48.シナリオライター
セシルの笑顔が醜く歪んだ。
「兄上、お待ちを」
「なんだ?」
「いえ、ひとつ聞きたいことができまして」
万年筆を胸ポケットにしまい、セシルがシヴァンシカに歩み寄ってくる。十三歳にしては小柄なセシルが、目の高さにあるシヴァンシカの胸ぐらをつかみ、力任せに引き寄せた。
「……誰だ、てめぇ?」
ドスの効いた声で、セシルがうなる。獲物を前にした猛獣のような声と顔に、シヴァンシカはゾクリと震えた。
「なんでその名を知っている? 誰かに聞いたのか?」
「く、苦しい……」
「答えろよ!」
「きゃっ!」
引き寄せられ不安定になった体勢のシヴァンシカに、セシルは乱暴な足払いをかけた。
縛られているシヴァンシカは、受け身を取ることもできず床に倒れた。
「なんっかおかしいと思ってたんだよ。俺の力が思うように発揮されなくてよ」
「お、おい、どうしたセシル」
豹変したセシルの様子に、ワイアットも面食らっていた。
そんなワイアットを無視し、セシルはしゃがみ込んでシヴァンシカの髪をつかむと、力任せに引っ張り上げた。
ぶちぶち、と何本かの髪が切れた。
シヴァンシカは痛みに顔を歪めた。そんなシヴァンシカを見て、セシルは獰猛な笑みを浮かべる。
「さっさと答えろよ。お前誰だ? どうして俺の元の名を知っている」
まさか本当に、とシヴァンシカは驚いた。
室田青磁。
誰あろう、ゲーム「閨房戦記」シリーズのシナリオライターだ。
『私』は、この男が苦手だった。
常に横柄で威圧的、俺だけが本物のプロだと言って、アルバイト扱いの『私』をいつもバカにしていた。作品に生かすためだと、セクハラまがいの言動を受けたことも一度や二度ではない。
女なんざ、ヤラれてボロボロにされてナンボなんだよ!
ゲラゲラ笑いながらそんなことを言う、そういう男だ。
「おい、答えろよ」
その男が、どうしてここにいるのか。
「お前、自分の立場わかってんのか?」
「あうっ!」
セシルが髪から手を離した。シヴァンシカはゴツリと頭を落とし、その痛みに涙をにじませた。
「いいか、俺がこの万年筆を一振りすれば、世界は俺の思い通りなんだぜ?」
セシルが胸ポケットの万年筆を示し、自慢げに語る。
「お前がどんな目に合うかは、俺の気分次第なんだよ。さっさと言わねえと、ありったけの陵辱シーン用意するぞ?」
「思い、通り?」
「ああそうだぜ。なんたってこの世界は俺が作ったんだからな。俺はこの世界の神なんだよ」
婚約するはずのナズナとワイアットが婚約しなかった。
憎み合うはずのナズナとシヴァンシカが、よりにもよって恋人同士になっていた。
鬼畜で陵辱なイベントを満載にしたルートのはずなのに、それがまるで起こらない。
「挙げ句の果てに、二人仲良く卒業しやがって。ふざけてるんじゃねえぞ、俺はそんなヌルい話、書いてねえっての」
だから、変えたのだと言う。
万年筆を振るい、この世界の因果を組み替え、己が理想とする結末に。
「どうだ、幸せな結末の直前に奈落の底に落とされるのは。最高に鬼畜だろ?」
「あ、あんたって人は……」
「さっさと答えろよ。ひょっとしてお前も転生者か?」
言えない、言えるわけない。
シヴァンシカが『私』だと、この男のシナリオを元にキャラクターデザインをした『ひまり』だなんて、絶対に言えない。
言えばきっと、よりひどい結末を用意する。そういう男だ。
「はん、答える気はねえってか?」
口を閉じたままシヴァンシカに、セシルが笑う。ぞっとする酷薄な笑みに、シヴァンシカは血の気が引いた。
「だったらちょいと、痛い目を見てもらおうか」
セシルはポケットに刺した万年筆を手に取った。
くるり、と一回まわし、キャップを取る。
その途端、あの耳障りな雑音が、シヴァンシカの頭の中に響いた。
「くっ……」
万年筆の先が、空中に何やら文字を書く。するとシヴァンシカは、体が少し浮いた気がした。
そして、セシルがキャップを閉じると、浮いた感じも雑音も消えた。
「これが俺の力。世界改編さ」
「世界……改編?」
ワイアットが二人のそばに立った。
ビクッとして見上げると、ワイアットがぎらついた目でシヴァンシカを見下ろしている。
「では、身体検査と行こうか」
ワイアットが強引にシヴァンシカを抱き起す。
一体何を、と思った直後、ワイアットが乱暴な手つきでシヴァンシカの体をまさぐり始めた。
「い、いやっ!」
「はん、身体検査でも何でもしろ、と言ったのはお前ではないか」
「そ、そんなこと……」
言ってない、と言い返そうとして、ハッとした。
セシルが、ニヤニヤ笑いながらシヴァンシカを見上げている。
――疑うのなら身体検査でも何でもしろ、そう言い返したシーンがあるだろ?
