41.偽聖女
バシンッ、と弾けるととともに投げ出され、シヴァンシカはどさりと落ちた。
落ちた衝撃で意識が戻る。
どこへ落ちたの、と恐る恐る目を開いたが、さきほど倒れこんだソファーの上であることに気づいてほっとした。
「なに……今の……」
全身を嫌な汗が流れている。頭の中のノイズは嘘のように消えているが、全身がひどくだるい。ずいぶん寝ていたような気がしたが、時計を見ると一分と経っていなかった。
だが、何か妙だ。
部屋の雰囲気が微妙に違う気がした。はてなんだろう、と首をかしげながら、シヴァンシカは机の上に置かれていた温かいハーブティーを口にした。
「え?」
何気なく飲んだハーブティーに気づき、シヴァンシカは驚いた。
これ、いつ運ばれてきた?
温かいものがほしい、と女官にお願いはした。だが、いつ誰が持ってきて、ここへ置いたのだろうか。全員が出ていって一分と経っていない。そんな短い間にお茶を持ってきて机の上に置き、部屋を出ていくなんてことができるのか。
「なに……これ、どういうこと?」
何かおかしい。
危険が迫っている、そんな気がする。
だけど何の根拠もない。危険とは何かがわからないから、どう備えていいかわからない。他に何か変わっていることはないか、と部屋の中を見回し、入口付近の棚の上に杖と守刀が置かれているのが見えた。
「袖の内側に、隠しポケットを作っておきましたから」
不意に、昨日ミズハに言われたことが思い浮かんだ。
「いくら聖女の正装とはいえ、守刀は武器です。要人と会うときは隠しておいた方がよいでしょう」
どうしてそんなこと思い出すのかわからない。だが、今はそれに従うべきだ、とシヴァンシカの直感が告げていた。
シヴァンシカは棚に駆け寄り、守刀を袖の隠しポケットに入れた。
それを見計らったように、誰かが近づいてくる足音が聞こえてきた。シヴァンシカは慌ててソファーに戻り、背もたれに体を預けて目を閉じた。
「聖女様」
やってきたのはクリシュナ導師だった。目を閉じているシヴァンシカを見て、「おやおや」とあきれた声を上げた。
「なんですか?」
「いえ、この状況で寝ているとは。大した度胸だと思いまして」
「体調が悪いと、伝わってないのかしら?」
「まあ、体調も悪くなるでしょうな。ですがそれで逃げられると思わないでいただきたい」
「逃げる……?」
何を言っているんだろう、と首を傾げたシヴァンシカに、クリシュナ導師は嫌な笑いを浮かべた。
「各国大使がご到着されました。さあ、参りましょうか」
到着した?
クリシュナ導師の言葉に、シヴァンシカは首をかしげた。各国大使はすでに到着していて、クリシュナ導師が相手をしていたのではないのか。
「お立ちください」
女官が左右から詰め寄るように迫ってくる。有無を言わさぬその態度に、シヴァンシカは無言で立ち上がる。
「……杖はいいの?」
「我々がお預かりします」
クリシュナ導師に言われて、女官の一人が杖を手にした。
先ほどまで「持たないなんてとんでもない、聖女の正装なのですよ」と言っていた女官が、である。
「行きましょう」
クリシュナ導師を先頭に、シヴァンシカたちは歩き始めた。それは、聖女を守る一団というよりは、罪人を連行する刑務官のようだった。
「……各国大使との、交歓会なのよね?」
「交歓会? 何をおっしゃっているのです」
シヴァンシカの言葉に、クリシュナ導師が振り返りもせず肩をすくめた。
「アンドルゴ王国からの抗議に対する、申し開きの場ですよ」
「抗議?」
「レクスの実の不正な流通。ワイアット殿下の評判を下げるための裏工作。アラディブ導師が主導していた工作が明るみに出て、王国から抗議が来ている。そう申し上げたはずですが」
「は……?」
「こんな事態だというのに、いったいなぜ交歓会などという発想が出るのか。全く理解できませんな」
あきれたクリシュナ導師の言葉に、取り囲む女官から失笑が漏れる。シヴァンシカは驚愕のあまり、その失礼な態度を咎める気にもなれない。
「魔女にたぶらかされ神に捨てられたか、あるいは最初から偽物だったか。まあどちらでもかいません」
広間入口の前で立ち止まり、クリシュナ導師がシヴァンシカを振り返る。
その、ぞっとするほど冷たい視線に、シヴァンシカは息を飲んだ。
「レクス国は存亡の危機に瀕しておりましてな。媚でも何でも売って、王子のご機嫌を取っていただこう。わかりましたかな、偽聖女様」
第9章 おわり




