「▷」
※文字化けしてタイトルが見えないかもしれませんが、カッコ内には動画の再生ボタンを表す右向き三角形があります。
「なっ、これは、どういうことだ!?」
あまりの驚愕に、あり得ないとばかりに、いつもの落ち着いた口調を崩壊させて、マルザムは目を瞠る。
結果を受け入れられないのか、もはや泣き顔に近い困惑の表情を浮かべて、尚も叫ぶ。
「なんでだ、こんなのってない!」
獄級宝具の代償に苦しむ橘さん以外、異様なる空に目を奪われていたヒダカ、舞波パイセン、鯨少女は、状況についていけぬまま、ポカンと大きく口を開けていた。
忠義に篤い、一匹の鮫の努力がすべて、水の泡。
拍子抜けもいいところだ。気を回し続けたのに、空回り。
疲れて、腰砕けになりそうだ。
この停止と再生の物語の、余談の余談たる場面。
「溶けてる」
魔法陣の真ん中からズルズルと引き摺り出された「カイワタリ」は、そのままドロドロと溶けて、クリーム状になって。
べちゃりと地球の地面を、汚した。
あの傑作アニメ映画の、かつて人類を滅亡に追いやった巨大な兵の一角が、目覚めさせられいざ兵器利用! となったところですぐに腐ってしまったのを彷彿とさせる、あっけない終わり方。
しかし「カイワタリ」は、腐敗したわけではないだろう。微生物によって肉体が完全に分解されるには、さっき召喚されてからでは短過ぎると言っていい。ほぼノータイムで腐る世界なんて怖過ぎる。
誰も生きることが出来ない。
あれは恐らく、受肉の失敗。より正確には、「カイワタリ」の骨に血肉を型作る要素は用意出来たのに、その固定化に失敗している。
固定化の魔法を、かけ忘れていた? まさか、ヘマと言っても限度があるだろう。ギャグ漫画の敵幹部ならいざ知らず、オドガムほど狡猾ではないと言ってもそれなりに計算高かったあのマルザムが、そんなドジをやらかすはずがない。
イレギュラーだ。
マルザムにはまったく予測出来なかった、異常事態。
「奪われたんだ」
汗をダラダラと流しつつ、その額と頬とは裏腹に乾ききった口を動かして、彼は自らの推測を語る。
奪われた?
奪ったの間違いではなく?
牧野父の貴重な人生の一部を切り取って、盗人猛々しく盗って、牧野父とは何も関係のない復活の儀式にベットしたお前が、どの口で「奪われた」なんて単語を吐いてやがる。
賭けるものくらい、自給自足しやがれ。
奪われたなら、自業自得だろうが。
誰に何を略取されたのか知らんけれど。
「どこかでひっくり返された」
「負の意志の流れが」
「だとしたら説明はつく、でも」
「でも、そんな」
「『カイワタリ』様以上に、欲望と憎悪に呑まれた奴が」
正体を無くし、我を忘れたかのように、ヨボヨボとフラつきガタつき、ついに膝を折ってしまうマルザム。自信満々に勝利宣言をかました、まさしく主の帰還を誇らしげにお待ちしていたさっきとは、天と地ほどの違いだ。
ヒダカたちは相変わらず、そして悪魔たちですら、紆余曲折する事態に困惑し、訳が分からぬと、狐につままれたような間抜けヅラを晒し続けている。
一方の、この中で一番賢い、智恵の女神メンチカツ……じゃなかったメーティスすら裸足で逃げ出す私ことアヴァちゃんだけが、状況を正確に把握し、「ははーん」と得意げな無表情を披露していた。
先刻の、椎波雅の怪人化。
おかしいと思ったのだ。今まで魔法生命体という特殊な生物群しか「遺禍」に進化していなかったのに、少なくとも今まで倒した範囲では、そのマナである魔法生命体が出てこなかったことはなかったのに、急に人間が化け物階段を駆け上がろうとするものだから、ものすごく焦った。
ウイルスが、動物から動物へと感染するうちに変異して、人間に対しても牙を剝く凶悪な死神と化した、それと似た事案が発生したのかと、内心ビクビクしていた。
でも、そうじゃない。
奪ったんだ、彼女が。
あの弱い魔法生命体が、この街では凶悪化することを突き止めた。
召喚した「カイワタリ」が液状化し計画が破綻する直前、マルザムがドヤ顔して言っていたことだ。ミウイがベラベラと喋っていた、「魔法生命体が、負の感情のもたらす外的魔法力に影響されて変異する」みたいなメカニズムにも、多分気がついていたことだろう(どうして変異がこの街限定なのかは、ミウイの説明からは不明だが。まあどうでもいいか)。
