14.魔女の決意
お風呂から上がり、喉を潤そうとナズナが台所へ行くと、ミズハがリンダからの招待状を手に思案顔をしていた。
「おや上がられましたか。シヴァンシカ様は?」
「さっきお風呂に入ったわ」
水差しがひんやりと冷たかった。魔法で冷やしていたらしい。湯上りで火照った体には、ありがたい冷たさだった。
「リンダ様、うまくやってくれたようですね」
「あの方、人と距離を詰めるのがお上手ですもの。いい外交官になるでしょうね」
「ナズナ様。そんな刺々しい口調では嫉妬しているように聞こえますよ」
「嫉妬なんてするわけないでしょ。シヴァが私以外になびくはずないもの」
「これは失礼いたしました」
ミズハはおかしそうに笑う。「なによ?」と少しむくれたナズナに、ミズハは「いえ、なにも」と肩をすくめた。
「それで、ミズハは何を難しい顔をしているの?」
「お茶会でのお二人のお召し物をどうしようかと。シヴァンシカ様がこのような招待に応じられるのは初めてですからね。恥をかかせてはギムレット家の名折れです」
ナズナは軽く眉をひそめ、招待状を確認した。
「仲間内のお茶会なので普段着でお越しください、とあるけど?」
「それを字面通りとらえては、名家の執事は務まりません」
ミズハの言葉に「大変ね」と微笑み、ナズナは空のコップにもう一度水を注いだ。
「で……シヴァのノート、確認できたの?」
シヴァンシカの神託ノート。
聖女となった頃から、神の啓示を受けたときにその内容を書き連ねているという。恋人であるナズナにすら見せてくれず、常に鍵のかかった引き出しの中にしまわれていた。
「残念ながら」
「また鍵が開かなかったの?」
「いえ、鍵は開いたのですが、中身がありませんでした。本日は持ち歩いていたようです」
こちらの動きを察知されているようですねえ、と笑うミズハに、ナズナは「ふうん」と首をかしげる。
「聖女サマのお力、てことかしら?」
「特別な力はお持ちでないはずなんですが」
ならば師匠が教えてくれた「世界の加護」というやつか、とナズナはため息をついた。
世界の根本となる事象を守るため、世界そのものが発する正体不明の力。その力に守られていたら、神や悪魔でも手が出せない。下手に手を出せば、世界そのものが揺らぐという。
「めんどくさそうね。いいわ、そっちは私が何とか考えてみる」
「よろしくお願いします」
「あとはアンドルゴの王子だけど……」
「時間もありませんし。おそらく近日中に動きがあるでしょう」
「あのヘタレが首謀者とは思えないんだけど。誰が糸を引いているのかしら?」
「さて、今はなんとも。ですが……」
昨日のシヴァンシカに対する強引な誘いは、相手も焦っている証拠と思われる。卒業までもう一か月を切っており、手の込んだ工作をしている余裕はない。次はきっと直接的なアプローチをしてくるだろう。
「それで相手の正体は知れるかと」
「そう。それじゃそっちはお願いね」
「かしこまりました」
恭しく一礼したミズハが、「ひとつよろしいですか」と問いかけた。
「なに?」
「静かにやり過ごせば、何事もなく終わるかもしれません。それでもあえて手を出されるのは、何故に?」
「そんなの決まってるじゃない」
空になったコップを置き、ナズナが微笑む。
「私は魔女よ。知識を司り、知恵でこの世を導く者。この私を欺こうなんて、許せるものですか」
「なるほど」
ナズナの笑みに応えるように、ミズハもまた笑った。
パチリ、とミズハが指を鳴らす。
明かりがかき消され、闇が周囲を満たした。
「あら、何のつもり?」
ナズナの問いに答えるように、雲の間から月が姿を見せた。月の光が冷ややかに差し込んできて、窓辺に佇むナズナを照らす。
美しく、儚く、妖艶な闇の美女。
その佇まいは磨き上げられた黒曜石のナイフ、鋭利で美しい刃そのもの。
迂闊に触れれば切り裂かれる、それが「漆黒の魔女」ナズナ。
「久方ぶりにナズナ様の美しい姿を拝見したくなりまして。月光に佇むナズナ様、なんとお美しいことでしょう」
「ふふ、ありがとう」
「もうひとつお伺いしても?」
「どうぞ」
「あなたを欺く者が、神託の聖女であったら?」
ナズナの口元がピクリと動く。それを見逃さなかったミズハだが、何も言わずナズナの言葉を待った。
「同じことよ」
ナズナの顔から笑顔が消え、透き通った瞳が月の光できらめいた。
「私を欺くというのなら許しはしない。漆黒の魔女の名の下に、断罪してあげるわ」
第4章 おわり




