残された娘
それはいつの頃であったか。
私が元服して間もない頃だった。
「信幸、ちと使いに行ってはくれんか?」
父に言われ、私は父の使いの為に寺へ行くはめになった。
別にこれという用事もないし、今日の日課も一応すませたところなので父のお願いにつきあうことにした。
一人で行くのも何だし、誰かを供にお願いしようと考えた。
もしここに弟の弁丸がいれば弁丸と一緒に行くのだが……。
今、弁丸は甲府にいた。父・昌幸が兄の死後真田家を継いだ折、甲斐甲府の館から信濃小県の松尾城に居を移した。しかし、この時二男の弁丸は甲府の館の方に戻した。
真田家が武田家を裏切らないという証の為に。
武田勝頼は真田家をたいそう信頼していたので人質は必要ないと言ったらしいが、昌幸は弁丸を甲府に残していた。
この時、私は幼い弁丸を一人残してきた父を詰り自分も父に逆らって甲府に残ろうとしたのだが、弁丸は気にしていないと言い人質の身を受け入れ自分に心配をかけまいとする姿を見て渋々父母と信濃へ移ったのだ。
「………」
『私も行きます』と兄の自分の後ろについてくる弟の姿がないのを寂しく感じた。
仕方ない。一人で行くか。
そう思い厩の方へ歩を進めた。
「すまんが馬を出してくれないか?」
厩の当番に言うと彼は頷いて私の栗毛を出してきた。
「どちらへ行かれるのでしょうか?」
「父の遣いでちょっと寺へ」
「おひとりで大丈夫でしょうか?」
「なに、真田の領内なんだ。心配ないさ」
私は笑って言い、手綱を受け取り馬に跨った。
「お気をつけて」
そう言われ私は頷き、鹿毛を歩かせた。
城を出て到着した寺は戦火を免れて綺麗に整備されていた。
この寺はかつては別の場所にあったそうだが、伯父の先代当主の信綱がこの地に移したのだ。
先年の設楽ヶ原の戦にて討ち死に、この寺が伯父の菩提寺になったと言われていた。
そしてこの寺には信綱伯父の妻子が住んでいらっしゃった。
こたび父に頼まれたのがこの未亡人に届け物をする為であった。
「失礼。私は真田安房守の子・源三郎信幸と申します。父より伯母に預かり物があります」
寺の境内にて掃除をする若い女性に声をかけた。伯母の侍女であろうか。彼女は眼をぱちくりさせ、「こちらへ」と寺の中へ案内した。とある部屋に案内され、そこで待たされた。
しばらくしていると部屋に尼僧がやってきた。
伯父・信綱の妻・井上夫人であった。
「源三郎殿、久しぶりにございます」
「は、お元気そうでなにより」
私は頭を下げ挨拶を述べた。
「堅苦しい挨拶は抜きです。さぁ、顔を見せておくれ」
そう言われ私は顔をあげた。
「ふふ……随分立派な若武者になりましたね。さぞかし女性にもてるでしょう」
「生憎、毎日武芸・学問に勤しんでいる為、女性とはなかなか……」
「あらそうなの」
井上夫人は意外そうに声をあげた。
「父より預かった品でございます」
私は父の贈り物を井上夫人に差し出した。
「まぁ、ありがとう」
彼女はそれを受け取り、大事そうに胸に抱いた。
一体なんだったのだろう。
少し興味があったが、他人の物をあれこれ聞くのは失礼だと思い無関心を装った。
「ふふ、何が入っているか気になる?」
「いえ……」
私は少しどきっとしたが、平静さを装った。
「櫛よ」
井上夫人は私の内心を知ってか知らずか中の物を教えてくれた。
「櫛?」
「そう……こちらの寺に移る前に松尾城でなくしてしまったの。随分探したのですが、見つからず……諦めて城を出て。この前やってきた昌幸殿にそのことを話したら、昌幸殿がわざわざ探して見つけて下さったのよ」
井上夫人は包みを解き、中の物を取りだした。
きらりと光る美しい装飾が施された櫛が姿を現す。
井上夫人は愛しそうにそれを撫でた。
「亡き殿が私の為にくださった品なのよ」
「そうでしたか」
「戦のことばかり考える武骨な方でしたのでこのような物を贈ってくださるなんて夢にも思わなかったわ」
井上夫人はそう言いながら昔の思い出に浸っているようであった。
「失礼いたします。白湯をお持ちしました」
部屋の中に声をかけてきたのは先の私をこの部屋に案内した若い女性。彼女は私と井上夫人に白湯を運んでそっと井上夫人の隣に座った。彼女はにこにこ私に笑いかけた。
「あ……の、あなたは?」
私はそう尋ねると彼女は意外そうに眼を丸くした。
「まぁ、源三郎。私を覚えていないのですか?」
「はぁ……申し訳ありません」
それを聞いて井上夫人はくすくすと笑った。
「これ、千草。源三郎殿とお呼びなさい。次期真田家の当主になられる方ですよ」
「……え、……あ……ひょっとして千草か」
私は千草を笑って叱りつける井上夫人の言葉から思い出したように声をあげた。
「そうですよ」
思い出した?
