ヒーローの南 5
「せっかく妹さんが来たんだから早く帰りなさい」と皆が口をそろえて言うので、自分の仕事は残ってはいたがその言葉に甘えて定時で仕事をあがることにした。アパートに帰ると、薫は部屋の前でペットボトルの水を飲みながら待っていた。
シャワーを浴びたらすぐに夕飯。帰る途中に立ち寄ったスーパーで買った刺身、そしてトレーにめいいっぱいに盛られたもずくを薫の目の前に出してやった。このようなものは、東京ではめったにお目にかからないであろう。
「うわ。もずく、すごい」
もずくの分量に反比例するかのように、薫の言葉が幼稚になる。
「これを専用の醤油で食べるとおいしいのよ」
「ほうほう」
もずくを山盛りにして取り分け、カクテルとジュースで乾杯をした。
「で、どうなの? 役者の仕事のほうは」
一口飲んだ後、薫に訊ねた。
「何もなし。レッスンばっかりでどんどんお金が無くなってくよ」
「まあ、芸能界なんて甘くないだろうからね。ただでさえギリギリでオーディションに受かったんだから。ダメだったらさっさと辞めな」
「でも、まだ始まったばかり。勝負はこれから! って、私はそう思ってやってるよ」
「悪い大人にお金ばっかり摂られただけでお終いにならなきゃいいけどね」
「もう、お姉は私を応援する気あるの?」
薫は視線を食卓から私の机の本棚に移し、そこから一冊の本を取った。
「ほらこれ、倫理! お姉は倫理観の勉強が足りない! 人の気持ちがわかってない!」
薫が手に取ったのは、大学時代に使った医療倫理についての教科書だった。仕事をする上ではもちろん大事なのだが、実際の仕事をつつがなくこなすには、やはり薬や疾患に直接関わる書物を読み返すことを優先せざるを得ない。だから現在はこの本の必要性は低く、そろそろ実家に送ってしまおうかと思っていたところだった。
薫は本の付箋が貼りっぱなしになっていたページを開く。すると、
「これ、すごくイイこと書いてあるじゃん! お姉、これだよ!」