「新人魔法少女もファザコン前編」
「もし、協力してくれるなら。君のお父様を、人として生き返らせてあげよう」
◇◇◇
彼女は、料理以外では天才ではなかったが、小さい頃から努力家だった。
天才ではなくても、要領は決して悪くなかった。だから、あげる成績は、学問でもスポーツでも、基本的に優秀だった。しかし天才ではなかったから、一番にはなれない。なればこそ、彼女は慢心することなく努力を続けた。
「一番を、目指しなさい。ならなくても構わないから」
彼女の父は、事あるごとに娘にそう言っていた。喩え成果が上がらなくても、ドベに近くても、向上心を以って努力していれば、彼は必ず娘を褒めた。
父に褒められるのが、大好きだった。
勉強を教えてもらうこともあった。教えてもらったところでいい点数が取れれば真っ先に父に駆け寄るし、いい点数が取れなくても、抱きつくために駆け寄った。
「頑張ったなぁ。偉いぞ。よしよし。うむむ、70点か、父さんの教え方が悪かったのかなぁ。また一緒に作戦を考えよう」
「頑張ったなぁ。偉いぞ。おぉ、100点か、こっちも素晴らしい!」
結果が出なくても努力を否定されたりしないし、頑張ってれば褒められるから、素直な彼女は必ず頑張った。とりあえず、父の言うように一番を目指し続けた。
なかなかなれなかったものの。しかしそれでも良かった。もちろんトップに立てたら嬉しいが、とにかく褒めてもらって、頭を撫でてもらえば、もう彼女は大満足だった。
目指すことは重要だったが、目指す場所自体は些事だった。
褒められて、照れて、ここのところマイブームになっている口調で話す。
「えへへ。嬉しい。ですわ。お父様!」
「ですわと来たか! 和美お嬢様はかわいいぞ!」
「もう。いつもの口調は普通なのに……」
母は呆れていたものの、褒められるのと同じくらい、彼女は自慢の父にお嬢様扱いされるのが大好きだった。四年生の頃だっただろうか。一度ふざけて、母親の貸してくれた少女漫画のキャラクターの真似をしたら、父は予想以上に喜んで、彼女も釣られて喜んだ。
以来、懲りずに何度も、「お嬢様」の演技を繰り返した。父も飽きずに可愛がり続けた。
親バカだったし、ファザコンだった。
微笑ましいくらいに。
彼女の父が亡くなったのは、去年の十月中旬のことだった。
ながらスマホの、不注意運転。真昼間。前方車の突然の徐行、
急ブレーキ、
片手ハンドル操作のミス、
歩道への車体突っ込み、
昼休みで外出していた会社員が跳ね飛ばされる。
即死。
五時間目が始まる直前、自分だけ職員室に呼び出され、事故について聞かされた時、何が何やら分からなかった。
前後不覚に陥った。
自己を見失った。
嘘だと、否定の言葉を喚き散らした。
「病院に搬送され間もなく死亡が確認された」父との面会は、願っても叶わなかった。死体の有り様は、もうすぐ中学生とは言え、とても子供に見せられるものではなかった。
次に父の顔を見たのは、事故の三日のち。葬儀での遺影。
有能な人格者だったからか、式には大勢の参列者が詰めかけた。あの人は、明るく陽気な人だったから、志半ばでの死だったとしても、きっとたくさんの人に見送られたかっただろう……と涙ながらに考えた母の方針で、身内だけの閉じたものにはならなかった。
喪服の人々が並ぶその最前列で、紫色の座布団の上、彼女は茫然と座っていた。誰もが目を逸らしてしまうほどに、纏う空気は暗鬱としており、瞳にはあまりにも光がなかった。母の気丈な様子と比べると、余計に見ていられない……むしろ、娘の悲嘆に当てられて、自分がしっかりしないでどうすると、母は強さを取り戻したのかもしれない。
無論、小学生の彼女には、本来の自分を取り戻す術などない。
お通夜、葬儀、告別式、火葬という形式上の行事に、大好きだった父とのすっぱりとした決別をもたらす力など、ない。