そのパワーアップの図式で以って、敬愛していたボスをリバース出来ないか。
忠義に篤い「興醒めの鮫」が、考えそうなことだ。
つい一、二分前に上空に浮かんだ多重魔法陣について、用いられた魔法理論を正確に当てることは極めて難しいけれど、構成の大まかな予測は立つ。
一つ、「劣位複製」によって「カイワタリ」の下位互換個体を用意。
一つ、負の外的魔法力による魔法生命体強化を、下位互換個体に応用。
一つ、本来は魔法生命体のみ凶悪化するメカニズムだ、そのままでは組み上がった「カイワタリ」(仮)は非常に不安定なため、存在の固定。
全部が全部、セオリーの上では不可能ではない……不可能でないならば実行に移せる力くらい、マルザムは持ち合わせていた。
弱体化した彼にとってネックだったのは、魔力だけだっただろう。それも、毎年五月十日に決まった経路をプカプカと飛ぶ、巨大な鯨を使えば解決した。
ああ、だから舞波パイセンと戦う鯨少女を、弱ってると感じたのか。必要な分だけ、すでに魔力が抜かれているから。
肉弾戦のみとはいえ、死力を尽くした私と五日前に戦っといて、しかも「カイワタリ」召喚分も抜かれて、尚ピンピンと動けているとは、八十二年前にどれだけエネルギーを込められたのか。
ラスボスを先送りしちゃいましたごめんなさいという、空と鈴からの強い謝罪の意志を感じるぜ。
っと、それは置いといて。
勝利の方程式を導き、万感の思いで施行した黄金のプランは、一人の差別主義者が醸す、あり得ないほど負に振り切った感情に、めちゃくちゃにされた。
当てにしていた負の外的魔法力は、儀式のその場で集める術式を採用していたのだろうけれど(日本はストレス大国だから、いくらでも調達出来そうだ)、あろうことか近場には、生き方と人格を完全否定されたカリスマモンスター少女という、異物も異物が生じていて。
人ではない一匹の鮫に可能な想定ラインぶっちぎりの、外れ値がいて。
奴より溢れ出るどす黒い感情に、魔法が根負けした。
理論的基礎付けは出来ないけれど、とにかく元◯玉的考えから構築された術式が誤作動を起こして、関連してくる他の魔法演算が引っ張られて。
奪われた。
奪った側は、負の感情エネルギーを固定化されてしまって、哀れなモノホンモンスターに変身と。
「あーっはっはっは! これは面白い、お手柄だぞ椎波雅」
無表情のまま大笑いする。
実に滑稽だ、あんな絵に描いたような悪党の悪感情が、人様の役に立つこともあるなんて。
世の中ホントに、塞翁が馬。
あの悲しき化け物は、そこらの悪魔一体と同程度の強さしかなさそうだし、ミウイとタッグを組んだ稀希希なら、油断しなきゃ勝てるだろう。
ぜひ過去とケリを付けて、「ふえぇ」とかいう情けない言葉を漏らさない、かっこいい未来への新しい一歩として欲しい。
「何がおかしい、『時の魔法少女』」
「おかしくないわけがないでしょ、『興醒めの鮫』さん。チェックメイトだ、大人しく牧野父に主導権を返せ」
「クソがっ、こんなところで終われるわけがない!」
「悪魔ども、何をボーッとしている」
「あの女をぶち殺せ!」
と、往生際の悪い命令が下るや否や、無数の悪魔の瞳が一斉に私を捉えた。
なぜ悪魔が召喚者以外の命令を聞く? と疑問を覚え、橘さんのマジックパスに介入したのか、と思い当たった瞬間。
ハッとなって、代償に蝕まれていた、可哀想な友人の方を見る。
真相に行き着いて、得意になっている場合ではなかった。
根のような、毛細血管のような細い何かに全身を覆われて、静かに目を瞑っている少女。
顔が土器色であることに、彼女と同じく目を瞑れば、とても幻想的なんだろうけれど、鑑賞している暇はない。
冗談抜きで、命に関わる。
だが一方で、このままマルザムの脱走を許すわけにもいかない……どうすればいい。
「ははは、追加だっ」
さらに悪いことに、マルザムの奴の憎たらしい声が耳に届くや否や、周囲に空間的ゆらぎが多数生まれて、この世界の隣でありかつ向こう側には、多数の怪人が出番待ちしていることを知らしめられる。
昨日橘親父(の劣位個体?)とエンカウントしたのちにも使われていたけれど、どういう術なんだ、それ?
