10.嫉妬
食堂の入口に、身支度を済ませたナズナが立っていた。
ボブカットにした美しい黒髪が、朝日に照らされて輝いている。今日も綺麗だなあ、と心の底から思う。このままずっと見ていたい、多分一日中見ていても飽きない。ナズナはそれほどの美女だ。
その美女が、ジトッとした目でシヴァンシカをにらんでいた。
「おおっと、もうパンが焼けますね。すぐ取り出しますよ」
ミズハがわざと大慌てした様子でシヴァンシカを離し、ミトンを手にオーブンへと近づいていく。
いったいなんなの、とあっけにとられていたシヴァンシカだが。
ガタン!
ご令嬢にあるまじき行儀の悪さで、派手に音を立てて椅子に腰掛けたナズナ。それを見てようやくシヴァンシカは「はめられた!」と気づいた。
「お、おはよう、ナズナ! 違うのよ、今のは違うからね!」
「……何が?」
「ミズハさんがふざけただけだからね、なんでもないからね!」
「ふうん、朝からふざけて抱き合って、キスしちゃいそうになるほど仲良しなんだ」
「いや、そうじゃなくて!」
「じゃ、なんで抱き合って見つめ合ってたの?」
「ち、違うから、そういうんじゃないから!」
オーブンからパンを取り出したミズハが、クククッ、と笑う声が聞こえてくる。
「ちょっとミズハさん! あなた何がしたいのよ!」
「先ほどのお詫び、と申し上げましたよ」
ミズハはパン切り包丁を手に、美しいウィンクをした。
「ほら、ナズナ様をよく見てください」
眉根を寄せつつ、シヴァンシカはナズナを見た。
ぷくりとほおを膨らませ、ジト目でシヴァンシカをにらみ続けている。
怖い。
だけど、明らかにヤキモチを焼いてほおを膨らませている様子が、ちょっとかわいい。いやすごくかわいい。かわいすぎて尊いとすら思う。なにこれ持って帰っちゃだめかしら、なんて思った絶妙のタイミングで。
「かわいいでしょう? ヤキモチ焼くナズナ様」
シヴァンシカの心を読んだような、ミズハの問いが発せられた。
「正直、たまりません」
思わず素で答え、ハッとなって口を押さえるシヴァンシカ。だがもう遅い。バッチリ聞かれてしまったようで、ナズナはみるみる顔を赤くし恥ずかしそうに目を伏せた。
「そしてもっとかわいいのが、この照れてうつむくナズナ様です。さあシヴァンシカ様、思う存分ナズナ様のかわいさを愛でてくださいませ!」
「あ、あのねえ!」
「ミ、ミズハ! あんまりふざけるとお父様に言いつけるよ!」
照れ隠しでシヴァンシカとナズナは大声を出した。ミズハは声を殺して笑いながら、切り分けたパンを食卓に置いていく。
「失礼しました。仲睦まじいお二人の様子に、ついイタズラ心が芽生えました。お許しを」
ミズハは花瓶のバラを手に取ると、「失礼」と微笑んで、シヴァンシカとナズナの胸元に一輪ずつ挿した。
「ふふ、お美しい二人にはバラの花がとてもお似合いですね」
「……それはどうも」
「どうぞお座りください。給仕は私が務めましょう」
髪をかき揚げ、優雅に一礼するミズハ。
いつもこうして絶妙な加減でからかわれ、さらりと流されて終わってしまう。その手のひらで転がされている感が、それほど嫌でもないのが悔しい。
「こういうのをスパダリっていうのかしら?」
「え、なに、シヴァ?」
「ううん、なんでもない。さ、食べてねナズナ。感謝と愛情、いーっぱい込めておいたから!」
「うん、ありがと」
シヴァンシカの言葉に、頬を染めながら嬉しそうに笑うナズナ。
壁際に立つミズハが「新婚夫婦」なんてつぶやいているようだが――シヴァンシカは聞こえなかったことにして、野菜スープを口に運んだ。
第3章 おわり




