閑話1
いかがだっただろうか。不幸と災いと遭遇が連続して起こった、私の中学校入学初日の一部始終は。魔法少女の物語としては、この導入は比較的ありふれたものだったかもしれない。自分でもそう感じる。
平和を望む穏健派で常識的な当事者としては、結構ディープな一日だったけれど。
客観的に見て、別の魔法少女から鑑みたとして、陳腐なものだったとしても驚かない。私は特に、別に、特別なことをしようとはしていないから。
特別ではない一日が終わった。死ぬつもりはまだまだないし、なんなら首ちょんぱでも核ミサイルでも死んでやるつもりはないので、明日からも未来は続く。
事実、続いた。
このまますぐに、三人いた遅刻者で、橘さんとは別な少女の一人とのちょっと不思議な関わり合いへと段階を進めたいのは山々だけれど、きっと、そのままストレートに提示されたのでは、少し理解に苦しむ部分もあるかもしれない。
聡明な脳細胞をほどほどに活用して、足りないエピソードを自己補完することもきっと可能なのだろう……が、わざわざこんなやり尽くされた、あるいはいずれやり尽くされるに違いない系統のお話で、必要以上に頭を使っていただくのは申し訳ない。
謙虚な私に免じて、私のことを大好きになってくれても構わない。
まあその、だから、モノローグの主たる私は、これから「現役時代」の話を少ししないといけない。一年と一ヶ月前、魔法少女としての選手生命が佳境に迫った時期のこと。
この時、重要な戦いが複数に亘って続いた。
アデトム。
オドガム。
マルザム。
どれも中ボス的な敵の名前で、それはもうかなり手強かった。中ボス的存在は実はもう一人配置されていたのだけど、というか四人合わせて四天王だったのだけれども、後の一人はここでは割愛させていただく。アデトムオドガムマルザムとは、彼女は少し毛色が異なっていたからだ。
でも彼ら三人については、めんどくさいので一気に話してしまいたいし、その方が望ましいのは分かっているけれど、長くなる。長い話は苦手なので。
だから敢えて、私の犯してしまう勘違いに免じて、此度はオドガムだけにのみ触れようかなと思う。
あいつは狐の怪物だった。尻尾が9本に分裂するまで、ずっとずっと「カイワタリ」に仕えてきた(と自称していた)、意外にも忠義には厚い奴だった。
主人以外には、ひたすら狡猾だったが。
もし、対決したのが親友を亡くした後、心のバランスが崩れておかしくなった私では恐らく、奴を倒すことは出来なかった。
……情報収集などの前哨戦も含めれば、二ヶ月以上戦い続けていたことになるのだが、さすがに全てを語っては冗長でかつ、退屈極まりない。忌避すべきである。決戦についてのみ話せば十分だろう。
それだけで、主たる目的であるところの「オドガムがどんな奴であったかの把握」には、お釣りが出てくるくらいだろう。
では手短に、早送りで。
◇◇◇
「イル・スペース」
自らの内に渦巻く魔力を完全に制御し、魔法少女の聖なるテリトリーを展開する。
奴を捉えるため、あとこの戦いによる被害を、現実世界にもたらさないため。
幻の、裏の、そこにあるようで、ともすればない、儚いフィールド。だが魔力依拠的な存在(精神生命体と呼ばれる)には滅法強く、解除されるまで絶対に放さない。
現在午後三時三十二分、ようやく追い詰め確保したこいつのために、わざわざ開発した魔法である。
「バカがぁ! もう逃げられない」
「小賢しい真似を!」
「あなたにだけは言われたくない」
空中でやりとりを交わす、正義の使者にして華麗なる美少女な私とその敵のアンダーに広がるは、メトロポリタン東京……の地形と建物だけが写し取られた場所。偽物。私たちの他に、命持つ者は一切いない。がらんとした大都市、人の姿がまったくない、人のために積み上げられた便利と生活の結晶は、とてつもなく気味が悪い。
「ついにここまで来たな」
横に、ふわりとミンミンが現れる。
「茜の嬢ちゃんは、今頃アヴァの今後のご活躍をお祈りしてるはずさ」