悪魔によるアンチマジックフィールド張りは、まだ続いている。
変身出来ないのが痛い。
奴らはズンズンとこちら側に近づき、ゆらぎの隙間から覗ける姿は、どんどん大きくなっていく。
死にはしない自信はある。
舞波唄と伴野日高を、生かして帰る自信はある。
だがそれでも、選択はせねばなるまい。
橘さんを救うか、マルザムを取り逃すか。
「……〜〜〜っ!!」
「ふはははは!」
「君は友人を見捨てられまい!」
「甘々な奴だっ」
「だから付け入る隙もあった」
「その甘さが、茜とかいうのを殺したのさぁ!」
「ふざけるな、殺したのはテメェだろうがっ!」
吠えたところで、どうしようもない。
選べるのはあいつの言う通り、橘さんだけ。
今にも襲い掛からんとする悪魔どもを睨みつけ、牽制する。殺意で押さえつけようにも、ゆらぎ出身の怪人は止められるが、悪魔はそういうの逆に喜ぶだけ、鼓舞してしまうだけ。
変身してないから、殺気放つにもリソース結構使うしな。
クソが。
ごめん茜、仇を討つのは、また今度になりそうだ。夢の中での約束を、守れそうにない。
不甲斐ない私を、許してほしい。グッと拳を握って、今生きている友達優先の、覚悟を決める。
最初の怪人がゆらぎの縁に足をかけた。
が、その時。
そいつの爪先が、パツンと切り落とされた。
境界を曖昧にしていたゆらぎが、すべて閉じられ。
旧校舎の後ろ側に広がっていた、妖精界のものだと言う壮大な景色が、フッと消える。
「………………………………はっ?」
「あーひゃっひゃっひゃ! 絵になる間抜けを晒しやがるなぁおいっ!」
勝気な女性の、高笑い。
ここ最近、それなりに聞いたような気がする声。
いったいどこから、というのは明らかで、マルザムの背後をとって、とってもお高そうな紫色の水晶玉を握り潰していた。
落君令子、「光の魔女」。
「おっお前、その宝玉をどこでっ」
「はぁああ? 宝玉というか、牢獄だろがいこれはっ! 良くもあたしの、食べ残しを散々利用し尽くしてくれたもんだねぇっ!」
などと吐き捨てて、一応警察官であるはずの彼女は、マルザムに乗っ取られているとはいえ、一応一般人である男を殴り倒す。
「ぐがっ」
「ガッデム! ざまあないねえ!」
「ひぇ、あれはじょ、上司ぃ!?」
「あっ、グォラアァッヒダカ! お前、後で一万回シリ叩いてやるから、覚悟しなっ!」
「ふぁ、え、どうして私のことを」
「忘れるわけないだろがい! ……本心には気づけなくて悪かった、あたしとしたことが、すっかり騙されちまってたよ」
「! ……この、もう」
「積もる話は後さ! 木倉アヴァ! この男はあたしに任せて、友達を助けてやりなっ! いやそいつは、あんたのアンデッドだったかい?」
「違うわ。根っ黒マンサーじゃねえわ。でも、ありがとござます」
コクリと頷き、近くの悪魔を蹴散らして、橘さんの元へと一直線。
意味深なメールを寄越した理由に、なんかよく分からない起死回生の一手を放ちの、めちゃくちゃ都合の良いタイミングで登場出来た理由も気になるけれど、彼女の言う通り、積もる話は後でいい。
「咲良」
ようやく、自分のやりたいことに集中出来る。
なんだか気分が、ハイテンション。
魔力の巡りもさっきより良くなっていて、生身でも、ちょっとした小技なら使えるらしいと判断。
周囲に9本の槍を展開して、空中のそれらを操り、陣張り悪魔をバッタバッタとなぎ倒す。
そして、邪魔はなくなった。
