「元魔法少女はふくしゅうしたい」
「宿題を、返却するよ」
壇上に立つ、代数の担当こと論部先生はそう言って、にこやかな笑みを浮かべる。背高でハンサムな、今年27になる彼女は、若くして生徒からの人気ナンバーワン教師らしい。熱狂的なファンクラブもある。
出会いを求める川北先生は、「論部さんが男であったなら……いやもういっそ……」と、危ない目をしながら嘆いていた。イケてる人というのは、こうも周囲をトチ狂わせる。
ただ私個人としては、確かに容姿はかっこいいものの、いかんせん授業の内容がスマートというか先鋭的過ぎて、早くもついていけるかかなり危険な状況にあるので、もうちょっとポワポワした人にチェンジして欲しいというのが本音だ。数学の先生には藁木倫子という、川北先生を超えるド天然なおばあちゃんがおり、その人に教えて欲しいという見解で橘さん他数名と一致している(たまたま橘さんフレンズの輪に入れた。悲しいことに、私自身は一言二言しか発せてない)。
A4藁半紙の束を抱えて、論部先生は一人一人名前を呼び始めた。低くて豊かなコントラルトの声は耳心地よく、名前を呼ばれて頰を染める生徒も出るほどだ。彼女はこうやって、集めた宿題を採点して返すと、初回の授業で約束していた。働き方改革が叫ばれるこのご時世でここまでするとは、先生として大変素晴らしい人格者なのだが、不出来な生徒としては災難以外の何物でもなかった。
記念すべき第一回目の宿題が、着々と返されていく。出席番号とは関係なく出した順番で返されるからか、カ行の私より前に、橘さんはすでに自分の答案を受け取っていた。ヒダカさんに教えを請うた最後の問題以外は赤字まみれで、反対に彼女の顔は青くなっている。
「ええっと……木倉、愛幸、さん?」
「それでアヴァと読みます先生」
「へー」
クスクスと小さな笑いも起こる中、論部先生は興味深そうに頷き、サッと用紙が返却される。その紙は、協力して解いたのだから当たり前かもしれないが、橘さんとほぼ同じ様相を呈していた。
もはや紙じゃなくてゴミだ。
「『幸せを愛する』でAvaか。いい名前じゃないか。国語の先生じゃないけれど、読みはともかく、漢字の成り立ちはとても重要で、常に意識しないと熟語の本質は見えてこない。それは人の名においてもある程度当てはまる議論でさ、通常は、名とは親が子にそれが本質であって欲しいと思って付けるものだから、大事にしても、宝物にしてもいいと私は思っているよ。尤も残念なことに、異常な場合もあるんだけどね」
イケメンかよ。
普通キラキラネームと断じる場面で、こうも私の名前を肯定し、剰え含蓄ある話をするとは。
背高でハンサムで、授業は(分かる人にとっては)スマートで、長文セリフもかっこいいとかやばいなこの人。ついエンヴィーしちゃう。
「まあとにかく、ちゃんと宿題の復習はしようね」
「ギャフン」
ただし、イイハナシだなぁでは終わらず、きちんと釘は刺してきた。紙ではなくゴミだとして、ゴミ箱に捨てようと考えていた私の胸中を読んだのか。
正直出来る人過ぎて、不出来な私には勿体ないので、やはり藁木先生にチェンジして欲しいものだ。
席に戻り、見たくもない答案を、もう一度眺めてみると。最後の問題に「直線を二つの数字の組の集合として考えられていてエライ!」と、らしくないカワイイ字で添えられていて。
ホントに勿体ないお言葉で、それ、ヒダカのおかげなんですと、罪悪感を覚えざるを得なかった。
◇◇◇
そのヒダカちゃん捜索のためのプランニングについては、早くも暗礁に乗り上げていた。
「『サーチ』という人探しのための魔法があるのでしょう? 手当たり次第というわけにはいかないんですの? 4」
「別に『サーチ』は人限定ではないけれど。手当たり次第も出来なくはないけれど、MP効率が滅法悪くて、四国一つ分の探知で一日分の魔力が枯渇する。枯渇の虚脱感ぱないし、あまりやりたくないな。5」
「6」
「それでも四国くらいならカバー可能なんですのね……ミウイさんダウト」
「みうっ!? なぜバレたし!??」
慄くミウイに、橘さんは「これ実は6じゃないって顔に書いてありましたのー」と返す。なるほど確かに、ミウイは碌でなしである。
現在放課後、我々は橘さんの家に集まり、彼女の自室で橘印のお菓子をつつきながら、マスコットを交えてトランプしている。ウサギの人形(川北先生に似ている?)など可愛らしいファンシー系のグッズもあるものの、ポヤポヤした見た目に似合わず武芸を嗜むのか、隅っこにポンと置かれる弓の一式・道着が妙に印象的だ。
さて、此度集まったのは、単にヒダカを見つける作戦を考える、ブレインストーミングの会合のためなのであるが、しかし結局のところ食べて駄弁って遊んでいるだけなので、まあ健全かつ能天気な中学生の行動範囲内に収まってしまっていた。
魔法少女の名折れであると言ってもいいかもしれないが、本来私が目指していた、「日々を平和に過ごす普通の中学生」像には見事に合致している。ならこの状況を全力で楽しんでやろうじゃないかと、八枚目の橘クッキーを、紙を貪るシュレッダーのように高速ボリボリ。
「アヴァさんやアヴァさんや、そんなに食べると太りますわよ。8」
「平気平気。私はどんなに食べても太らないから。9」
「ぶん殴ってもよろしいでしょうか?」
青筋を立てる橘さん。おっと。不用意な発言で目前の少女が兵器と化しそうだ。漫画だったら、背景に「ゴゴゴゴゴ……」とかついたに違いない。
「よし、プチ修羅場ってる間に……10みうっ」
「ダウト」
「みうううう!?」
頭を抱えるミウイ。そんなに手札を持ってるのに10はなかったのか。ウケる。無表情だけれど。
「11リン」
「はっ! 臣下のくせに王子たるミウイより先にアガるとか許さんっ! ダウトみう!」
「残念です王子。真実のJリン」
「まじかよ」
雪だるま式に負債が増えていく(赤字過多と、数学の宿題を彷彿とさせる)事実に、マスコットがしていい類ではない真顔になる。王子がこんなに騙されやすくていいのか。為政者の資質ゼロではないか?