「なぜ内定見送りチックに言う? でもありがと」
「もっと小学生らしい返しがあるだろうに」と皮肉で返してくるミンミンこそ、魔法少女のマスコットらしくないだろうに。
茜は今回、足手まといになる公算が高かった。だから置いてきたのだ。一緒にいるとすこぶる元気が湧いてくるけれど、また人質にされたら目も当てられない。
この敵、オドガムは、平気でそういうことをやってくる奴なのだ。近頃の悪者には、悪になるだけの仕方のない理由があるのが主流だというに、時流に乗らないアホがいる。
「ここまで来た、だって……?」
鼻で笑われ、見下され、少々カチンと来てしまった。ぶっ殺した暁には、くり抜いた血管をつなぎ合わせて縄跳びに加工し、朝の日課にしてやりたいくらいだ。尤もこいつの性質上、殺害後に残る血肉はないが。
忌々しい狐野郎め。かくなる上は、目の前で油揚げを独り占めにしてやろうか。
「そうだなぁ、追い詰められたかもなぁ。だがこれで何度目だ?」
「……」
「これまで貴様は、三度も私を追い詰めた! だがどの機会もフイにしてきている! 貴様の爪の甘さは、毎度口から砂糖でも吐き出しそうになるなあ! この前は」
フッと、オドガムは九尾の狐から姿を変える。無表情をバレない範囲で崩して、「ちっ」と舌打ちせざるを得ない。ママ直伝の、パパから言わせれば「怖いヤツ」だ。ママの前以外では基本しない。
だがその舌打ちをせざるを得ないほど、私が不機嫌になってしまうのも当然であろう。
オドガムの、神敵にふさわしい妖狐の姿が。
私と同様、小学生の小さな親友、茜のものに変わったのだから。
「たったこれだけで、貴様は攻撃を躊躇したのだ」
その卑しく、嫌らしく、どうしようもない本性は、茜の顔にビッチリと刻み込まれているのだけれど、やはり効果は覿面なのだ。
命を断つのを、戸惑ってしまう。
甘い。自分は甘過ぎる。付き合って一週間目の恋人同士が醸し出す空気よりも甘い。砂糖を吐かれても仕方がない。「その女誰!?」って割り込んでいく邪悪なエキストラが必要である。ドッキリ系の企画で一番面白いアレだ。
「これだけ言われても表情を変えないところだけは評価してやる」
「お前には評価すべき点が一つもない。卑怯で、逃げてばっかの、プライドなし。根性なし。バァカ」
「バカは余計だ。だが何を言われようが、狐の中の狐であるところの私には、自分だけの美学があるのだよ。貴様のような中途半端なハーフとは違ってな」
「なんてこと。私のおかげで『中途半端』の価値が激増してしまった」
「ほざけ」と、茜の姿のままで、オドガムは突っ込んでくる。接近戦を挑むつもりか? と身構えるや否や、奴は口元に莫大な魔力エネルギーを集め出す。誰であってもそれと分かる、古典的なビームの前兆。ビル一つ呑み込むほどのちょっとしたクレーターなら、安い人件費で大量生産出来そうなパワーを感じる。
ところで、クレーターと言えば口内炎を彷彿とさせるので、唇を噛まないかと歯を意識してしまうし、また歯といえば、気になるのは虫歯だ。
身に覚えがある読者も多いだろうけれど、小学校では虫歯を予防するよう、生徒たちはフッ化物で歯にコーディング(?)をかける。あれ自体はとっても苦手なのだが、しかし学ぶべきところも多い、よって伝統に倣うことにする。
私は手に魔力コーディングを施し、敵の口元の魔力球を押し込んでやった。それなりに掌もひりひりするが、自家製治癒魔法ですぐに回復するレベル。
偽茜の頭は吹き飛んだ。しかしこれで終わる相手ではない。体を変形させ、元の狐に戻る。変身すれば負傷が消えてしまうのがこいつの厄介なところである。
「ハハハ! 効かないなガキ! ガキはママのおっぱいでもしゃぶってな!」
「ママはしゃぶるほどおっぱいない」
「そりゃあご愁傷様だっ!」
しゃぶれない私に言ってるのか、しゃぶるほどおっぱいのないママに言ってるのか。幼い私は、いったいどうやってミルクを飲んでいたのだろう。
今頃ママは、家でくしゃみしておやつを喉につまらせていると思う。いい気味だ。
