プロローグ
暗黒すらも飲み込むような闇の中、雷鳴が空を裂き、ギャアギャアと不気味な鳴き声が鳴り響く。まるで安息など無いこの世界を、人間はこう呼んだ。
魔界――。
ここは、時に人間を恐怖に沈め、時に人間を甘美な世界に誘い、時に人間と共に世界を混沌へ導く、いにしえから跋扈する悪魔たちの世界。
現代においてもその影響力は凄まじく、人間の日常の裏には今も残酷な悪魔たちが居た……。
「……はずだったんだけどなー」
狭い研究室の一角で、私は思わずため息を漏らしてしまう。空虚な口を誤魔化すためにコップに手を伸ばすも、入っていたはずの液体はどうやら数時間前の私によって飲み干されてしまっていたようだ。
髪を縛っているゴムを解き、流れた髪を撫でつつ席を立ち窓のほうへ。
窓から差し込む光は悪魔も焼ける様な良い天気であり、眼下では通学路でも無いはずだが子供たちがワイワイと道を駆けている。たま~に子供がこちらを見ては手を振ってくるので、良いお姉さん風に手を振り返してあげる。
お昼に馴染みの魔祖ウドンさんで頼んだ出前のドンブリはまだ回収されていないから、15時にはなっていないのだろう。最近は出前に付いてくる魔界樹の割り箸も再生利用とかで、捨てずに回収させてほしいと配達のお姉さんが言っていた。
研究所と言えば聞こえはいいが、何の事は無い一軒家だ。防音も微妙で、時々、すいませ~んとりますね~、とどこからか声が聞こえてくる程だ。お隣さんかな。とまあ、魔界ったってこんなもんですよ。
気晴らしにパソコンを魔界ネットに接続。ニュースを流し見つつ、サイトを適当に回る。なになに、最近一部で話題の謎の爆乳コモコモさんの噂ねぇ。魔界も平和なもんだ。
まあ、私はゴツゴツした男型の悪魔よりも柔らかい女の子型の悪魔の方が好きだからこのコモコモさんというのは気にはなるが、さすがに職場用のネットで繋ぐとマズいかもしれない。研究所内の自室で見よう。最近は人間界でも性別の壁が無いそうで、これもどこかの悪魔の影響なのかもね、と思案する。
はぁ、と何度目かの(カウントしたくない)溜息をつき、先程まで目の前あった積み重なった書類を他人事のように眺める。
この書類全てが、新世代悪魔へのクレームとお悩み相談だった。
現在の魔界において、非常に重要かつ可及的速やかに解決しなければならない問題があった。それは――世代交代である。
確かにいにしえからの悪魔たちによる影響は現代でも凄まじい。が、凄まじすぎたのだ。生命に知恵が宿る以前から存在していた悪魔たちの偉業が壮大すぎて、昨今のぽっと出の悪魔では到底その偉業に太刀打ちできるはずもなく、結果現代においても名前が出るのはそういったいにしえの悪魔たち。
知名度や名声とは悪魔にとってつまり糧でもある。例えば人間界でも、聞いた事の無い会社よりテレビCMなどで耳にした会社の商品のほうが求められる率は高い。そういうことだ。
が、会社と違って悪魔はあくまで個人。人間界の皆様に愛され続けて幾星。さすがに「いい加減、休みが欲しい」という話が出てきた。
そこで魔界では世代交代を一大プロジェクトとして立ち上げたのであった。しかし、その頃には人間界での意識、思想、技術の発展発達に伴い、悪魔に対する畏怖や信仰は薄まってしまっていた。
結果、世代交代は見事に失敗。「休みを……休みをくれぇ~」という怨嗟と共に今日もいにしえの悪魔たちは人間界へ駆り出される。黒く濁り沈んだ目をしながら(これが肉体的なのか精神的なのかは各個人による)人間界へ向かう様を見るに、果たして私達と人間、どちらが悪魔なのか。
まあそれはそれとして、このままではヤバいと、近代人間学を研究していた私に黒羽の矢(白くは無い)が立ったのだ。研究ばかりしていた私は悪魔らしくないとよく言われていた。
だからこそ、悪魔の未来に関わるような一大事に関われるのは名誉な事だし、それこそ最初は、
「魔界の時代が変わるかもしれない程のお話しを、私のような若輩者に任せていただけるなんて……光栄の極みです!」
と意気揚々だったものの、今ではこの研究室の一角で書類に埋もれている有様である。
「くそぅ、大体おかしいと思ったんだ。現代人間学なんて超マイナーな研究してる私なんぞにお声が掛かって、使い切れないくらいの部屋数がある立派な研究所兼自宅まで宛がってくれて、しかも超高給。二つ返事で返したところでこの有様だよっ!あの依頼人め、悪魔か!」
悪魔ですね本当にありがとうございました。という定型文を心の中で愚痴った後、再度書類を見直す。
実のところ、見どころのある新世代悪魔はいるのだ。
様々な能力を持っているいにしえの悪魔たちと違い、今は抜きん出たワンスキルが案外物を言う時代だ。そこにおいて、このクレーム書類の山の中でも、人間界で活かせるスキルを持つ悪魔はいたし、現に今もその名を広げている子だっている。
ただ、新世代の悪魔たちはやりがいを持っているわけではない。やる気があるわけでもないから適度に成果が出たらそこで影響拡大を止めちゃう子も多い。人間界に引っ張り出されるにも、悪魔としての格と名声があってこそ。故にいにしえの悪魔たちからすると、
「もうちょっと、こう……ね、頑張ってもらいたいかなぁ……って」
という話が出るのだ。
私の役目は、各人と面談し、本人達のやる気とスキルアップをし、悩みがあるなら解決し、その子たちが人間界にさらなる影響を与え、新世代悪魔として名を馳せ、世代交代。そしてゆくゆくは、いにしえの悪魔たちと同じく、未来永劫語り継がれる悪魔になってもらうことだ。
アレコレ言っても高給はもらっている訳だし、現代人間界とこの子たちがさらにマッチしたら果たしてどうなるか、はっきり言えば興味がある。
「さて、じゃあ最初の悪魔は――」