天女
ササラは驚いて暫くは声にならなかったが、ゆっくりと、噛みしめるように話し始めた。
「ありがとう、ナクラ・・・。でもそれは無理だよ」
「なんでだ?先の心配はいらない。匙の国には知り合いがいる。ほら、前に話したことあるだろ?あいつを頼れば・・・」
「そうじゃないの・・・」
ササラはナクラの腕を解くと、ナクラの身体を押し離した。
「私だけそんなことできない。私が逃げれば村にどんなことが起きるか・・・。房の国は怖い国よ。みんなに迷惑はかけられない。ナクラ・・・私はあなたが大好き。だからわかってね。貴方は、貴方のなすべきことをやるのよ」
「ササラ・・・」
ナクラは泣き始めた。
「ササラちゃん。お願い、一緒に来て。私のせいなんでしょ?私の代わりなんでしょ?だから・・・」
ササラはレイヨの方を向くと首を横に振った。
「ううん、レイヨのせいじゃないよ。私は望んで行くの。そりゃ怖いけど、殺される訳じゃないし。それに家にお金も入るのよ。まだ弟達も小さいから・・・。うち、お父さんいないし」
「・・・ササラ」
「私なんかが誰かの役にたてるなんて思っても見なかった。だから、嫌々行くんじゃないの。もう決めたのよ。ナクラ、レイヨ、本当にありがとう。さあ、誰かに見つかったら大変。早くお帰りなさい」
ササラの顔は既に巫女のそれだった。
菊池とキネリは御宮の裏で見張っていた。
「遅いな」
菊池は言った。キネリは鼻の頭をかきながら、照れ臭そうに話しだした。
「ああ・・・あの・・・さっきは悪かった。悪酔いしたようだ」
「いいよ、別に。なんか安心したよ」
「なに?なんで安心なんだ?」
菊池は思い出し笑いをしていた。
「ははは。いや、君も普通の女の子なんだとわかってね」
キネリは狼狽えながら怒鳴った。
「ふざけるな!私は・・・」
「バ、バカ!シー、シー」
菊池は唇に指をあて、キョロキョロと周囲を見渡した。
「・・・お前が変なことをいうからだ」
「変なこと?可愛い女の子を可愛いと言うのが変なことなのか?」
菊池は素直に答えた。彼は酔っていても、こんなキザな会話を女の子と交わしたことなどなかったが、不思議とキネリには余り意識せずに話すことができた。それとも、まだ酔っていたのかもしれない。
「なんで、なんでそんなことを・・・私は・・・私は!」
彼女は怒りを露わにして拳を震わせ始めた。そして拳を振り上げた瞬間、慌てた菊池はキネリの腕を取ると身体を引き寄せた。
「危ないなあ。また殴る気かい?」
二人の身体が密着したが、彼女はそれを驚きながらも受け入れていた。
「いいかい、君は可愛いんだよ。もっと自信を持つんだ。さあ、笑って。君の笑顔を見せて・・・」
その時、菊池の両眼が、暗がりの中でオレンジに淡く光っていたことに、彼女は気づかなかった。菊池自身も、自分の行動が日頃と異ることに気がついてはいなかった。
キネリは菊池を見上げると、そこには父の顔があった。
「とうさま・・・」
優しい父の微笑み。まるで共通点のない菊池の顔が父親の面影とだぶることに、不思議と疑問は湧いてはこなかった。涙がポロリとこぼれ落ちた。彼女は眼鏡を外してその涙を指ですくうと、不思議なモノでも見るように暫く見つめていたが、すぐに大量の涙が溢れ出した。彼女が幼い頃に忘れてきた感情が次から次へと止めどもなく現れ、菊池の胸に顔を埋めながら、まるで子供のように嗚咽した。
菊池は泣きじゃくるキネリの頭を優しくなでていたが、その時、彼は軽い頭痛を覚え軽く首を擦った。そこには怪しい赤い光が3つ、滲むように灯っていた。
翌日、ササラ達を乗せた山車が村を巡った。小さな山小屋ほどある大きな山車は、煌びやかに飾り付けられていて、20人ほどの男達によって引かれていた。男達は一定の掛け声をかけながら、綱を引いていった。その度に山車は大きく震えながら前へと進んでいった。山車は村の広場を、村民に見守られながら進んでいった。菊池とレイヨは人混みの中からササラを見つめていた。彼女は顔色一つ変えず前方を注視しており、もうレイヨが知っているササラでは無くなっていた。彼女は巫女なのだ。幕多羅を背負う天女になったのである。その間、菊池達がナクラの姿を見ることは結局なかった。
昼になると房の国からの使者がやってきた。礼服に身を包んでいるが軍属であるのがすぐにわかる体格や物腰だった。彼女は籠に移ると、宮司達を伴って房の国へ旅立って行った。籠に乗る瞬間、レイヨと眼があったササラは、軽く彼女に会釈をした。レイヨにはササラの頬に一筋の涙が零れたのが見えた。
「ササラちゃん・・・」
彼女の、その後の過酷な運命を知っている者は、この場に僅かしかいなかった。その一人である塩土は、遠ざかる籠を見ながら、
「娘よ、済まん。恨むならわしを恨んでくれ」
と心の中でつぶやくのだった。