彼女の家の、玄関とリビングを繋ぐ通路の途中、スライド式のドアを明ければ、落ち着いた雰囲気の畳部屋がある。そこに、父のための小さな仏壇が一つ、設けられた。
暇を見つけては、彼女は仏壇の前に座って、ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ、何かを呟いていた。
ねえ父さん、過去問頑張ったよ、頑張りました……わ。
クッキーを焼いたよ、焼きましたの、父さんの、お父様の大好きな、です、わ。
見て見て、くださいな、テストで100点、取りました、のよ。
弓の、お弓の教室で、ど真ん中に、的の中心に、当たった、命中しましたのよ、今日で最後ですが、もうやめるのですけれど。
お父様の、お得意な、クロスボウ、また教えて欲しい、ですわ。かっこいいお父様のお姿、また拝見したいですわ。
模試の成績で、上位に入れましたわ。お父様のおかげ、ですわ。
お父様、今日も笑顔がお似合いですわ。私も笑いますの。
第一志望、合格しましたわ。
嬉しいこと、努力したこと、よく出来たこと、伝えたいこと、話したいことがあれば、彼女はすべて報告した。
褒められることもないのに。
お嬢様口調を、親バカのハイテンションで喜ばれることも、もうないのに。
過去の美しい思い出に縋り付いて、喋り方がお嬢様のそれにどんどん近づいていく娘、どんどん壊れていく娘とともに過ごすうち、最初は気をしっかり持っていた母も、精神に傷を負っていく。
どう助けてあげればいいのか、まるで分からない。
こんな時こそ、あの人がいれば……。
二ヶ月もすれば、十二年ぶりに復帰した仕事に打ち込むようになって、家にいることはほとんどなくなってしまった。
年が明けて一月下旬、彼女は当初の予定通り、近くにある私立の女子中に入学することが決定した。もちろん公立と比べて金はかかるが、彼女が行きたがったこと、何よりここへの入学が、父の生前における一番の願いだったこともあって、母から許しを得た。親戚からの資金援助もあった。
入試の合格発表以降、彼女は努力をピタリとやめてしまった。
同時に、毎日欠かさず行っていた、仏壇前での一人語りもしなくなった。
正気に返った。我に返った。お父様はもういない。
見せる相手がいない。
努力しても、誰も褒めてくれない。
趣味のお菓子作り以外は、ずっとダラダラゴロゴロするようになった。残り少ない小学校の授業日数となったが、登校しないどころか、まったく外出すらしない。
怠惰なる日々を過ごしていると、いつの間にか終業式も、卒業式も、とっくの昔に過ぎていた。すでに三月十九日。されど彼女は気にする様子もなく、いつもの通りに冷蔵庫を開け、あれ、と間抜けな表情になる。
「お母様、買い置きを忘れていらっしゃいますわね……えっ」
バッと、口を手で抑える。無意識のうちに、お嬢様口調がしっかり板についてしまっていた。しばらく声を発していなかったから、全然気がついていなかった。
元の口調に、戻さないとですわ。
「あれ、ワタクシ、どのような言葉遣いをしておりましたっけ……」
思い出そうとしても、思い出せない。だが頑張らないと、中学校で恥を掻くことになる、とまで考えたのち。
頑張る?
「頑張っても、もう誰も褒めてくれないのに、ですの?」
ハッと、自らのしみったれた思考回路を鼻で笑った。すると喋り方なんて、どうでも良くなった。Web小説巡回用の、お供のお菓子でも作りましょう……と踵を返したところで、冷蔵庫に何もないことに気づく。
さすがに食べるものがないのは、辛い。
ということで、食糧を買い込みに、渋々家の外に出た。スーパーまでの道を思い出しつつ、仏頂面で市街地の細道を歩く。
肉や野菜、小麦粉、砂糖、シロップ等を購入し、指に食い込む袋の持ち手にそろそろ痛いと感じ始めた時、暖かな日差しに暑さを感じてイライラし始めた頃合いのこと。
彼女、橘和美は、運命の転換点に立つ。
「あっ、素質ある人発見! 君、君リン。ゴホン、えー、魔法少女になりませんか? リン」