02.ワイアット王子
授業が終わり、下校時刻。
「待て、と言っているだろうが!」
多くの学生が行き交う中で、若い男の怒鳴り声が響いた。
真っ赤な顔をして声を荒げているのは、二十歳そこそこの青年だった。
少し癖のある金髪、涼やかな顔立ち、細身だがしっかりとした体格。しかも身につけている物は洗練され垢抜けており、年頃の娘なら思わず振り向いてしまう、いわゆるイケメンだ。
そんな青年が声をかけたのは、青年と同じ年頃の美しい女性――「白銀の聖女」シヴァンシカだった。
「先ほども申しましたが……」
シヴァンシカは立ち止まり、追いかけてきた青年に向き直る。困惑した表情を浮かべ、聖女らしい穏やかな声で青年に告げた。
「教義により、お酒が供されるパーティーには参加できません。お誘いは有難く思いますが、どうかご容赦を」
「ふん、田舎宗教の教義など、知ったことか」
青年は尊大な態度で言い捨て、シヴァンシカに詰め寄った。
「アンドルゴの王子が誘っているのだ。参加するのが礼儀であろう」
青年は、世界最大の軍事国家、アンドルゴ王国第二王子のワイアット。
爽やかな外見とは裏腹に、多くの女性に手を出していることは有名で、中には警察沙汰になってもおかしくないものもある。学園幹部も苦々しく思っているようだが、強大なアンドルゴ王国に睨まれてはまずいと、政治的な配慮で黙認されていた。
「留学生とはいえ、国の将来を担う者同士だ。交流を深めておくべきだろう」
それに、とワイアットはいやらしい笑みを浮かべる。
「そなたの国レクスは、アンドルゴとは国境を接しているのだぞ。私の機嫌を損なうと祖国がどうなるか、考えた方が良いのではないか?」
露骨な脅迫に、様子を見ていた学生たちが眉をひそめた。
留学先で自国の者が騒ぎを起こす。
普通なら国の恥とされる行為だが、アンドルゴに限っては、騒ぎを口実に国同士の衝突へ発展させかねないお国柄だ。それを王子が率先してやるのだから始末に悪い。
「では……食堂で昼食をともに、ではいけませんか?」
「一時間やそこらでは、語り尽くせぬではないか。そう警戒するな、別に取って食おうというわけではない」
嘘をつけ、と誰もが思ったが、とばっちりを恐れ声を上げる者はいなかった。
「国同士で緊張があるからこそ、我々次世代を担う者が腹を割って話すべき。であろう?」
「それは、そうですが……」
「なら今夜のパーティーに参加し、くつろいだ雰囲気で、ゆっくりと交流を深めるのも務めではないか」
返答に困り沈黙するシヴァンシカに、ワイアットが笑みを浮かべ歩み寄った。
「卒業まであとわずか。やがて国家元首となる聖女様におかれては、各国有力者との顔つなぎは大切な公務ではないかな?」
ワイアットの大きな手が、華奢なシヴァンシカの腕をつかむ。
「……お放しください。無礼ですよ」
「国の代表たる者のあり方を教えてやろうというのだ。おとなしくついてこい」
「くっ……」
ワイアットの手を振りほどこうとするシヴァンシカ。
だが、体格差は歴然。
少々暴れたところで振りほどけなかった。シヴァンシカの顔が怒りに染まるが、ワイアットはそれを見て楽しそうに笑う。
「聖女様。アンドルゴ王子たる私が、改めて今宵のパーティーにお誘いしよう」
たとえ断っても、このまま強引にシヴァンシカを連れて行こうというのが見え見えだった。
シヴァンシカがちらりと周囲を見ても、巻き込まれるのを恐れて誰も割って入ろうとはしなかった。アンドルゴ王国との揉め事に発展するのを恐れているのだろう。
助けを求めたところで、誰も助けてはくれない。
悔しそうな顔をしたシヴァンシカが、肩を落とす。
それを見て、ワイアットは勝ち誇った顔になる。
「さて聖女様、ご返答は?」
「わ……わかりまし……」
「邪魔よ」
シヴァンシカの言葉が終わる直前、静かで冷たい声が響いた。
その声に、ワイアットがギクリとした顔になった。
「お、お前……」
ワイアットが視線を向けた先、ざわりと人垣が揺れて道が開くと。
黒い服に身を包んだ、一人の女が姿を見せた。




