09.今や同級生
「不愉快にさせたお詫びに、お手伝いさせていただきます」
「もうパンが焼き上がるのを待つだけだから、手伝ってもらうことはないんだけど……」
そう断ったが、「まあまあ」と言ってミズハは立ち上がり、食器を出して並べ始めた。
「それにしても、本当に料理が上手になりましたねえ」
スープの味見をしたミズハが、感慨深げにうなずいた。
「おかげさまで」
聖女としてかしずかれてきた身、料理を覚える機会なんてなく、留学当初は包丁もろくに扱えなかった。
そんなシヴァンシカに料理の基本から達人技まで伝授してくれたのは、このミズハである。
おかげでシヴァンシカはセミプロ級の料理の腕前になってしまった。もしも聖女をクビになったら、料理人として生きていくのもアリだろう。
まあ、そうなった時点で生きるか死ぬかの大問題となっているだろうが。
「もう七年ですか。来月には卒業ですね」
「ええ、なんとかね」
「まあ、三回目の留年が決まった時点で退学ですから、どちらにせよ国には帰るのでしょうが」
うぐ、とシヴァンシカがうめくと、ミズハが小さく笑った。
他国への留学は、基本教育が終わった十五歳から五年間、というのが普通である。だがシヴァンシカは基本教育を十一歳で終え、一年の特別研修を経て十三歳で留学してきた。
ワイアットと婚約する前に、ナズナと出会うためだ。
『私』の記憶では、ナズナの婚約は十四歳の時。婚約さえ阻止すれば、ナズナとシヴァンシカが争う理由はなくなる。そう考えてのことだった。
幸い、基本教育は『私』が身につけていた教育で楽々突破できた。
渋る導師たちを説き伏せ、シヴァンカは十三歳での留学を勝ち取った。そして幸運なことに、共和国へやって来た二日目にナズナと出会え、友達となることに成功した。
そこからは必死だった。
とにかくナズナと会う時間を最優先とした。ナズナとの関係を深め、それとなくワイアットの悪い噂を吹き込んだ。捏造はない、全て真実である。それを耳にしたナズナの父は密かに人を使って調べさせ、噂が真実だとわかると娘をワイアットから遠ざけた。
これでナズナとワイアットの婚約は、そもそも存在しないこととなった。
最大の問題を回避したとホッとしたものの、そこで別の問題が生じた。
ナズナと仲良くなることを優先しすぎて勉学がおろそかになり、留学一年目で留年してしまったのである。
「ごめんね、私が遊びに誘ってたからだよね」
シヴァンシカが留年したのは自分のせいだと、ナズナはひどく落ち込んだ。これはまずいと学業にも身を入れるようにし、翌年は無事進級して事なきを得たのだが。
留学四年目、シヴァンシカは再び留年する。
今度は、純粋に勉強についていけなくなった。
学園の教育内容が、『私』が受けていた教育レベルを超え始めたからだ。過去、というか前世の遺産で成績を維持していたシヴァンシカは、勉強の仕方がわからず途方にくれた。
「大丈夫、私が教えてあげるから」
そんなシヴァンシカを救ってくれたのが、ついに同級生となったナズナである。
ナズナは十四歳の時に魔法の才に目覚めた。魔法を扱うには膨大な知識が必要で、ナズナはシヴァンシカよりも高度な教育を受け、学園トップの成績を誇っていた。そんな彼女が懇切丁寧に教えてくれたおかげで、シヴァンシカはなんとか勉強についていくことができた。
「いまさら落第はないと思いますが。ちゃんと卒業できますよね?」
「だ、大丈夫……だと思う」
「まあ、箔付のための留学で退学させられた聖女様、というのも面白いですけどね」
「面白くないから。ぜんっぜん、面白くないから……」
オーブンから香ばしい匂いが漂って来た。そろそろパンが焼ける頃だろう。
「さて、そろそろですね」
「そうね」
「ああ、パンのことじゃないですよ?」
「え?」
ふわり、とミズハが身を翻した。
舞うような動きに思わず見とれたシヴァンシカ。その隙をついてミズハはシヴァンシカの正面に立ち、優雅な仕草で腰を抱き、シヴァンシカのあごに指先を当てた。
「私のお手伝いの頃合い、てことです」
「な、な、なにを……」
今にもキスされそうな体勢で微笑まれて、シヴァンシカはドギマギした。
ふふふ、とミズハが色っぽい笑みを浮かべ、シーッと口の前に人差し指を立ててウィンクする。イケメン・レディのウィンクにはこんなに破壊力があるのかと、思わずシヴァンシカは頬をほてらせた。
身動きできず、ミズハと見つめ合うこと十数秒。
「……おはよう、シヴァ」
恐ろしく不機嫌そうなナズナの声が、シヴァンシカの耳に届いた。




