から二番目の扉を開けて自室に入る。中は居室と寝室に分かれており、一留学生には広すぎる部屋だ。すでに七年近く過ごしているせいか、かなり私物が増え生活感にあふれている。本国の者に見られたら、少しは片付けろとあきれられてしまうだろう。

 荷物を置いてくつろいだ格好に着替えると、シヴァンシカは買ってきたお茶を手に自室を出た。


(今か今かと待ち構えているでしょうね)


 にやけそうな顔を引き締めて、一番奥の扉をノックする。「どうぞ」とすぐに返事があり、シヴァンシカは扉を開けて部屋に入った。


「……」


 屋敷の主は、着替えもしないまま窓辺に佇んでいた。

 柔らかな午後の日差しの中、物憂げな顔でこちらを見ていた。そういう表情が世界で一番似合う子だと思う。その美しさに声を失い、このままずっと眺めていたいと心の底から思ったが、どうにか自制した。


「ただいま、ナズナ」

「シヴァ……よかった、心配してたの……」


 物憂げな顔がホッとした顔に変わると、ナズナの神々しいまでの美しさが消え、変わって年相応のかわいらしさになった。

 ああもうこの落差がたまらない、とシヴァンシカはニヤけてしまいそうになったが。

 いけない、と気を引き締めて、真顔になった。


「まったくもう、あなたは」


 お茶の袋を机に置くと、シヴァンシカはナズナに歩み寄り、両手でぺちんとその顔を挟み込んだ。


「手を出しちゃダメ、て言わなかった?」

「でも……」


 至近距離でにらんだら、ナズナの顔がうっすらと赤くなった。あまりにかわいらしくてまたニヤけそうになったが、シヴァンシカは全力で顔が緩むのを我慢した。


「私とバカ王子の、国同士の戦争だ、て言ったよね? 絶対に手を出しちゃダメ、て何度も念を押したよね?」


 今日の下校時、ワイアットがよからぬ魂胆でパーティーに誘うことを、シヴァンシカは知っていた(・・・・・)。のらりくらりとかわし続けてきたが、そろそろ限界。シヴァンシカは覚悟を決めて、ワイアットとの対決に臨むつもりだった。

 それを、ナズナが阻止してしまった。


「あなたの父親は、この国の重要人物よ。レクスとアンドルゴの争いに巻き込まれたらどうするの」

「だって……シヴァが、ひどい目にあうかも、て思ったら……」

「それも覚悟の上、て話したはずよ」


 聖女と呼ばれているシヴァンシカだが、魔法のような特別な力は持っていない。一応の護身術は身につけているが、正式に武術を習っているワイアットに襲われたら抗いきれない。

 そして連れて行かれた先でどうなるかなんて――考えたくもないが、わかりきっている。


「私の国……レクスの状況は、あなたも知っているでしょ?」

「わかってる。わかってるけど……私、やっぱり嫌よ」


 ナズナの瞳が潤み出す。

 ああもうずるい、とシヴァンシカは身悶えしそうになる。いつも冷静なナズナの涙なんて、何も言えなくなってしまいそうだ。


「……アンドルゴがレクスに攻め込んだら、たくさんの人が死ぬの」


 シヴァンシカはそっとナズナの涙を拭った。


「私がバカ王子に嫁げばそれが回避される……そうでしょ?」


 いくらワイアットがバカ王子でも、シヴァンシカがどういう立場の人間かわかっているはず。それに、シヴァンシカほどの美女はそうそう手に入るものではない。一度欲望を果たして終わりとはならず、シヴァンシカはそのままワイアットに嫁ぐことになるだろう。

 そんな説明を散々したというのに。


「いや」


 驚くほどきっぱりと、ナズナが反論した。

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