魅力を最大限に引き出すとは思わないかい?
あれからガーシャちゃんはほぼ毎日のように私の研究所に遊びに来ていた。
「ごきげんようユリーメお姉様、本日は有名なお店の数量限定スイーツをお持ちしましたわ」
「あら、ガーシャちゃんいらっしゃい。でも毎回差し入れを持って来なくてもいいのに」
「いえいえ、ユリーメお姉様と一緒に食べることがガーシャの楽しみの一つですから」
「じゃあお返しに、紅茶を淹れて来るわね。といってもガーシャちゃんの淹れてくれた紅茶とは程遠いパックのものだけど」
ユリーメお姉様の出されたものなら『何でも』嬉しいですわ、と言いながらいそいそとスイーツの準備をするガーシャちゃん。
何でも、という所だけ少しニュアンスが違った気もしたが気のせいだろう。
無機質だった研究室だが、ガーシャちゃんのおかげで少し華が出てきた。ティーカップなんて、この研究室には縁のない物だと思っていたが、常備するとこれはこれで味がある。まあ安物だけどね。
「でも、相変わらず結構な量の書類ですわね。これが全部私達新世代へのクレームなんですの?」
積まれた書類を見ながらガーシャちゃんが尋ねてくる。
ちなみに人間界で昨今重視されている個人情報なんたらは悪魔には通用しない。
そもそもいにしえの悪魔たちの中には、秘密を暴く悪魔とかもいるから、個人情報も何もあったもんじゃない。
それに、世代交代プロジェクトは魔界全体の問題でもあるため、個人個人の繋がりによって光明が見いだせることもあるかもしれない。
そういった事情もあり、基本的には資料もざっくばらんに置いてあるのだ。
「そうね。今のところすぐに対応できそうな改善有力候補は何人かいるんだけど、その子の問題なのかスキルの問題なのか全く別の問題なのか、それは直接会って話をしてみないと分からないからね」
「なるほどですわ。その中でもユリーメお姉様はガーシャを最初に、ガーシャを、最初に、選んでくださったのですね。嬉しいですわ~」
ほわわ~んとしているガーシャちゃん。うーん、やっぱり言動の端々から波動が飛んで来ているわね。たぶんピンク色の。
ティーカップを置いて、ガーシャちゃんの持って来てくれたスイーツを改めて見る。おお、これはまた煌びやかで、それでいて食欲をそそるクリームと果実の香り。数量限定って言ってたし、これはお高いやつですね分かります。あ、せっかくだから記念に写真でも。
と、私が写真を撮ろうとしたところで、ガーシャちゃんがそういえば、と口を開いた。
「最近、バウェルさんから連絡が来ない事が多くなりましたの」
バウェルさん。
現代人間界において、求心力をそそる映りの良い写真などをネットワーク上に投稿し、承認欲求を満たすという遊びが盛んに行われている。
その裏には、バウェルさんのスキルが働いていた。何かに憑りつかれたように他人の関心を引き寄せようと写真を撮り続ける人間の姿は、正に悪魔へ生贄を捧げる姿そのものの様だ。
「あれ、でもバウェルさんって、悪魔の中でも結構しっかりした方だと資料にあったけど……」
「そうなんです。だからこそ、連絡が来ない事が心配で……」
資料によると、いにしえの悪魔たちの中にバウェルさんと同音の名を持つ悪魔がいたが、偉大なる先輩に対して畏れ多いと、わざわざ自分の名前を少し滑らすような音に変えたというから驚きだ。
故にそのいにしえの悪魔はその労いとして、バウェルさんの資質に合った自分の能力を一つ教授したという。そういった経緯もあり、実際に新世代悪魔の中でも名前をよく耳にする。
つまりそれだけ注目もされているのだ。期待の新星とも騒がれていたはずだ。それでいて本人は非常に謙虚で、昨今の人間界での功績も、偶然ですよ、と謙遜しているとか。出来た悪魔である。
「うーん、確かに心配だね。バウェルさんにも確かクレームが来てたし……。丁度良いから、明日にでも訊ねてみようかな」
「それでしたら私もご一緒しますわ。ガーシャも心配ですし」
確かに面識のない私一人で行くよりも、まずはガーシャちゃんと一緒に会ったほうがリラックスしてもらえるだろうし、話しもしやすいだろう。
「そうね、そしたらお願いしようかな。でも連絡がつかないのに、あえるかなぁ」
「とりあえず行くだけ行ってみましょう。もし居なかったら仕方ありません、ガーシャとそのままショッピングにでも行きましょう。ああ~ユリーメお姉様とデート……楽しみですわ~」
何か目的が変わってる気がするけど、とりあえずはお任せしよう。
あとは、今のうちにバウェルさんへのクレームを再度見直しておこう。資料からバウェルさんの項目を開くが、
「んん~?」
そこに書かれていた内容は、首を傾げるものだった。