彼女の大きな瞳がそう私に問いかけているようだった。
「ああ、前会った時はまだ十にも満たなかったから……その随分変わられたな。五年、ぶりか」
彼女は千草姫。先代真田信綱とその室・井上夫人の間に生まれた娘で、信幸の従姉である。
「あなたひょっとして私を母上の侍女とか思っていたんでしょう」
「面目ない」
私は頭を下げ、謝罪した。
「正直ね。ここはそんなことありませんって慌てて言ってくれたらいいのに」
千草はくすくす笑う。
「あ、えと……それでは伯母上、用事もすんだことですし、私はお暇させていただきます」
私はなんだか落ち着かずそう言い残し、立ち上がった。
「あら、久々に再会したのですからもう少しいればいいのに」
千草がそう言うが、私は苦笑いして「用事があるので」と適当な事を言って部屋を出た。建物の外に出ると後ろから千草がおいかけてきた。
「待って。見送るから」
「必要ない」
私は断ったが、千草は全く聞かず履物を履いた。
「……」
「弁丸は元気かしら? 一緒ではないの? いつもあなたたち一緒にいたじゃない」
「弁丸は甲府にいる」
「甲府に?」
「ああ」
「そう……」
それがどういう意味なのか千草は悟ったのかそれ以上のことは聞かなかった。
「源三郎殿は元服なされたのね」
「ああ、信幸という名を頂いた」
「ふぅん……信幸殿ね」
何が楽しいのか、千草は「信幸殿、信幸殿」と何度も呟いて笑った。
「久しぶりにあってびっくりしたわ。随分背が伸びたのね」
「そうか?」
まぁ、五年もすればそう感じるだろう。
「ねぇ、父上とあなたどっちが高いのかしら」
「さて、比べたことがないからな」
一瞬、今のはもう少し考えて返した方が良かったのではと後悔した。
「そうよね」
しかし、返って来たのは思ったより明るい声。
「? ……どうしたの?」
千草はきょとんとした。
「いや……」
「ひょっとして亡き父上の話だから私が傷つかないようにうまい返事をすれば良かったとか思ったのかしら」
「……」
「あなたって真面目ね」
鈴の音のように千草は笑った。
「別に気にしなくていいのよ。むしろ変に気を使われても鬱陶しいだけだわ」
「鬱陶しいって……」
「でも、一応ありがとう……相変わらず正直で真面目な人ね。昔に比べて随分眉間に皺寄っているし、大丈夫?」
「………」
「まぁ、あなたらしくって安心したわ」
私らしいって……。
一体この人の中の私はどう映っていたんだ?
寺の出口に辿り着き、私は門の外に待たせていた馬の手綱を引き寄せた。
「信幸殿」
「ん?」
「その……また来てくださいね。母も喜びます」
「ああ、そうだな……そうだ、今度来た時は五郎も連れてこよう」
「五郎?」
「昌輝伯父上の子の五郎だ」
「ああ、あの子……そういえば昌幸叔父上が引き取ったのね。随分大きくなったんじゃない?」
「ああ、昌輝伯父に似て少々虚弱なところがあるが随分丈夫になった」
「そう、楽しみだわ」
「じゃな」
そう言い、私は信綱寺を後にした。ふと後ろを向くとまだ彼女は寺の門の前で私を見送っていた。
それから数日経ったとき、私は千草に言った通りに何度も通った。その折に五郎を供にしたり、別の者を連れてきたり。
そうして何度か通っているうちに私と千草は随分親しい仲になった。それは従姉弟としての関係を超えたものとなっていた。それを知った時父親は驚いたが、弟は特に驚く様子はなかったと思う。
そして生まれたのが信吉だったとさ。
すいません。資料がなかなか見つからず妄想の領域となってしまいました(探し方がそもそもヘタという)