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35.神様を捨てた夜

 十代前半の美少年。

 ノートをいくら読み返しても、そんな登場人物のことは書かれていなかった。『私』の記憶にも美少年をデザインしたという覚えはない。

 なら、あれは誰なのだろうか。

 ただの通りすがりであるはずがない。今日死にかけたのは、あの少年がかかわっているはず。決して無関係ではないはずなのに、何の手掛かりもない。


「死にたくない……」


 小さくつぶやき、シヴァンシカは体を震わせた。


 ナズナが助かるのなら死んでもいいと思っていた。ずっとそう思って生きてきた。

 だけど、本当は違った。


 生きていたい。ずっとナズナのそばにいて、ナズナとともに生きていきたい。

 だけどそれは無理なのだ。

 シヴァンシカかナズナ、どちらかが破滅するのがこの世界の絶対の条件なのだから。


「死にたくない……私、死にたくない……どうしたらいいの……」


 扉を優しく叩く音がした。

 シヴァンシカは慌ててノートを閉じ、引き出しに放り込んで鍵をかけた。


「どうぞ」


 静かに扉が開き、寝間着姿のナズナが入ってきた。


「もう夜中よ。疲れたから早めに寝るんじゃなかったの?」

「うん……そのつもりだったんだけど、目が冴えちゃって」

「何かあったの?」


 ナズナがシヴァンシカを抱きしめた。

 甘い香りが温もりとともにシヴァンシカを包む。シヴァンシカはホッとした気持ちになり、ナズナの小柄な体を抱きしめた。


「お茶会で、お手洗いから戻ってきた後から……何か変よ」

「えー、疲れただけよ。何でもないって」

「うそ」


 ナズナの黒く透き通った目が、シヴァンシカをじっと見つめる。「何でもない」というシヴァンシカの言葉に納得していないのが伝わってくる。


「そんなに見つめられると……キスしたくなっちゃう」

「いくらでもしてあげる」


 ナズナは小さく笑い、シヴァンシカと唇を重ねた。

 長く、情熱的なキスだった。体が熱くなり、心がとろけ、何もかもをナズナに委ねたくなる。そんなキスに、すべてを話したくなってしまう。


「話す気になった?」

「だから……ホントに何でもないってば」


 だけど、言うわけにはいかない。ナズナを巻き込み危険にさらしたくない。

 それよりも、とシヴァンシカは強引に話題を変えた。


「ねえナズナ。贈り物があるんだけど」

「私に?」


 シヴァンシカは椅子から立ち上がり、布をかけていたイーゼルの前にナズナを連れて行った。


「これよ」


 シヴァンシカは布を取り、ナズナに肖像画を見せた。


「……ひょっとして、もう見た?」


 落ち着いた様子のナズナを見て、シヴァンシカは苦笑する。ナズナはうなずき、シヴァンシカの腕に両手を絡めた。


「昨日の夕方にね。シヴァ、床の上で寝ていたのよ? 寝ぼけて抱き着いたの、覚えてない?」

「あー、やっぱりあれ夢じゃなかったのね」

「ごめんね、先に見ちゃって。でも……感動して泣いちゃったわ」

「そっか」


 シヴァンシカは絵筆をとった。


「じゃ、ちょっとだけ手を入れようかな」


 絵筆の先で絵具をすくうと、シヴァンシカはそれを絵に乗せた。

 少し濃いめのピンクが、ナズナの唇に塗られる。


「今日の口紅、こんな色だったよね」

「まあ!」


 ナズナは目を見張った。


「唇の色ひとつで、印象がすごく変わるのね」

「ちょっぴり大人っぽくなったでしょ?」

「ええ、素敵よ。あんまりにも素敵すぎて、ちょっとむず痒い感じだわ」

「この絵、受け取ってくれる?」

「もちろんよ! うれしいわ。正直に言うとね、リンダ様がうらやましかったの」


 ナズナの喜ぶ顔に、シヴァンシカはとても幸せな気分になった。

 この笑顔の隣で、ずっと生きていたい。

 そんな思いがこみ上げてくる。だけどそれは叶わぬ夢。ならばせめて、ありったけの想いを込めたものをナズナに残しておきたかった。