翌日。ガーシャちゃんと手を繋ぎながら(これはガーシャちゃんが離してくれなかった)連れられて辿り着いたのは、ごく普通の一軒家だった。よかった、また豪邸とかじゃなくて。毎回あんなんだったら緊張しちゃう。
「バウェルさん、いらっしゃいますか。ガーシャです」
扉を叩きつつガーシャちゃんがそう言うと、中から声がした。
「おや、久し振りだねガーシャくん。元気そうで何よりだ」
すごく爽やかでいて綺麗な声だ。たった少しの声だったのに、思わず聞き惚れそうなくらい。
「初めまして。『新世代悪魔世代交代プロジェクト』担当のユリーメと申します」
「これはご丁寧にどうも。私、バウェルと申します。ガーシャから色々と伺ってますよ。何でも新世代悪魔の中でも抜きんでた才をお持ちで、いにしえの悪魔たちからも一目置かれているとか」
ガーシャちゃーん!ハードル上げないでぇ~!私は研究室に籠ってるだけでたまたま今回抜擢されただけだから!他に誰もいなかっただけで、そんな凄いものじゃないから!
ふふ~ん、そうですの!と自分の事のように胸を張っているガーシャちゃんだった。
これはお土産ですわ、とガーシャちゃんから紙袋を受け取りつつ、バウェルさんは私達を応接間に案内してくれた。テーブルをはさんでバウェルさんの向かいに座る。ちなみにガーシャちゃんはやっぱり私の隣に座った。それを見てバウェルさんはニコニコしている。ちょっと恥ずかしい。
「それで、私にクレームがあった、と聞いたが……」
服装のせいでギャップこそ凄いが、落ち着いた様子でそう言うバウェルさん。その様子からは、心当たりが無いという感じだ。
「はい、実のところ確証があってのクレームではなく、何と言いますか……私としてもまずはお話しを聞いて確認をしてから、と思いまして」
「ふむ、今一つ要領を得ないね。構いませんよ、遠慮なく何でも聞いてくれ」
そう、このクレームは私としても首を傾げるものだった。だからこそ、一人で訊ねてもお互い埒があかないかもと思い、ガーシャちゃんの同行をすぐにOKしたのだ。
「ではですね、まず『最近、我が女学校付近にて、どこからともなく写真を撮ってもいいかと声を掛けられる事案が相次いでいる』『街中を友達と手を繋いで歩いてたら、急に声がして写真を撮られた』『人間界で行われている祭りにやたらと生身で潜り込んでは写真を撮っている悪魔がいるようだ』……といった感じです」
正直どれも明言はされていない。だが、悪魔にはそれぞれのスキルと傾向がある。今回の場合は写真が共通点となり、新世代悪魔の中でもそういった事象に関係がありそうなバウェルさんが犯人候補に挙がったのだ。
ただ、あくまで候補なだけであって、断定もできないので、とりあえず話を聞いてみたかったのだ。
とはいえ、悪魔的に言えば大した被害が出たとかの話ではないし、ちょっと迷惑している、という程度の話だ。
「ガーシャは最後の項目でピンときましたの。バウェルさんは最近なかなら連絡がとれませんでしたから、それは人間界に行っているからなのでは、と。どうなんですの」
そう問うガーシャちゃんの目を見て、そして私を正面に見据えて、バウェルさんはこう言った。
「あ、それ私だ」
「あっさり!」
犯人自白しちゃったよ!もっとこう、色々あってからのやり取りとかさ。いやまあ解決するならいいけれど。
「え、ええ、と。ではこれらの案件全てに心当たりがあると?」
「そうだね。いや、私としては全て声掛けしているから問題無いと思っていたのだが……。どうやら混乱させてしまっていたようだ。すまないことをしたね」
深々と頭を下げるバウェルさん。
「とりあえずこれらの件がバウェルさんの仕業であったとして、一体何をしていたのですか?」
そう私が聞くと、バウェルさんは少し顔を伏せて、溜息を吐いた。どこか空気も重苦しい。あ、もしかして何か事情があるのかな。あまり言いにくい事なら……。
「女の子同士のきゃっきゃうふふを保存していたのさ」
……何だろう。ものっそい重苦しい雰囲気が一瞬で崩壊したよ。
っていうか、
「えっと、聞き間違えでしょうか……きゃっきゃうふふって……」
「違う!女の子同士の(・・・・・・)きゃっきゃうふふだ!」
ダァン!と机を叩くバウェルさん。思わずびくっとしちゃう。
「失礼。ただ、私はあくまで女の子同士の尊い絆を永久に保存したいだけなんだ」
とても良い声でとんでもないこと言ってるなこの子……。隣のガーシャちゃんはこれでもかってくらい頷いてるけど。
「まあ聞いてくれ。そもそも私はそういうものが大好きなんだ。だから最初は街中で女の子同士手を繋いでいる子たちに声をかけて写真を撮り、それを眺めて満足していた。だが私のスキルが人間界にはあまり合致しなかったようで、次第に人間界ではただ面白い写真や美味しそうなスイーツだけをネットワーク上に載せては承認欲求を満たす程度のものになってしまっていた。だが!私の本来の目的は!女の子同士のきゃっきゃうふふを収めることにあるんだ!」
