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34.本当の気持ち

 お茶会では決して一人にならないように。


 ナズナにはそう注意されていたが、シヴァンシカは一人庭園を離れ、ホテルの中を歩いていた。

 深い理由はない。単なる生理現象である。


「すぐ戻るし、大丈夫よね?」


 ナズナはリンダと話し込んでいたし、そもそも「トイレに付いて来て」なんて子供みたいで恥ずかしかった。

 だが「すぐ戻る」という考えは、甘かったと思い知らされる。

 庭園から一番近いトイレは大変な混雑で、三十名近い女性が並んでいた。待っていたらいつになるかわからない。なかなかに切迫した状況だったシヴァンシカは、ホテルのスタッフに頼んで宿泊フロアのトイレを借りた。


「はあ」


 身繕いを済ませてトイレを出ると、眼下に庭園が一望できた。二百名近い参加者の楽しそうなお茶会の光景。それを見てシヴァンシカは微笑んだ。


「楽しかったな」


 シヴァンシカとして生まれ変わって以来、ナズナに出会い、ナズナを死なせない、そのためだけに生きてきた。

 話しかけられても、返事をしたら「フラグ」が立つのではないか、それはナズナの死につながるのではないか、そう考えるとうかつに返事ができなかった。


「ずっと前から、シヴァンシカ様とお話したかったんです」


 集まったみんなにそう言われ、うれしかった。お茶を飲みながらおしゃべりをして、笑って、本当に楽しかった。


「私……シヴァンシカとしての人生を、全然楽しんでいなかったのね」


 絵を描く楽しさ、友達とおしゃべりして過ごす楽しさ、そんなことすら味わっていなかった。すべてはナズナを死なせないため、そのためだけに生きてきた。それをナズナが知ったら、きっと怒るだろう。


「……気づくの、遅かったかな」


 卒業まで、あと一週間。

 シヴァンシカとしての人生はそこで終わる。終わらなきゃならない。それがナズナが生き残る唯一の条件だから。

 もう、それを怖いとは思わなかった。

 昨日ナズナの絵を描き上げたとき、シヴァンシカは満足した。『私』はあの絵を描くためにシヴァンシカに生まれ変わり、それを果たした。もうシヴァンシカとしての人生に望むことはないはずだ。


「……ん、やめやめ」


 シヴァンシカは軽く頭を振って気持ちを切り替えた。考えたってどうにもならないのだから、悩むのはやめだ。


「さて、と。戻らなきゃ」


 お茶会もそろそろお開き。リンダが最後のあいさつをする前に戻らないとナズナに叱られるだろう。シヴァンシカは急ぎ足で階段へ向かった。


「……?」


 階段の一歩手前で、なぜかシヴァンシカは足を止めた。

 あれ、と首を傾げつつ、引き寄せられるように顔を上げた。


 上階への踊り場に、金髪の美しい少年が立っていた。


(誰?)


 少年が嫌な笑いを浮かべた。胸ポケットから万年筆らしきものを取り出し、くるりと回した。

 その途端、シヴァンシカの意識がぼやけた。

 ザザザッ、と耳障りな音が頭の中で響き、体がふわりと浮いた気がした。


 ――お茶会の途中、うっかり階段を踏み外して転落死。


 誰かの声が聞こえた。いきなり夢の中に放り込まれたような感覚に包まれ、体の自由が奪われた。


 ――そんな理不尽で無情な終わり方も、ありかな?


 シヴァンシカは階段へ向かって歩き出した。あれ、なんで私、と疑問に思ったが、ザザザッという雑音がシヴァンシカの意識を消してしまった。


 一段降りて、ぐらりと体が揺れた。

 手すりにつかまろうとした手が、空を切った。


 落ちる、と思った。


 だが、体が自由に動かなかった。

 二階から一階への長い階段。受け身も取らずに転がり落ちればケガだけでは済まない、そうわかっているのに体は全く動かなかった。


(あれ……私……ここで、終わり?)


 かすかに残った意識で、シヴァンシカがそう考えたとき。

 パチリ、と指を鳴らすような音が聞こえ、頭の中の雑音が止まった。


「ひっ……」


 雑音が消えた途端、シヴァンシカの意識が戻った。

 体に自由が戻り、シヴァンシカは慌てて手すりにつかまった。ガツン、と背中を打ったものの、かろうじてそこで止まり事なきを得た。


 ――何だ……どういうことだ。


「お客様!?」


 シヴァンシカに気づいたホテルスタッフが駆け上がってくる。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ……ちょっと、足を踏み外しただけ」


 ジンジンと背中が痛む。スタッフに助けられてどうにか起き上がると、シヴァンシカは階段を見上げた。

 上階への踊り場にあの少年の姿はなく、夢でも見たのだろうかという気にすらなった。


 ――ちっ……まあいいか。


 舌打ちとともに、あの声が遠ざかっていく。

 何なの、誰なの、と周囲を見るが、怪しい人物はいない。


 ――仕方ない。ちゃんとやろうか、『断罪』イベントを。


 それきり、声は聞こえなくなった。


「断……罪?」


 ゾクリと体が震えた。嫌な汗が背中を流れ、胃が鷲掴みにされたような気になった。


「お客様、おケガは? 念のため救護室へ行きましょうか?」

「大丈夫……ありがとう」


 心配してくれるホテルスタッフに礼を言い、シヴァンシカはゆっくりと階段を降りた。

 何が起こったのか、さっぱりわからない。

 だが、あの少年は幻などではなく、あの声は幻聴などではない。


 そして、はっきりと言った。

 『断罪』イベントをやろうか、と。


「はは……」


 階段の最後の一段を降りた時、シヴァンシカの頬を一筋の涙がこぼれた。


「だめじゃん、私」


 怖い。死ぬのが怖い。

 今まさに死にかけて、その恐怖を知った。


 満足したはずなのに、覚悟はできているはずなのに、それが薄っぺらいものだったのだと思い知り。


「私……私は……ずっと、ナズナと一緒に、生きていたい……よ」


 シヴァンシカは、自分の本当の気持ちにようやく気付くことができた。

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