もうレクイエムは――痛いお年頃だ。
訃報。何の素振も、そんな予兆すら無く。ただ眠りについた婆ちゃんは、そのまま目を覚ますことはなかった。
永眠――もう大往生っていい年齢だけど、これといった重篤な病気もなく、昨日まで普通に暮らしてた婆ちゃんがもういない。
実は中学時代に家出して婆ちゃんに心配をかけたことがある。それが原因で留年したりと田舎だから近所で色々言われただろう。それでも、ずっと優しい婆ちゃんだった。俺が行方不明の間もずっと神社にお参りしてくれてたって、あとから聞いた。
「ちゃんと言えなかったな……婆ちゃん。俺は家出してたんじゃなくて、異世界に行ってたんだって」
今時恥ずかしくて人には言えない秘密。もう、いっそドラキュラに咬まれるか、宇宙人に攫われたほうがまだ救いの有るあの異世界転移だった。
「ちゃんと世界とか救ってきたんだぜ。そのせいで留年して進学失敗したけどさ、ちゃんと勇者してきたんだ」
だから理解ってしまう。暗く重い雲霞、あれは災禍だ――今は時期が悪い、この因果の巡りは無垢な魂に悪い暦歴だと。
部屋まで階段を駆け上がって、深く長く息を吐く。そして決意してもう2度と握らないと誓った、押し入れにしまい込んだままの巨大な星剣を探す。
ついゲームのノリで巫山戯たせいで名前をつけられてしまった神星剣「ホッタイモイズィルナゥ」。その柄に触れただけで手に馴染む忘れていた感触と、身体に溢れる脈動するような魔力の循環。今では懐かしさを感じる戦いの日々の残滓、世界を救った長い長い物語の相棒だった剣。
「ああ、もう2度と言わなくて良いと思ったのにな……もう一度だけ力を貸してくれよ。黄昏よ、我は呼ぶ冥界門を!」
痛い――激痛が走る。
だって、ヘブライ語の音訳であり、新改訳聖書では黄泉の原語となるシェオルに、どうしてフランス語で門なんだ。どうして日の出前や日没後の薄明かり以上の意味なんてない黄昏に命じて、しかも英語!
あの頃は中2だったんだ。だからノリノリでやれたけど、俺にはもう無理なんだよ……俺は中学2年生で半年行方不明だったけど、あっちで既に30超えてたんだからさ。そう、異世界でも途中から痛かったんだよ、キツイって!
「だけどさ……俺はちゃんと見送らないとな」
空気が軋み、世界の色が変わる。位相が偏位し視えない世界が姿を表す、今も空には無数の白い魂が世界に別離を告げている。
門を潜る。せめて門じゃ駄目だろうか?
「せめて門にしてくれれば、この痛みは感じずに済んだのにな」
もう、俺は中2じゃない。そしてもう厨二力も持っていない……はずだ。有ったらどうしよう!?
「っ……往くぜ! 大天使の白銀大翼!」
ぐふっ――まあ大天使ミカエルは変に英語読みでマイケルさんとかにならなくても良いけど、ドイツ語の翼にラテン語のカエシウスは許すとしても……灰色だよな、カエシウスは!
そう、こっちに戻って調べたら、どうやら俺の翼は白銀ではなかったらしい!
災禍。死霊というには禍々しく、悪意と呼ぶには棘棘しい異形。形も実態も存在もなく、ただ魂を喰らう何かだ。それが暗雲のように空を塞ぎ、無垢なる魂たちを捉えるように黒く渦巻き覆い被さっていく。
「婆ちゃんはずっと俺が帰るのを待っててくれたんだ。だったら、ちゃんと見送らないと孫じゃねえよなああああーーっ!」
送り人、死出の旅路の頼りない護衛だけど……ちゃんと守るよ、婆ちゃん!
触れれば多次元物質すら崩壊さえる神星剣「ホッタイモイズィルナゥ」。だが、あれは存在していない有り得べからざる非存在。在るのに無い、不確定存在には物理も魔法も通らない。
そう、だけど俺は厨二特有の巨大な妄想力で選ばれ召喚された異世界の勇者、魔王の運命の器をも凌駕せし者と呼ばれた俺の無限の厨二病を舐めんなよ!
厨二、世界をも変革させる想像力と強力な知識……そう、異世界の魔王の軍勢を滅ぼした厨二力!
「俺は婆ちゃんのためにもう1度だけ厨二るっ。喰らえ、神々の黄昏高速催眠現象大量虐殺主役女性歌手神聖四文字天使梯子詐欺師症候群症候群超個体反響定位技術的特異点死舞踏紅炎神の見えざる手ーー!」
幻痛――それはこの世に存在しないものであっても感じる普遍の激痛。それが霊的であれ、超次元存在であれ、形無くとも精神が有る限り襲う厨二力の激痛。そう、オレの心も超痛い!
「倒しきったのか……良かった。もう一回やったら再発するところだったよ」
暗雲は塵と消え、空から光が挿す。暗黒のような災禍は恐怖に震えながら分解消滅し、解き放たれた沢山の霊達が青空の中を天に昇っていく。
「婆ちゃん、ずっとずっとありがとう」
輝きながら天国の扉が開き、そこから小さな頃から見てきた婆ちゃんのやさしい微笑み。そしてゆっくり手を振って姿が消えていく。
「婆ちゃん……ありがとうな」
大往生――それはきっと幸せな最期。そう思ったって哀しいものはやっぱり哀しくて、寂しい。思い出だけが走馬灯のように巡り、追憶だけが万華鏡のように瞼に映し出される。
うん、でも俺が召喚された理由って、婆ちゃんが名付けた「太助振仮名」のせいも有ったんだけど。間違って振仮名のところまで出生届に書いちゃったのはわかるけど、どうしてダークネスブリンガーって振仮名を振っちゃったのかなーー!?
いい笑顔で、親指を立てて消えていく婆ちゃんの見たことのないニヒルな笑顔……うん、でも天界の人に親指下げちゃ駄目だって! って、神様に向かって首掻き切る親指ジェスチャーは怒られるからーー――あ、神様倒した! えっ、ダークネスブリンガーって婆ちゃんの剣の名前だったの!?
そして、祖母は旅立っていった……神様を倒して。うん、何処に逝っちゃったんだろうな、うちの婆ちゃん? うん、俺より強いじゃん、婆ちゃん!?
(追悼)
ご冥福を(_ _)