20.魔女の怒り
「何をしているのかしら?」
ゾッとするほど冷たい声だった。その声に振り向いて、シヴァンシカは金縛りになってしまう。
ナズナが、今までに見たことのない冷ややかな表情でシヴァンシカを見つめていた。今そこにいるのは、ギムレット家のご令嬢ではなく――「漆黒の魔女」のナズナ。ナズナは鋭い目で部屋を見回し、机の上に置かれた香炉を見てさらに険しい顔になった。
「この香り。レクスの実、ね」
「あ、あの……それは……」
「ごまかそうったって、そうはいかないわ」
ナズナの手がふわりと動いた。
瞬きの間に杖が現れ、その先がシヴァンシカに突きつけられた。
「魔女は薬の専門家でもあるの。レクスの実のことも、きちんと学んでいるわ」
態度も口調も静かだが、それゆえにナズナが本気で怒っていることが伝わってきた。その迫力に呑まれて、シヴァンシカは何も言えなくなった。
「聖女様、窓を開けてくださる?」
「は、はい……」
いつもとは違う呼ばれ方に息を呑みながら、シヴァンシカは慌てて窓を開けた。
秋のひんやりとした空気が、部屋の中に漂っていた甘い香りを押し出していく。ナズナは、遅れてやってきたミズハに廊下の窓も開けるよう指示すると、つかつかと部屋の中に入ってきた。
「お聞きしてよろしいかしら、聖女様。共和国では所持すら禁止されているレクスの実が、どうしてここにあるのでしょう?」
「それは……その……」
正直に言うべきか、かばうべきか。
とっさに判断できず口ごもったシヴァンシカ。そんなシヴァンシカを、ナズナは射抜くような目で見つめ続ける。
「わ……私が、国から、持ってきたのです……」
息詰まる緊張に耐え切れず、サラが震えながら声を絞り出した。
ナズナの視線がサラに向けられる。その鋭さにサラは腰を抜かしてへたり込んだが、ナズナは視線を緩めなかった。
「なぜ?」
「む、昔から、気分転換に使って、おりまして……それで……」
「気分転換? レクスの神殿では、麻薬が蔓延してるということかしら?」
「ナズナ様、そのへんで」
ナズナが再びシヴァンシカに視線を転じたところで、ミズハが割って入った。
「シヴァンシカ様が神殿で過ごされたのは、五歳から十二歳まで。蔓延していたとしても、さすがに子供に使わせることはないでしょう」
「……それもそうね」
「それに、レクス国で実の使用が禁じられたのは二十年前。それまでは神からの賜り物として、鎮痛剤や芳香剤として常用されていました。長年神殿で過ごされた方にしてみれば、禁止されているという意識も低かったかと」
「それは言い訳にならないわ」
杖こそ下ろしたものの、ナズナは鋭い視線をシヴァンシカに向けたままだった。
「聖女様」
「……はい」
「わがギムレット家当主のジルは、共和国政府にて大臣の職を務めております。しかも家業では薬物も扱っております。その当家で、レクスの実が見つかったとなれば大問題となること、ご承知ですよね?」
「じ、重々、承知しております」
「であれば、何ゆえこのようなことが起こりますか?」
ナズナの問に、シヴァンシカは何も答えられなかった。
張り詰めるような緊張の中、無言が続く。
「……弁明も謝罪もなしですか」
何も言えずにいたシヴァンシカの耳に、ナズナのため息が届いた。
「失礼ながら……聖女様、国家元首たる自覚はおありですか?」
厳しい言葉に、シヴァンシカはぎゅっと胃のあたりをつかまれたような気がした。
今この瞬間、シヴァンシカとナズナは友人でも恋人でもなかった。聖女と魔女であり、国家元首とやがて大商会を率いることになるご令嬢だった。
「次は気を付けるね」なんて軽々しい言葉で済むミスではない。シヴァンシカはいまさらながら、お互いが背負っているものの重さを思い知った。
「返す言葉も……ございません」
シヴァンシカは深々と頭を下げた。ナズナはそれを静かに見つめるだけで、何も言わない。
再びの沈黙と、やがて聞こえるナズナのため息。情けなくて涙が出そうになるのを、シヴァンシカは必死でこらえた。
「あなた」
しばらくして、ナズナがサラに向かって冷たく命じた。
「持っている実を全部出しなさい」
「え、あの、でも……」
「言う通りにして。早く!」
サラの問いかけるような目に、シヴァンシカは小声で命じた。サラは慌てて鞄を開き、手のひらに乗る大きさの紙袋を取り出した。
「こんなに?」
紙袋の中を見て、ナズナは目を丸くした。皿の上に出してみると、胡椒の粒のような実が数十粒。初めて見たシヴァンシカにはわずかな量に思えたが、そうではないらしい。
「末端価格で七、八百万といったところでしょうか。一年は遊んで暮らせますよ」
「えっ!?」
「近年はレクス国が管理を厳重にしたので、密輸も減りました。そのため価格が上がっているのです」
「そ、そうなんだ……」
ミズハの言葉に驚くシヴァンシカ。そんなシヴァンシカに、ナズナが視線を向けた。
「……今回だけは、見逃しましょう」
ナズナが杖を振るった。レクスの実が入った皿がふわりと宙に浮き、さらにもう一度ナズナが杖を振るうと、皿ごと青白い炎に包まれた。
まばたきの一瞬で、レクスの実は灰すら残さず消滅した。
その火力のすさまじさがナズナの怒りの強さを表しているようで――シヴァンシカは再び頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。




