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19.本国からの使者

 何百回と模写をした。

 死にものぐるいで、その画風を習得した。


 だけど、どうしても描けなかった。

 十枚、百枚、千枚――描いても描いても理想のナズナにならなかった。


 目の前にお手本があるのに、どうして描けないのだろう。

 何度描き直しても、何が足りないのかわからない。

 あと一歩のはずなのに、その一歩が無限に感じるほど遠かった。


「私には……無理なんだ……」


 言葉にして、自覚をした。

 そこで諦めた。

 涙もこぼれなかった。ただただ惨めで、情けなくて――そんな『私』を静かに見つめる、ナズナの視線が恥ずかしくて仕方なかった。


 転がっていたカッターナイフが目に入った。

 手を伸ばし、それを拾った。カチカチと刃を出して手首に当てた。


 何の感情も湧かなかった。

 凪いだように静かな心で――『私』はゆっくりと手を動かした。


   ※   ※   ※


 ビクンッ、と体が震え、シヴァンシカは目を覚ました。


(何を……バカなことしてるの……)


 全身から血の気が引いた。恐る恐る手首を見て、傷ひとつついていないことにホッとした。


「お目覚めでございますか、聖女様」


 心配と安堵が入り混じった声が聞こえてきた。目を向けると、質素な法衣に身を包んだ初老の女性がいた。


(ええと……誰だっけ?)


 シヴァンシカは頭を振りつつ体を起こした。『私』に引きずられて記憶が混乱しているのか、彼女が誰なのか思い出せない。


「聖女様? 大丈夫でございますか?」

「ああ、うん……大丈夫よ、サラ」


 そう、サラだ――シヴァンシカは、滑り出て来た言葉にうなずいた。

 それをきっかけに、意識がはっきりしてきた。


 本国から大量の荷物とともに使者が来た。

 使者が持って来たのは学園や共和国首脳へのお礼の品々と、卒業式で着る聖女の正装、法衣一式。シヴァンシカはそれを着て卒業式に出席後、共和国の首相官邸および議会へ表敬訪問を行うことになった。

 三百年ぶりに現れた聖女だ、レクス国もかなり気合が入っていた。法衣は質素なデザインだが、使っている布は最高級品。万が一にも聖女に恥をかかせてはならないという配慮が見て取れた。

 その配慮の一環として、法衣のサイズ合わせのために派遣されたのが、神殿仕えの女官サラだ。


(うん、思い出した)


 シヴァンシカは深呼吸の後、サラに笑顔を向けた。


「心配かけましたね、サラ」


 法衣を確認している途中で『私』の記憶がよみがえり、気を失ってしまった。

 そんなことは初めてだった。

 『私』の記憶は、いつも夜寝ているときに夢で見る。こんな風に、昼間にいきなり気を失って夢を見るというのは初めてだった。


 シヴァンシカはそっと視線を動かした。

 視線の先、小さな箱の上に銀製の短剣が見えた。正装したときに身につける、聖女の守刀。あれを手に取った瞬間に意識を失った。


 ドクン、と心臓が脈打つ。


 共和国ルートの終わり。シヴァンシカが王子を篭絡(ろうらく)しグッドエンド(?)を迎えた時、敗れたナズナは短剣を胸に刺して命を絶つ。

 その短剣が、あれだ。


(なんで?)


 シヴァンシカは息を飲んだ。

 『私』がシヴァンシカの正装をデザインしたとき、短剣を持たせたという記憶はなかった。あれはナズナの持ち物のはず。それがどうしてシヴァンシカのものになっているのだろうか。


 震えが止まらない。

 いよいよその時が近づいている、そんな気がして怖くなった。


「聖女様。お加減が悪そうですが……」


 震えているシヴァンシカに、サラがいたわしげな目を向けた。


「大丈夫よ。その……天啓があっただけ……」

「まあ、そうでしたの」


 シヴァンシカの言葉にサラは目を輝かせた。


「そのような場に立ち会えたのですね。光栄ですわ」


 サラは半世紀近くも神殿で過ごして来た。その信仰心の強さに疑う余地はないが、それゆえにシヴァンシカを神聖視しすぎているきらいがある。変に言いふらされてもまずいと、シヴァンシカは釘を刺しておくことにした。


「口外しちゃダメよ。まだどう解釈していいかわからないんだから」

「わかりました。心します」


 シヴァンシカはもう一口水を飲み、ふう、と息をついた。


「お辛そうですね」

「しばらく静かにしてれば大丈夫よ」

「そうだ。聖女様、私いいものを持っておりますわ」


 サラはいそいそと鞄を開け、小さな箱を取り出した。

 箱の中に香炉が入っていた。どうやら香を焚いてシヴァンシカの気持ちを落ち着けさせようということらしい。


「いつも持ち歩いてるの?」

「ええ。寝る前に焚くと、よく眠れるんですよ」


 炭に火をつけ、手際よく香を焚くサラ。まもなく甘い香りが漂い始めた。


「いい香りね」

「はい。色々と試しましたが、やはりこのレクスの香りが一番落ち着きます」

「そう……」


 確かにいい香りだ、と思った。その香りにうっとりとして目を閉じかけたシヴァンシカだが。


「……え? レクス?」


 サラの言葉に、血の気が引いて飛び起きた。


「これ、レクスの実!?」

「はい、そうでございます」

「バカッ、すぐ消しなさい! あなた何考えてるの!」


 シヴァンシカが血相を変えて叫ぶと、サラは驚いた顔で目を見張った。


「え、な、なぜ……」

「なぜじゃない!」


 戸惑っているサラを押しのけ、シヴァンシカは香炉にコップの水をかけた。

 ジュッ、と小さな音とともに火が消える。急に冷やしたからか、ヒビが入るような音がした。香炉ごとダメになったかもしれないが、そんなことはどうでもいい。


「レクスの実はね、麻薬として世界中で取引が禁止されてるのよ! そんなもの堂々と焚いてどうするの!」

「そ、そうなのですか?」

「ああもう!」


 国名の由来ともなったレクスの木。レクスの聖都北部にある山でのみ自生し、他の地ではなぜか根付かない特殊な性質だ。その実には強力な麻薬性があり、たいていの国で所持しているだけで違法となる。


「十年前にも大規模な伐採をして、管理を強化したでしょ! 忘れたの!?」

「あ、あの、私、ずっと神殿の中におりまして……」

「言い訳にならない!」


 まずい、これはまずい、とシヴァンシカは焦った。

 違法であることを知りませんでした、なんて通用するはずがない。しかもここは、共和国重鎮ギムレット家のご令嬢の館。そんなところで国家元首扱いの聖女がレクスの実を焚いていたなんて知られたら、確実に国際問題だ。


(とにかく、ごまかさなきゃ)


 シヴァンシカが窓を開けようと手を伸ばしたとき。

 ノックもなしで、勢いよく部屋の扉が開かれた。

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