「狐の忌火!」
「エンゼルカノン(強)!」
供物を容赦無く焚く炎を、神聖なる水で浄化する。辺りを覆う白い蒸気を燃費良く活用し、作り上げるは千本もの極細の氷矢。
360°、満遍なく撒き散らす。
「そんなチマチマしたもので、私に傷を付けられると……ぬおっ!? 熱っ!??」
矢が弾かれるのは、厚い体毛を見れば分かる。だから氷の中に、ドライアイスも混ぜておいた。
地球の自然にほぼ存在し得ないマイナス79℃は、九尾の狐の肌にすら激痛を走らせる。だのに、せっかく負わせた凍傷も、奴は自分自身に変身することで治してしまった。
これでは無限再生機関ではないかと絶望してしまいそうになるが、実はそんなことはない。彼固有の能力たる完璧すぎるほどの変身も、際限なく連続使用可能ということはなく、その源は魔力。
すべての燃料を吐き出した飛行機は、なす術もなく墜落するのと同様に、魔力尽きるまで変身させれば、迫りくる命の刻限に奴も腹を括るしかなくなる。
「ああクソッ! 様子見なんて性に合わんっ、行くぞ!」
突き出すように上げた九つの尻尾の先端に、眩きほどの小さな光。それらを中心に、ザワザワと空気が動き始める、乱気流が起こり出す。
プロミネンスのようなおどろおどろしい環、踊り出す一つ一つは、それぞれが小さな太陽。
ありゃあ喰らったらやばいぜ。
次々と接近するサンシャイン。「曲芸じみた」と茜に称される動きで躱していくけれども、近くにあるだけでめっちゃ熱い。まだ二月だというに! 生み出すオドガムさん側の心配をしたくなるほどの熱さだ。
弾数も、特段尻尾の本数である「九」という制約が設けられているわけではないらしい。あれだけの大技なのに、タメも反動も一切なく気軽に撃ち続けている。魔力は中ボス相応どころか、裏ボス並にありそうというのが正直な感想で、あんなのの魔力切れを狙うなど愚か極まりないのでは。
そう、実のところは、狙ってるのは魔力切れではない……あ、追尾してきた。正確には、とある敵のような友達のくれた「未来視」が発動して、三秒後の追尾Uターンを予知した。助かった、早速助けられてしまった。
だが面倒な。絶対零度の冷却で以っていなす。
「どうしたどうしたっ!? 防戦一方じゃあないか!」
変身能力を応用した反則のような再生に、天元突破した高威力な攻撃。ニチアサのお可愛い魔法少女如きでは、終盤に至ってさえも対処は不可能だろう。
だが幸いにして、私はなろう系げきつよ魔法少女である。つまり子供たちの夢を平気で乗り越えていくし、大人の事情なんて知ったことではないし、時にはP◯Aの理想的小学生像なんて粉々に砕いていくということだ。
「ミンミン」
「あいよ」
背中に括り付けたステッキを手に持ち、相棒かつ共犯者であるところのマスコットの名前を呼ぶ。攻撃当たらぬ離れた場所で、静かに応えた彼は金色の魔法粒子になって、
魔法少女の専用魔宝具:ステッキに宿り。
【『回路』解放】
【『制限』解放】
【『交叉』解放】
古来より断続的に現る(卑弥呼とか)魔法少女史上最高の天才らしい私の本来の能力が、次々と解き放たれていく。御し切るのは大変だ。このまま十五分も放っておけば、未成熟な小学生である私の体など、ものの見事に破裂するに違いない。
早く魔法を打って吐き出さねば。
「太陽か、ふはは、所詮太陽。それでも答えよう。こちらはシリウスだ」
ヌッと広がる青白き光が、着々と破壊されつつある擬似東京を照らす。
それは量産品的小太陽よりも高圧縮高品質で、高火力。
獣の目を見開き、本能的に身を竦ませて、オドガムは精一杯の言葉を捻り出した。
「ば、ばかな……」
「前回イタチのさいごっぺよろしく、その太陽を一発だけ見せてくれたでしょ? それを解析して作った。ヴイ」
ステッキを持ってない方の手でVマークを象る。それはピースではなく、まごうことなき勝利宣言。
踵を返し逃げ出す妖狐、四天王の名に違わず、凄まじいスピードだ(亀のアデトムは鈍かったが。その分固かったけれど)。まあまともにやれば当たらないだろう。
