18.訪問者
ジルの思惑に、食えないお方だ、とミズハは思う。
さすがは共和国の重鎮、政界・財界いずれでも重要なポジションを任されるだけはあった。父親としてナズナのことを愛しているのは間違いないが、それを優先して外交で貴重なツテとなる聖女との繋がりを断つような愚行は犯さない。
「さて、それが吉と出るか、凶と出るか」
ドレスを選んだ後、シヴァンシカとナズナはジルとともに食事へ行くというので、ミズハは一足先に帰ることにした。本邸付きの優秀なスタッフが何人も同行するのだ、ミズハがわざわざついて行く必要はなかった。
「それに、そろそろ来るでしょうしね」
楽しそうに笑いながら、ミズハは胸ポケットから時計を出し確認する。
時刻はお昼を少し回ったところ。
食べて帰るかと、ミズハはたまの休日に行くレストランへと足を向けた。
「あらミズハさん。今日はお休みなの?」
「お嬢様が本邸へ行かれまして。夕方までのんびりできるんですよ」
風もなく、よく晴れた日。ミズハはテラス席に座り、顔なじみのウエイトレスとのちょっとした会話を楽しみながら、のんびりとオムレツのランチを楽しんだ。
「ふむ。のんびりとしたランチタイムというのは格別ですね」
いつもよりワンランク上のランチセットに、デザートとコーヒーもつけて。
おおよそ一時間かけてランチを楽しみ、ウェイトレスからのデートの誘いを優しく断って、レストランを後にした。
いつもは早足のミズハだが、今日はのんびりと歩いていく。
あちこちで声をかけられ、ミズハはその全てに対しにこやかに対応し、結局屋敷に着くまでに一時間も要してしまった。
「さて、と」
角を曲がる直前で立ち止まり、衣服に乱れがないかをチェック。使用人がだらしない格好で帰ってきた、などという噂を万が一にも立てさせてはいけない。
完璧であることを確認し、ミズハは普段の歩調で歩き始め、角を曲がって屋敷の正門を目指した。
「おや」
屋敷の正門前に、フードを被った小柄な人物が立っていた。
ミズハはまっすぐにその人物へと歩いて行く。
「あ……」
その人物がミズハに気づいた。フードの下に見える顔はあどけなく、まだ子供のようだ。
「当家に何かご用ですか?」
「え……当家……」
ミズハが声をかけると、何やら不審そうな顔をした。
「こちらはギムレット家ご令嬢のお屋敷。私は館の管理を任されている者です」
「それは失礼しました」
フードの下から現れたのは、金髪碧眼の美しい少年だった。
これはこれは、とミズハは感心する。シヴァンシカやナズナにも負けない美貌。成長すれば、どちらの隣に立ってもお似合いの美男子になるだろう。
「申し遅れました、セシル=アンドルゴと申します。急なご訪問で申し訳ありませんが、ジル=ギムレット様にお会いできないでしょうか?」
「ご当主はこちらには住んでおりません」
アンドルゴの姓を名乗った少年に、ミズハは警戒の視線を向けた。
ギムレット家がアンドルゴ王家との接触を避けていることは重々承知のはず。それなのに少年は堂々とアンドルゴを名乗った。それに、セシルという名の王子がいるという記憶はない。
「ご用件は?」
「二つありまして。謝罪と、就職活動です」
「就職活動?」
「あ、こちらが紹介状です」
セシルは笑顔を浮かべて、封蝋がされた手紙を差し出した。
ミズハは「失礼」と言って封筒を受け取り、裏書きを確認した。
「……ワイアット殿下のご紹介ですか」
封筒の宛名はジム=ギムレット。王族の名が書かれた当主宛の手紙を、ナズナの使用人であるミズハは勝手に開けることができない。
「失礼ながら、貴殿はどちら様で?」
「ええと、一応、アンドルゴ王の六番目の息子、となります」
「……アンドルゴ王家は第五王子までしかおられぬはずですが?」
「ええ、王子を名乗ることは禁止されています」
なるほど、とミズハはうなずいた。
アンドルゴの現国王は、精力的で多情との噂はミズハも耳にしていた。王妃や側室の他にも、王のお相手をした女性は数多いだろう。
これは無下には断れない。だが、本邸へつないでいいものか。話を聞いてみるしかないだろう。
「失礼ながら、主が不在ですので使用人の部屋でお話を伺うことになります。よろしいですか?」
「はい、かまいません。お時間を取っていただきありがとうございます」
「では、こちらへどうぞ」
ミズハは裏門へとセシルを案内し、敷地内へ招き入れた。
「失礼いたします」
礼儀正しく一礼し、屋敷の敷地内へと足を踏み入れたセシル。
そのとき、素早く胸の万年筆を取り出し、目立たないところに何やら書き込んだ。
門を閉めるため背を向けていたミズハがそれに気づくことはなく――セシルは何食わぬ顔をして、裏口から屋敷へと入っていった。
第5章 おわり




