40.世界改編
卒業式が終わると同時に慌ただしく学園を後にしたシヴァンシカ。
そんなシヴァンシカを遠目に見送ったのち、ナズナは謝恩会に顔を出し、お昼を少し回ったところで学園を後にした。
「まあ、楽しい五年間だったわね」
今後はギムレット家の一人娘として父を手伝うことになっているが、さしあたっては無職である。半月ほどのんびりして、その間に今後のことを、シヴァンシカをどうやって取り戻すかを考えるつもりだった。
「そういえば」
不意に、出がけにミズハに言われたことを思い出した。
「一人前の魔女となれたか、卒業試験も行わなければなりませんね」
慌ただしく準備をしているときに、そんなことを言われた。バタバタしてるときに言わなくても、と恨めしく思ったが、どうにも意地が悪いのが魔法の師匠としてのミズハだ。
「執事のときは、きめ細やかな心遣いで助かっているのになあ」
ナズナが別館へ移ることになった時、別館の執事としてやってきたミズハ。
彼女が魔女であると知った時には驚いた。弟子入りし、師として礼を尽くそうと言葉遣いを改めたのだが、「私が師として振舞わない限り、執事として扱うように」と厳命された。
「魔女は人をあざむくもの。その程度できなくてどうします」
名家のご令嬢としても役立つスキルだと思いますよ、とも言われた。
確かに、社交の場で役に立つスキルかもしれないが。
「あれ絶対、私が戸惑うの楽しんでたわね」
そういう師匠である。
さて、どんな卒業試験を課されるのだろうか。屋敷に戻る道すがら聞いてみようと、ナズナは正門近くの馬車止めへと急いだ。
「あら?」
だが、迎えに来ていたのはミズハではなかった。本邸で、父に従っている初老の執事ウォルトが待っていて、ナズナを見るとゆっくりとお辞儀をした。
「どうしたの? ミズハは?」
「ジル様より、お嬢様を本邸へ連れてくるようにと言いつかりまして」
「一度屋敷に戻って、着替えてから行こうと思っていたのだけど……」
「卒業式に出られませんでしたからな。お嬢様のハレ姿を見たいとのご希望でございます」
「あら、そうなの」
何かあったな、とナズナは直感した。
父が仕事で卒業式に来られないのは前々からわかっていた。そのことを嘆いていたのも事実。だが、それならそうと言っておいてくれれば、こちらから本邸へ向かうよう準備をしたというのに。
「わかったわ。このままお伺いします」
ナズナはうなずき、馬車に乗った。
さて、何が起こったのだろうか。
走り出した馬車の中で、ナズナは静かに考える。十中八九、シヴァンシカがらみだろう。だがシヴァンシカの何に関してだろうか。
レクスの実か、アンドルゴ王国との関係か、ひょっとするとナズナとシヴァンシカとの関係についてか。
「どれをとっても、国際問題になりかねないわね」
じたばたしても仕方ないか、とナズナは目を閉じた。
そのとき。
「……っつ」
ナズナの頭の中で、ザザザッ、と耳障りな音が響いた。
まただ。
数日前からたまに聞こえる不快な音。そういえば朝シヴァンシカを見送った時にも聞こえてきた。
「なんなのかしら、これ」
音に続いて襲ってくる猛烈な眠気。一瞬で眠りに引きずり込まれ、体がふわりと浮いたような気になった。
「お嬢様、到着しました」
ウォルトに声を掛けられ、ナズナはハッとした。
え、もう着いたの、とナズナは首をかしげた。
学園からギムレット家の本邸まで、どんなに急いでも馬車で一時間はかかる。だが、馬車に乗り込んで目を閉じたかと思ったら、もう本邸に着いていた。
ありえない。何かが、起こった。
「……ありがとう」
ナズナはハンドバックから杖を取り出し、袖の中に忍ばせてから馬車を降りた。
「お帰りなさいませ」
本邸で働く使用人が総出でナズナを出迎えてくれた。その数およそ三十名。庭の手入れや裏門の警備担当まで勢ぞろいしていた。
「ご卒業、おめでとうございます!」
「ありがとう。でもどうしたの、こんなに大げさな出迎え」