計画通り、「イル・スペース」の外にある、本体へと号令を送る。精神はこちらにあるが、「イル・スペース」の魔法の保持に、意識を失った体が柱として使われているのだ。
精神を元に戻し、作られし虚構のスペースを点まで収束させる。
さすればオドガムとシリウスは衝突し、奴の精神も死ぬ。私と同じく本体は、現実の東京の空に浮いたままだが。精神の死は、「カイワタリ」麾下の精神生命体にとって致命的。
パチリと目を開けば、両掌の間にサッカーボールほどの大きさで展開していた「イル・スペース」は、針の穴ほどまで小さくなっていて。
プツンと、点として消えた。同時にボロボロと消滅する、オドガムの本体。
精神を取り込まれたと気づかれれば、死に物狂いで逃げ出されたかな。ずる賢い精神生命体のために茜と用意した、甘い自分が本気で戦わずとも勝てる策は、するりと上手くハマったと言える。
「やったな」
労いつつ話しかけてきたミンミンに、即席で編んだマジックブレードを突き刺した。絵面的にアウトかもしれない。しかし、必要悪だった。
「ステッキの演出に騙されたか? ミンミンの本体は茜のところ」
「クソッここまでお見通しかよ……」
揺れる像。すぐさま、絞りカスの子ギツネ状態なオドガムの姿が露わになる。コフッと、僅かな血を吐いた。もう死にかけだ。放っておいても死ぬかもしれない。
が、「かもしれない」に頼っていれば、茜曰く山ほどのものを見逃してしまうらしいから。
「『カイワタリ』様、すまん」
「『死ね』」
ここまで弱っていれば、即死魔法も通じるというもの。子ギツネは汚い灰になって、首都圏の汚い空に、サーッと流れていく。
細かな灰を眺めながら、けれどもどこか遠くも見つつ、もうすでに遅いけれども、オドガムに問うた。
「どうしてあなたも、アデトムも」
つい最近の記憶に、右目を抑える。
「ハバクムも」
別に理解する気もない。理解しようとしても多分出来ない。やるせなさと諦めがごちゃごちゃして、自分でも分からなくなっていく。
東京の空気と、人模様みたいだねと、あの大人びた茜なら小学生らしくもなく口走ったかもしれない。要するに、セイレーンの歌声のように清廉潔白たる私の心も、洗濯せねば汚れてしまうってことだ。
「『カイワタリ』なんかに従うの」
もしかしたらだけれど、ちゃんとした理由なんて、彼らにすら分からないかもしれない。そうであるならば、この不甲斐なさもいくらか和らげられるだろうか。
安らぎを求め、ふと首を横に向ければ、沈みかける本物の太陽の光が、とても優しく感ぜられる。
もうすぐ冬は終わる。小学校最後の年の春がやってくる。私も地球も太陽も、寂しさ混じりの穏やかな気持ちになるというものだ。そして春迫る心地よい足音にも、どこか不快になるノイズが混じっていた。
魔法少女の私を苛立たせることに、小さな小さな不協和音も、ほんのちょっぴり混じっていたのだ。
◇◇◇
現在。
◇◇◇
「やはり立ちはだかるか。『時』の魔法少女」
スタンドライトのみに照らされる、不気味な薄暗い部屋。床に転がるリモコンや本が、末広がりの陰影を不気味に伸ばしている。
光はまた、部屋の主である男の顔の、皺や鼻立ちをくっきりと描き出していた。
彼が、自らの眷属を通じて見たもの。
それは、自分たちに幾度となく辛酸を舐めさせ、仲間を軒並み慈悲なく殺し、挙げ句の果てにはボスまで討ち滅ぼした、かの憎き敵。
「『カイワタリ』様は必ず復活する。させる」
歯をギリッと鳴らし、目を血走らせ、彼は決意を新たにする。
「そして『カイワタリ』様は私とともに、奴をぶち殺す」
さすれば世界に、敵はなし。
自らも、あの少女に消滅させられた。そのはずだった。しかし、なぜかは不明だけれども、こうして今を生きている。
これこそまさに、『時』の魔法少女を殺せという、運命の思し召し。
「仇は必ず、討つ」
昂る怒りを押さえつけ、座面のネジ緩む椅子にギシリと座り。
男は努めて冷静に、彼女を出し抜くための計画を練り始めた。