「えっとつまり、本来のバウェルさんのスキルはそういったものを収集して愛でるだけのものだったのに、人間界ではただ写真を撮って他人に見せて欲求を満たすだけのものに変わってしまっていた、と」
「そういうことだね。だから私は最初から、人間界での功績は偶然だ、と言っているのにね。周りが凄い凄いと勝手に持て囃してくるから困ったもんだよ。ああでも最近は人間界でも私の嗜好に沿う文化がようやく一般化してきてね。とある国では女の子同士をモチーフとした展覧会や衣装撮影会なんかも催されているんだ。これがなかなかに純度が高くてね。最近人間界に行っていたのは、その祭りに参加していたからさ」
やれやれ、と髪を撫ぜる仕草だけは決まっているのに、内容が内容だけにイマイチだ。うーん。そしてそのとある国って……いや、今は考えないでおこう。
「あら、でもクレームには『どこからか声を掛けられて』と、まるで姿が見えていないように書かれていましたわ。バウェルさんはきちんと被写体の方々にお声掛けしてから写真を撮っているんですのよね?」
と、ガーシャちゃんが問う。
するとバウェルさんは少し目を伏せて、机に肘を乗せ口元で両手の指を絡ませた。サングラスが似合いそうなポーズだ。うん、もうさっきの告白があったから、多少の事では驚かないよ。
「盗撮こそ女の子同士の魅力を最大限に引き出すとは思わないかい?」
「アウトーッッ!!!」
良い声でトンデモ発言してきたよ!もう驚くのを通り越してドン引きだよ!
「盗撮!ダメ!ゼッタイ!っていうか、悪魔的にも普通にアウトな発言ですよそれ!」
「い、いや、聞いてくれたまえ。確かに声は掛けるさ。マナーとしてね。だが、声を掛けてこちらを意識してしまうと、それはもはや私に向けた表情になってしまうんだ。私が欲しいのは、私ではなく互いに向けられた尊い絆が織りなす一瞬の表情であって……」
「それでもアウトはアウトですー!なんかそれっぽいこと言ってる風ですけど、完全にアウトですからね!」
悪魔にだって最低限のルールと秩序はある。人間界の様に警察がいるわけでもないが、やって良い事悪い事くらいは悪魔同士でもあるのだ。
「でもそれだと声を掛けていることに変わりはありませんわ。問題なのは、何故バウェルさんの姿が見えていないかのような報告だったか、ということですわ」
確かにその通りだ。やってることは至極最低だけど、バウェルさんが被写体に声を掛けている事自体に嘘は無さそうだし。
「それは、私がいにしえの悪魔から教授していただいた能力によるものさ」
「あ、もしかしてそれってかつてのバウェルさんと同名だったという御方の?」
ガーシャちゃんの問いに頷くバウェルさん。
「そう。その方は召喚した者を不可視にする能力を持っていた。私はそれを自分自身にかけられるように教授していただいたんだ」
とんでもない能力をとんでもない方に教えてくれたもんですね、いにしえの悪魔。
「なるほど。つまり被写体の方にはマナーとして声を掛けるけど、姿は認識されず、それから写真を撮っていたということですのね」
「そういうことさ」
自信満々だが、やってることは限りなくアウトだ。
とりあえず話を纏めよう。
「色々と言いたい事はありますが、とにかく姿を消しての撮影は止めて下さい。バウェルさんの趣味は理解しますが、盗撮はダメです。とはいえ、人間界への影響は凄まじく、ガーシャちゃん同様に、バウェルさんも新世代悪魔としてその名が人間界へ伝え残ることでしょう。ですから、女の子同士のきゃっきゃうふふも、当人たちの許可をきちんと得ていれば問題無いと判断します」
まあ落としどころとしてはこんなところだろう。私の目的はあくまで新世代悪魔による世代交代だ。
今回もすぐに、とはいかないが、そう遠くない未来、人間界は承認欲求の為だけに自らが作り上げたモラルや尊厳をいともたやすく踏みにじるようになっていくのだろう。そこで人間は思うわけだ。これはバウェルの仕業だ、と。
一件落着かと思いきや、バウェルさんが困った顔をしている。
「うーん、ただそうなると……私のスキルは私自身のそういった欲求を糧に伝播していくものだからねぇ。今までの様に人間界へ強く影響が出るかどうか……」
おっと、それは困る。なるほど、スキルによっては自身の衝動そのものをエネルギーとして影響させるものもある。バウェルさんのスキルもそうなのだろう。しかしそうなると、バウェルさんが満足するような被写体を……。
あ、何か……。
「それでしたらガーシャに名案がありますわ!」
イヤな予感……。
「ユリーメお姉様とガーシャを隠れて撮ればいいんですの!それなら大歓迎ですわ!」
やっぱり!