会った時、こいつは社会勉強のために任務に駆り出されたと言っていたが、こうも無能となると……王様に、ワンチャン殉職狙われちゃってるんじゃなかろうか。王位継承者も、こいつ一人というわけでもないだろうし。
任務最中の不幸な死。協力してやらんでもないけれど……。
「ぶるるっ! なんか殺気を感じるみう」
「……どうやら、アヴァさんが気づかれたみたいリン」
「え、何を? みう??」
リーンにアイコンタクトを取られたので、コクリと頷く。漂う不穏な空気。その上で交わされる、「気づいたって、何に?」「ミウイ王子はお気になさらずリン……」というやり取り。
命の刻限、刻々迫る。
とまあ、冗談は置いておいて(ミウイからすればそれこそ冗談じゃないが)。
「12、Q、ワタクシに相応しい称号ですわ! はあ、本当に、いつかワタクシをクイーンにしてくださるお方が現れないでしょうか? 具体的には、きから始まり、ヴァで終わる方」
「13。怪人キーヴァのこと? あいつはやめといた方がいいよ。金遣い荒いし横暴だし、なんてったって手取りが年収200万ない」
「そんなみみっちい怪人知らんですわ!」
「私も知らない」
ミウイがA、続いてリーンが2を出してアガり、ゲームは終了。残った枚数で勝負すると、二位が私、三位は橘さんで、ミウイはぶっちぎりのドベだった。
「解せんみう。まあ所詮運の問題みう」
「ダウトは結構実力勝負ですわ。それにしても、こうブレストしても、ヒダカさん捜索の妙案は思いつきませんわねー」
「遊んでただけだしね」
「お勉強の復習とかしなくていいリン? 特に数学」
「うっ! ですわ」
「復讐ならしたい」
リベンジマッチだぜ! 頭がダメなら、拳で勝負!
さあ論部先生、そのミステリアスイケメン、いつまで保ってられるかな?
「魔法少女の発想じゃないリン」
「元なので」
「まだ言い張るんですの? 話を戻しますけれど、ワタクシたちのような数学弱者にはヤバみの深い先生なのは確かで、交代して欲しい気持ちは山々ですが、でも努力家で、実力もあって、生徒と向き合おうとする熱意は本物で、とってもいい先生なのもまた確かですわ」
なので、あの先生が言うのであれば、復習はやはりきちんとした方が良いと思うのですわ。
橘さんの言いたいことは、つまりこういうことだろう。すべて同意する。正確には、理性が同意している。今は苦しくとも、将来絶対役に立って、現在のマイナス分を超克してくれるだろうから、と。
だがしかし、魔法のせいでちょっぴり怠け癖のついた本能は、先生への害意でいっぱいだ。こればっかりは生来の気質なので、どうにもならない。ゆっくり慣らしていくしかないのか。
ヒダカには、ぜひ戻ってきていただいて、我々数弱魔法少女を全力でサポートして欲しいものだ。
脱線した議論はまた、「ヒダカを探さなければ」に戻ってくる。
すべての道は、ヒダカに通ず。
「アヴァさん、そう難しい無表情なさらないで。代数とは無関係でも、先ほど素晴らしいお言葉をもらっていたではないですか。目から鱗、口からエクトプラズム、不覚にも惚れそうになってしまいましたわ」
私の名を説明された瞬間、真っ先にキラキラネームと仰られた彼女は、掌を組んで憧れたようにうっとり話す。
「口からエクトプラズム」は、ちょっと違う気がするが。それ昇天してない?
「漢字の、成り立ちか……」
あるいは漢字に関わらず。
熟語の構成。単語の構成。
どんな字が使われているか、どんな文字の羅列か、またあるいはどういう語源を持っているのか。日本語のみならず、中国語でも英語でもフランス語でもドイツ語でも、アラビア語でももちろん重要なのであろう。
構成を分解して、一つ一つの要素を吟味することで、初めて語が本当に指し示したい何か、さらには語の持つ真理が理解出来るのかもしれない。
「あれ?」
意識することで、疑問を抱かなかった、そういうものだと流していた「成り立ち」の固有名詞が、フッと頭に思い浮かぶ。
先生のおかげで、気づけた。
「そういやさ、ミウイ」
「ん? みう?」
ドベのペナルティとして、トランプ及び空になった菓子皿を丁寧に片付けていたミウイが、面を上げる。そんなパシられ妖精に、私は尋ねた。
「怪人……凶悪化した魔法生命体が、『遺禍』と呼ばれるのは何故?」
ミウイさんたちマスコットは、キュゥなんとかみたいな全にして一みたいな生命体ではないので、死んだら普通に死にます。