「一生に一度のお祝い事ですからな。みな、お祝いを言いたくて集まってきたのですよ」
ウォルトにうながされて屋敷に入る。
相変わらずだだっ広い玄関ホール。
そこに、娘のハレ姿を見たくて呼びつけたはずの父の姿はない。
ナズナは玄関ホールのほぼ中央で歩みを止めると、ぐるりと取り囲む使用人たちに苦笑を浮かべた。
「ウォルト」
「何でございましょう?」
背後に立つウォルトが固い声で答える。使用人たちの緊張が高まり、息を飲むのが手に取るように分かった。
「用件を伺いましょう。返答次第では、タダでおかなくてよ?」
「……ギムレット家のためでございます、お嬢様」
「ギムレット家のために、その跡取り娘を取り囲んで武器を向けようというのかしら?」
「やむを得ないのです。これには、ギムレット家の存亡がかかっております」
使用人たちが隠していた武器を構えた。
「ジル様のご承認は得ております。お嬢様、しばらくの間、本邸に滞在していただきます」
「軟禁というわけね」
さてどうしてくれようか、とナズナが振り向いてウォルトに向き直った時。
また、ナズナの頭にザザザッと雑音が響いた。
「くっ……」
一瞬だけ意識が消え、気が付いたときには武器を持つ使用人に囲まれていた。
「どうかそのまま。誰一人、お嬢様を傷つけたくはないのです」
ナズナはウォルトが手に持っているものを見て目を細めた。
「魔封じの手錠……」
「これでお嬢様の魔法を封じさせていただきます」
「よくそんなものを持っていたわね」
数は少ないとはいえ、世界各国に魔法使い、あるいは魔女と呼ばれる者がいる。強力な攻撃魔法を操る魔法使いはそれだけで脅威であり、古来より魔法を封じる方法は研究され続けていた。
だが執事が持っているのは、骨とう品店で扱っているような古い手錠ではない。
「それ、アンドルゴ王国が開発している最新のものね? なぜあなたが持っているの?」
「私から答えるのは、控えさせていただきます」
まずいな、とナズナは思った。
アンドルゴ王国が関与しているとなれば、狙いはナズナではない。シヴァンシカだ。邪魔されないよう、ナズナを家に閉じ込めておくつもりだ。
「大人しくしてください。すべてはお嬢様をお守りするためです」
ナズナの頭に再び雑音が響く。その時になってようやくナズナはその雑音の正体に気づいた。
魔法、あるいはそれに類するもの。
それもかなり大規模なもの。
「くっ……」
頭の中のノイズがひどくなる。視界がぶれ、体がふわりと浮き、そして世界が回り出す。
まさか、とナズナは魔法の正体に気づき、目を見張った。
「これ……世界改編!?」
この世の因果律を組み換える大魔法。神の領域にあるその魔法が、いままさにナズナの周囲で発動していた。
しかも狙いはナズナ一人ではない。
こんな大魔法をこの規模で、ホイホイと発動できるものではない。おそらく、かなり以前から魔法は発動されていたのだろう。
そして。
こんな大魔法が使われて気づかないミズハではない。だが、ミズハが対抗している様子はない。
おそらくこれが、ミズハが言う卒業試験。
これをはねのけてナズナ自身を、そしてシヴァンシカも救え、ということに違いない。
「ホントに……意地悪なお師匠様ですこと!」
「お嬢様、どうかそのまま! 我々は……」
「ウォルト」
ウォルトの言葉を遮り、ナズナは妖しく目を光らせた。
「私の術の洗練度は、お師匠様に遠く及ばない。少々痛い目を見るのは覚悟なさい!」
バシンッ、とナズナの魔力が弾ける音がした。
その途端、ナズナの頭の中からノイズが消え、周囲にいた使用人が弾き飛ばされた。その衝撃で、使用人たちが持っていた武器が宙を舞う。ナズナは素早く杖を取り出し、大きく一振りして武器を遠くへ吹き飛ばした。
「ウォルト」
「お、お嬢様……」
眼前に杖を突きつけられ、顔面蒼白となったウォルトを、ナズナは視線で射貫く。
「何が起こっているか、すべて話しなさい。さもなくば『漆黒の魔女』が、この場で断罪してあげるわ」