「ねえ、聞いてもいい? どうして描いてくれたの?」


 ナズナが問いかけてきた。シヴァンシカの想いを見透かしたような問いに、シヴァンシカの心がホロリとあらわになる。


「……ナズナを、愛してるから」


 シヴァンシカはナズナを抱きしめた。


「私ね……ずっと描きたかったの。ナズナの絵を、ずっと描きたかったの。そのためだけに、シヴァンシカとして生まれ変わったの」

「え?」

「ごめんね、わけわからないよね。だけど……ここで死ぬ運命だとしても、私はあなたに会いたかった」


 涙があふれて止まらなかった。

 ナズナは何のことかわからないだろう。それでいい、ナズナは何も知らなくていい。ただ、自分がこんなにも愛しているのだということを覚えていてくれればいい、それがシヴァンシカの一番の願いだった。


「ここで……死ぬ運命?」


 ナズナが低い声でつぶやき、シヴァンシカの腕に絡めた両腕をほどいた。


「シヴァ、何を言ってるの? どうしてあなたが死ぬの? あなたは国へ帰って、聖女として生きていくのよ?」


 ナズナが両手でシヴァンシカの顔を挟み、まっすぐ射貫くような目でシヴァンシカを見つめた。


「……それが神託なの? 答えて、シヴァ。あなたがここで死ぬ、それが神託なの?」

「ごめ……ん、言え、ない……」


 長い沈黙が二人を包む。

 ポロリ、ポロリとこぼれるシヴァンシカの涙を見て、ナズナの顔が次第に険しくなる。


「なんなのその神託」


 ナズナがつぶやいた。

 静かで、小さな声だった。だがその声に込められた感情は、計り知れないほど大きかった。


「ナズ……ナ?」

「許さないわ。たとえ神様であっても、そんな未来はこの私が許さないわ」

「え……わ、ちょっ……ん……」


 ナズナが強引にシヴァンシカを抱き寄せ、唇を重ねた。

 息ができなくなるほど強く抱きしめられて、シヴァンシカは何も考えられなくなる。


「あなたの神様が助けてくれないなら、私が助けてあげる」

「ナズナ……」

「シヴァのためなら、私は神様とだって戦う。シヴァが死ぬなんて、この私が許さない」


 ナズナの目が怒りで燃えていた。激怒と言っていい。そんな怒りをナズナが見せるのは初めてだった。


「あなたが聖女として生きていくと決めたから……我慢してたのに。そんなこと言う神様だなんて、見損なったわ」

「その、あの、違うの……そうじゃなくて……」

「じゃあなんなの。答えて」


 ナズナの問いに、シヴァンシカは口ごもる。

 戸惑い、何も答えないシヴァンシカを見て、ナズナはすうっと目を細めた。


「もういいわ。シヴァ、そんな神様は今ここで捨てなさい」

「え?」

「シヴァを守れないなら、神様にシヴァはあげない」


 ふわり、とシヴァンシカの体が浮いた。


「え、ちょっと……ナズナ? うわっ、わわっ!」

「あげるものですか。シヴァは私のものよ。もう我慢しない」


 宙に浮いたシヴァンシカの手を取り、ナズナがベッドへ向かって歩き出した。


「あ、あの、ナズナ、その……」

「覚悟してね、シヴァ」


 戸惑い、うろたえ、どうしよう、と迷っている間にベッドに仰向けに寝かされた。

 やばい、これ本気だ、とシヴァンシカは息を飲み、逃げようともがいたらキスされた。

 今までにしたキスの中で、一番優しくて、甘いキスだった。

 ナズナの温もりと匂いに包まれて、シヴァンシカの思考が止まる。気が付いたらナズナを抱きしめていて、逆らう気力など失せてしまった。


「今から、あなたの全部を私のものにしてあげる」


 唇を離したナズナが、シヴァンシカの寝間着のボタンに手をかけた。


「だから、神様なんか捨てて私を信じなさい、シヴァ」

「……うん」


 これは正しい「選択」なのか。

 そんな考えがちらりとよぎったが、もうどうでもいいとシヴァンシカは目を閉じた。



 その夜――聖女は神様を捨てて。

 自分の全てを、愛する魔女に捧げた。

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