42.襲撃者
太陽が沈み始めた夕暮れ時。
ナズナの屋敷三階、シヴァンシカが暮らした部屋で、ミズハは一冊のノートを開いてた。シヴァンシカが「神託ノート」として書き続けていた、あのノートだ。
「なるほど。これはまた愉快な内容ですね」
足元から聞こえたうめき声に、ミズハは顔を上げた。
五人の男が床に倒れ苦しそうにうめいていた。一見、労働者風の男たちだが、その風貌といい気配といい一般人ではない。いずれも鍛え抜かれた屈強の男。そんな男たちが気配を悟られることなく忍び込み、シヴァンシカの部屋を片付けていたミズハに襲いかかってきた。
「結界に穴でも開けられましたか。私の目を盗むとは、あのボウヤもなかなか」
だが、どんなに鍛えられた男でも、ミズハの敵ではなかった。
男たちの襲撃は、まるで虫でも追い払うかのように、軽々と跳ね返された。大勢を整える暇もなく一網打尽にされ、五人は床に這いつくばることとなった。
「さて。皆様、そろそろ話す気になりましたか?」
「おの……れ……」
男が憎々しげな視線でミズハをにらみつける。ミズハは冷たい笑顔を浮かべて、パチリと指を鳴らした。
バキボキと、男たちの全身の骨が砕ける音が響いた。
男たちが痛みに絶叫を上げる。その絶叫が終わるやいなや、ミズハはもう一度指を鳴らす。
すると、男たちの骨は元どおりになった。
「もう何回繰り返しましたかねえ。いやはや、大した精神力です」
「ぐ……うっ……」
「あなた方はアンドルゴの諜報員。ここへ来た目的は、聖女が書いたこのノートを奪うこと。合ってますよね?」
男は何も言わない。そんな男に感心しつつ、ミズハは読み終えたノートを鍵付きの箱に戻した。
それは、引っ越しの荷物の中で、貴重品と記されていた大きな箱だ。
あれだけ厳重に管理していたというのに、どうして自分で持って帰らなかったのかと首を傾げた。だが一読してわかった。シヴァンシカにとって、このノートはもう用済なのだ。
「少し油断しすぎですよ、聖女様」
ミズハは小さく笑うと、内ポケットから時計を取り出し確認した。
「さて、頃合いですかね」
少し前に、ナズナの魔力が弾けるのを感じた。どうやら愛弟子は使われている魔法を正しく見極め、対処できたようである。
「大魔法を打ち破ったのですから、卒業試験は合格としてもいいのですが」
先ほど感じたナズナの魔力を思い出し、ミズハは小さくため息をつく。
「やや術が粗雑でしたね。恋人が絡んで冷静さを失いましたか?」
普段は沈着冷静なナズナだが、シヴァンシカが絡むと冷静さを失うことがある。心から愛し合っている相手だ、情が優先されてしまうのだろう。
だがそれは、魔女として致命的な失敗につながりかねない。
「レクス教では、魔女は聖女をたぶらかす存在とされていますが……たぶらかされたのは、魔女の方ですかね」
ミズハが再び指を鳴らした。
男たちの骨が砕ける音、絶叫、そしてまた指が鳴り、男たちの体が元に戻る。
「では、アンドルゴ王国の諜報員のみなさま」
ミズハは立ち上がり、男たちに冷ややかな声で呼びかけた。
「レクスの実にまつわる一連の事件は、聖女を我が物にしようとするアンドルゴ王国の陰謀。聖女の荷物を狙っての不法侵入は、その証拠とさせていただきましょう」
「……ふん、証拠になるものか」
「いえいえ。あなた方がここにいる、その事実さえあれば、理屈はいくらでもつけられます」
ミズハは静かに続ける。
「例をひとつ。一国の大使を誘拐し、薬漬けにして身も心も狂わせる。そして有力者の娘を襲わせる。この動かぬ事実を元にして、こんなシナリオを組み立てることができます」
それは、神託の聖女を我が物にせんとする、不埒な王子をおとしめるための計略。
王子の女好きを利用し、王子の名を騙って多くの女性を辱めた。その仕上げとして有力者の娘を襲ったのだが、大使は思わぬ抵抗を受けて薬の使い方を誤り、それで事件が発覚した。
「どうです? ほどよくゲスで人々の興味をかき立てそうでしょう?」
男たちの驚く顔に、ミズハは満足そうな顔になる。
「くっ……」
「おっと、自殺はやめていただきましょう」
パチリ、とミズハが指を鳴らした瞬間、男たちの動きが止まった。
「後でつじつま合わせが面倒ですからね。このまま保存させていただきますよ」
時間停止。
これもまた神の領域に属する大魔法。ミズハにとっても簡単な魔法ではないが、止める空間と長さを限定すればなんとかなる。
「さて、デキる執事によき師匠と、少々堅苦しい役割が続きました」
止まった男たちを見下ろしながら、ミズハは喉の奥で笑う。
「私もそろそろ、楽しませていただきましょうかね」