セシルの声が頭の中に響く。
ある。
確かにある。
だがそれは、コルベア公国ルートで発生するイベントでのシーンだ。共和国ルートでそんなシーンはない。
――それをちょいと、ここへ持ってきただけさ。
なにそれ、とシヴァンシカは言葉を失った。
そんなことができるのなら、結末は思いのまま。いくら「攻略情報」を知っていても、破滅を避けられるわけがない。
――ほら、さっさと吐かないと、剥かれるぜ?
「さあて、何を隠しているのかな、聖女様」
呆然とするシヴァンシカの体を、ワイアットがまさぐっていく。ゾワリとした悪寒が背中を走り、シヴァンシカは声を震わせた。
「や……いや、やめて……離して……」
「ん? 袖に何か入っているな?」
ワイアットが法衣の袖に手を突っ込んだ。
引っ張り出されたのは、守刀の短剣。
「おいおい、短剣かよ。こんなもの隠し持ってどうする気だ、聖女様?」
「そ、それは、聖女の正装で、守刀だって……」
「聖女の正装に、守刀などありませんよ」
クリシュナ導師があきれた声を出す。
「まったく、聖職者が武器など。あなたは本当に堕落されたのですな」
「その法衣の下に、何を隠し持ってるかわからんな」
クンッ、とワイアットが守刀を抜いた。
そしてその切っ先をシヴァンシカの法衣にあてがい、獣の笑みを浮かべる。
「やむを得んな、全部脱がすとしよう」
ザクリ、と法衣の胸元が切り裂かれ、シヴァンシカの肌があらわになった。
「いや……いやぁっ……」
救いを求めてカレンを見たが、カレンはシヴァンシカから目を背けていた。
クリシュナ導師と女官たちは、偽聖女には当然の報いという目でこちらを見ている。
共和国首相も、各国大使も、無法が行われようとしているのに咎めようとする気配もない。
いくらなんでも、これはないでしょ、とシヴァンシカは恐怖に震える。
だが、覚えがある。バッドエンドの中でも最悪のもの。本物の聖女なら神が守るはずと言われ、大勢の人が見ている前で乱暴されるエンド。
まさかそれなのか、とシヴァンシカは体が竦んだ。
――つじつま合わせが大変だけどね。
セシルの声が頭の中に響く。
――それさえできれば、結末は思いのままさ。
「大人しくしていないと、ケガするぞ?」
ワイアットが守刀を握り直した。
このまま、シヴァンシカの法衣を切り裂いて裸にしようというのだろう。
「いや……」
ナズナが助かるのなら、破滅したっていい。
ずっとそう思っていた。
だが、いよいよその時を迎えて、シヴァンシカは心の底から恐怖した。
「助けて……」
シヴァンシカを縛っていた縄ごと、法衣が切り裂かれていく。シヴァンシカは涙を流し、震える声を絞り出した。
「助けて……助けて……ナズナぁ……」
法衣が足元まで切り裂かれ、ワイアットが守刀を投げ捨て、法衣に手をかけた。
「さあて……ご開帳といこうか!」
ワイアットが下品な言葉を浮かべて、シヴァンシカの素肌を晒そうとした。
その時。
ジャキィィィン、と鋭い音とともに、空間が切り裂かれた。