「なるほど!確かに2人は当初から手を繋いでいたり隣に座ったりと、私の求めるものであった。ユリーメくん、どうだろうか、私の……いや、魔界の為にも、二人を影ながら撮影するというのは」
すっごい目がキラキラしてる。しかも私が断りにくいように、魔界の為、という言葉も絡ませてきた。こんなんだけどさすがは期待の新星悪魔。抜け目がない。
「う、うーんでもなぁ。初めて会ったばかりの方に盗撮されるっていうのは何と言うかちょっと……」
「初めてじゃないですよ」
そう言うバウェルさんの綺麗な声にゾクっとした。
あれぇ、このやり取りってつい最近体験したような……。
「え、えっと?どこかでお会いしてましたっけ?」
何だろう、すごいデジャヴ。
「いいえ、でも今日のご挨拶の時、私は、初めまして、とは返していませんよ」
恐る恐る記憶を辿る……。そ、そうだ。確かに最初の挨拶の時、バウェルさんは、久し振りだねガーシャくん、と言ったが、そこまでだ。普通その後に初見である私について、そちらは?など聞くものだ。
「で、でもじゃあどこで……」
言いつつ、私の中でつい最近の出来事と今日話した言葉が混ざり合う感じがした。
あれは、そう。
ガーシャちゃんの部屋……壁……目線の向かない写真……盗撮……。
「ま、まさか……」
「ああ、ガーシャくんにユリーメくんの写真を撮って欲しいと頼まれていたからね。ガーシャくんの家で見たのかな?よく撮れていただろう。あ、一応言っておくけど、その時もちゃんとユリーネさんに声は掛けたからね」
「え、ちょっと待って。声なんて……」
掛けてもらってない、と言う前に、私の脳裏にいつかの研究所での声が思い出される。
街中の喧騒。
子供たちの声。
出前のお姉さん。
そして。
すいませ~んとりますね~。
「お前かーい!!」
ずっとお隣さんから漏れてきた声だと思ってたよ!どうりでやたらハッキリと聞こえるはずだよ!
とりますって、『取る』じゃなくて『撮る』ほうかぁ。
「そういえばあの写真について説明していなかったですわね。すっかり失念しておりました。ごめんなさいユリーメお姉様」
何かもう謎が解けて一瞬で気が抜けたよ。
「そうだわ、バウェルさん。せっかくですし、今から私のお土産を使ってくださらない?」
「ああ、それは良いね。では早速お土産を開けさせてもらうよ」
ガサガサと紙袋から何やら箱をを取り出すバウェルさん。そういえば最初に何かお土産を渡していたっけ。てっきりお菓子か何かだと思っていたけど。
「おお!これは素晴らしいね!」
……出てきたのはいかにも高級そうなカメラだった。あぁ、そういうのもあるのね。
「さ、ユリーネお姉様。私を抱き締めてくださいな」
準備は出来てると言わんばかりに、頬を染めて両手を広げて待ち構えるガーシャちゃん。
「うーん、いいね。女の子同士のもどかしい間合い。くぅ~。でももう少し距離つめれるかな。何だったらほっぺたくっ付け合って、お互いを高め合って……あ、私の事は気にしないで。空気と思って。あ、不可視になろうか。そのほうがいいもんね」
ワクワクが抑えられていないバウェルさん。
「うん、もう、好きにして……」