「変身、いくよ」
纏う制服が、ピカッと光る。
すると。
半径五メートルに、誰もがなぜか自然と意識を逸らされる、白昼夢的空間が生まれ。
魔法的粒子になって、サッと消失する制服。
代わりに粒子は、ヒラッヒラの派手な衣装として組み直され、意味不明でコンセプトの謎なダンスを踊らされつつ身に纏われる。
どういうわけか絶対にパンツの見えない、堂々とした絶対領域。
見せるほどまだ成長しているわけではないが、最近どんどん数値が上がっている気がする故ちょっと恥ずかしい、大きく開いた胸元。
それを強調するかのポーズで、片目ウインク、きらりんピース。
最後以外人々の目には触れない(相棒マスコットは見れる)のは分かっているのだけれど、それでも死にたくなるくらい、観衆も監修者も殺したくなるくらい恥ずかしい、一連の動作。
だけれど。
心機一転、禊の儀式。
止まっていた時間を動かす、再生の転機。
「……アヴァ、さん…………?」
ニュルニュルに覆われる橘さんの目が、茫洋と開く。
「アヴァさん……欲しい……羨ましい……あなたに、なりたい……」
「私だって、色んな人と仲良く話せる橘さんが、羨ましかったよ」
走り向かいつつ、本心より応える。
あまり親しくない人相手にはいつもどもる私と違って、彼女は普通に、友達付き合いを熟せていた。
その普通に、嫉妬していた。
父を亡くし、心を壊してしまった中でもそう出来ていたと知った今では、尊敬すらしている。
「劣等感こそ、人が異なっていい証なんだよ」
「戯、言を」
「もちろん同じ部分もある」
「!」
「パパが大好きなところとか」
五体くらいまとめて、一纏めお徳用パックな感じで悪魔たちをぶっ飛ばしながら、快活に続ける。
「魔法少女なところとか!」
「っ、うぅうううぅううあああぁっ!?」
ニュルニュルに命を吸われ、獄級宝具の餌食とされながらも、最後のいたちっぺとばかりに根性を見せて。
悪魔を押し除け、殴りかかってくる橘さん。
「お父様、お父様、お父様、お父様、お父さ……お父さんっ、お父さん、お父さん!!」
どれだけ殴られても、効きはしない。
あなたの壊れかけの魔法少女では、魔法少女木倉アヴァに届きやしない。
でも彼女は、止まらない。
どうすればいいんだろうか。
気の済むまで、殴られてやればいいんだろうか。
そんないい奴を演じていいのかな。
それって、橘さんにとっての、私の目指すポジションなのかな。
「親父のことなんて忘れてバカやろうぜなんて誘って、実際に忘れさせてあげられる、悪友。木倉さんは、そういうポジション目指せばいいんじゃないですか?」
ああこれだ、悪友だ。
バカやって、悲しいことなんて忘れさせてやれ。
驚愕させて、今この瞬間に集中させてやれ。
悪友なんだから、それにふさわしい、悪どいパンチを決めてやれ。
言い訳させてもらうと、私は極度の興奮状態にあったし、後先なんて、まるで考えていなかった。
悪と言って思いついたのは、此度の事件の地味なMVP、椎波雅。
椎波雅で思いついてしまったのは、怪人化以上に強烈だった、ショッキングピンクだった、稀希希とのアレのシーン。
ガシッと右手で、本能の赴くままに、橘さんの頭を掴み。
強引に抱き寄せながら、顔のとある一部分付近の気持ち悪いニュルニュルを、左手で引きちぎって。
プニプニュッと、食らいつき。
愛しき友人の唇の間に、
舌を捻じ込んだ。
あと二話ほどお付き合いください。