29.最後の対決
ああ、これは夢だ――。
髪を上げ真っ赤な紅を唇に差し、豪奢なドレスに身を包んだシヴァンシカ。その姿に聖女の面影はなく、ただ美しさだけが際立つ女性となった。
これが、私か。
鏡に映る姿を見ても、自分だとは思えなかった。はしゃいだ気持ちにはなれず、小さなため息をつく。
だがこの道を選んだのは自分。いまさら引き返すことはできない。
シヴァンシカは軽く頭を振ると、贈られたネックレスとイヤリングを身に着け、身支度を終えた。
「見違えましたね。間違いなく、今夜の主役はあなたでしょう」
「……ありがとう」
固い声で告げられた賞賛に、シヴァンシカは抑揚のない声でお礼を言い振り向いた。
栗色の髪を結いあげ、オレンジ色のドレスに身を包んだカレンが、シヴァンシカに厳しい視線を向けていた。
「カレン様。準備、手伝ってくださってありがとう」
「ベロニカ商会の娘として、務めを果たしただけです」
物静かで優しいカレンが、険のある声で応じた。
そうか、ベロニカ商会の娘としてか、とシヴァンシカは小さく笑った。
これで唯一の友人もいなくなった。寂しいが仕方がない。レクス国民八十万の命がかかっている。シヴァンシカの個人的な思いなど、切り捨てていくしかなかった。
「……他にやり方はなかったのですか、シヴァ」
部屋を出て行こうとするシヴァンシカに、カレンがすれ違いざまに問いかけた。
「私、とてもおめでとうと言う気になれません」
シヴァンシカは立ち止まり、無言でうなずいた。カレンの言葉は多くの人の本音だろう。
シヴァンシカはそっとお腹に手を当て、涙がこぼれないよう天井を見上げた。
返す言葉が見つからず、シヴァンシカは再び歩き出した。
数歩遅れてカレンがついてくる。友人としてではなく、ベロニカ商会の娘として。
レクス国の聖女、アンドルゴの第二王子ワイアット、そしてギムレット家令嬢ナズナ。
この三者がそろうパーティーが始まる。カレンをはじめとした、各国の次代を担う留学生が集う中、発表されるのは二つのニュース。
ワイアットとナズナの婚約破棄と。
ワイアットとシヴァンシカの婚約、ならびにシヴァンシカの妊娠。
国際関係に激震が走るだろう。なにせ国家元首にも等しいレクスの聖女が、アンドルゴ王国の王子を伴侶に迎えるというのだから。それは、鉱物資源が豊富なレクス国が、覇権国家アンドルゴ王国の傘下になることを意味する。国の力関係が大きく変わり、世界は混迷の時代を迎えるかもしれない。
しかし、こうするしかなかった。
世界平和のため、レクス国民八十万は王国に蹂躙されろ、なんて言えるはずがなかった。
「お前が俺のものになるなら、父上にとりなしてやろう」
ワイアットの言葉に、うなずくことしかできなかった自分が恨めしい。他にやり方はなかったのか、そう問うたカレンの言葉は、シヴァンシカ自身の問いでもあった。
「シヴァンシカ様よ!」
シヴァンシカが会場に姿を表すと、大きな歓声が上がった。事情をよく知らない者は純粋に、事情をよく知る者はあきれがちに。
この会場で誰よりも美しいシヴァンシカに、賞賛の拍手を送る。
「さようなら」
カレンの小さな声が届き、離れていく気配がした。
これまでの友情に、心からの感謝を。
シヴァンシカは心の中でそう答え、まっすぐに前を見る。
視線の先にいるのは、「漆黒の魔女」ナズナ。
華やかな会場の中にあって、一人際立つ黒いドレス。シヴァンシカの美しさに唯一対抗できる、ワイアット王子の今の婚約者。
シヴァンシカの視線に気づいたナズナが、ゆっくりと歩き出す。
人が割れ、道を作り、ナズナはシヴァンシカの前にやってくる。
「ごきげんよう、聖女様」
口元にだけ笑みを浮かべ、優雅に一礼したナズナ。シヴァンシカも礼を返し、二人は対峙する。
聖女と魔女の――最後の対決が始まる。
 




