15.兄と弟
アンドルゴ王国第二王子ワイアットは、最悪の気分で目が覚めた。
体がいやに重かった。頭痛がして喉がカラカラ。なんとか起き上がったものの、めまいがひどくベッドから降りられない。
(そんなに飲んだか……?)
昨夜はワイン一本だけだったはずだが、とワイアットはうなる。その程度の酒、ワイアットにとっては飲んでいないのと同じ。二日酔いになどなるはずはなかった。
「おはようございます、兄上。また二日酔いですか?」
目頭を押さえて頭痛に耐えていると、声変わり前の少年の声が呼び掛けてきた。
「あん?」
ワイアットが目を開けると、水差しが乗った盆を手に一人の少年が立っていた。
「お前か」
「ひどいですよ、弟にお前なんて」
アンドルゴ王国の六番目の息子、セシル。金髪碧眼の、まるで美少女のような十三歳の少年だ。
「何が弟か。王位継承権もない庶子のくせに」
「体調不良ゆえの八つ当たりとはいえ、そのような物言い。僕の繊細な心が傷ついてしまいますよ、兄上」
「はん、繊細が聞いてあきれるわ」
「繊細ですよ。でなければ薬の調合などできませんから」
兄の嫌味に小さく笑いつつ、セシルは粉薬を差し出した。
「どうぞ、いつもの薬です」
「お前の薬がよく効くのは認めるがな」
「ありがとうございます」
ワイアットが粉薬を口に入れると、セシルはすぐに水が入ったコップを差し出した。
相手の心を読んで、細やかな気配りをする。それにかけてはどのメイドよりもセシルが上だった。しかもこの美貌である。これが女であれば将来は我が妻にと願う男どもが群がってくるだろうに、とワイアットは思う。
「それで何の用だ?」
五分とせずに体のだるさが消えていった。相変わらずよく効く薬だと、ワイアットはその点だけは感心する。
「おや、用があると気が付いておられましたか」
「用もないのに来るほど、お前は暇ではないだろう。さっさと話せ」
「さきほど、学園の方が参りました」
「何しに?」
ワイアットの問いに、セシルは盆にのせていた書状を差し出した。
「兄上にお渡しするようにと、言付かりました」
「読め」
「よろしいのですか?」
「共和国の文章は文法が面倒で、読む気になれん」
「では」
セシルが書状を開き、ざっと目を通して嘆息した。
「卒業を認める、だそうです」
「あん? なんだ、わざわざ」
「優秀な貴殿がこれ以上学園に登校する必要はありません。一日も早く国に帰られ王子としての職務に励まれますよう、特別配慮をさせていただきます、だそうです」
セシルが読み上げた内容に、ワイアットはきょとんとした。
そんなワイアットを見て、セシルは「要するに」とあきれた顔になる。
「これ以上居られたら迷惑だから、さっさと国に帰ってくれ、ということですね」
「な……んだと!」
ワイアットが怒りの形相となり、持っていたグラスをセシルに投げつけた。
「僕に怒らないでくださいよ」
わずかに体を傾けてよけたセシルが、割れたグラスに冷ややかな視線を向けた。
「この五年、好き勝手やって来たツケですよ。いいじゃないですか、どうせあと三週間で卒業なんですから」
「貴様、兄に向かってその言い草はなんだ!」
「あれ、弟と認めてくださるのですか?」
「揚げ足をとりおって!」
「で、これ大丈夫なんですか? 卒業とは名ばかりの放校、おめおめと帰っては陛下の逆鱗に触れますよ?」
陛下、の単語にワイアットが顔を青ざめさせた。
わかりやすい人だ、とセシルは内心で笑う。乱暴者で知られるワイアットも、暴君と呼ばれる父親は恐ろしくて仕方ないらしい。
「やはり決定打は、先日のベロニカ商会のご令嬢の件でしょうね」
ベロニカ商会は、ギムレット家に次ぐ共和国の有力者。
そこのご令嬢が、五日前の未明に錯乱した状態で発見され、今も意識不明の状態だ。彼女が無理矢理アンドルゴ王子のパーティーに参加させられたのでは、との噂を聞いた当主の怒りは凄まじいものだったらしい。
「アンドルゴとの戦争も辞さぬ、と大変な剣幕だったそうですよ」
「俺は知らんぞ!」
「声をかけているところを見た、と多数証言があるそうですが?」
「声をかけただけだ! 断られたから連れて行ってはいない!」
事情聴取に来た警官は「知らない」というワイアットの言葉をまるで信じなかった。そのことがワイアットには腹立たしい。
「ま、日頃の行いの賜物ですね」
「貴様!」
「なんとかしましょうか?」
激昂したワイアットに、セシルが笑みを浮かべて言い放った。
その天使のような笑みに気押されるような圧力を感じ、ワイアットはうなった。
「……できるのか?」
「ベロニカのご当主は顧客の一人ですから。なんとか弁明してみますよ」
それで放校だけは取り下げてもらいましょう、と笑うセシルに、ワイアットは鋭い視線を向ける。
「お前……何が欲しいんだ?」
「あ、わかります? ふふ、ちょっとおねだりしたいことがありまして」
ぺろり、と舌を出していたずらっぽく笑うセシル。無邪気な少年を思わせる仕草に、タチの悪いガキだ、とワイアットは内心で吐き捨てた。
「お前が私を敬愛して、なんてことは絶対ないからな」
「やだなあ。これでもけっこう兄上を尊敬してるんですよ」
「いらん世辞はいい。言っておくが、王権を利用するようなことは無理だぞ」
「そんなに大げさなものではありませんよ。一筆書いて欲しいだけです」
「一筆?」
「ギムレット家への紹介状と身元保証です」
なんだと、とワイアットは目をむいた。
「ギムレット家だと? なぜだ?」
「将来のためですよ。僕、認知はされましたが、たいした支援もありませんからね。共和国随一の名家にコネを作っておくに越したことはないでしょう」
「ふん……あそこは薬も扱っている。薬剤師として雇われれば、まあ安泰か」
「そういうことです。ベロニカ商会は薬は扱ってませんのでね」
「だが、あそこは私との接触を徹底的に避けている。紹介状が効くとは思えんぞ?」
「そこはなんとかしますよ」
底意の知れないセシルの笑顔に、ワイアットは思案顔でうなっていたが。
「……わかった、用意しよう。ただし成功報酬としてだ」
「はい、わかりました。がんばります!」
セシルは満足そうにうなずき、ワイアットに深々と一礼した。




