ササラ
市場は多くの店が開いており、人でごった返していた。人混みに混じって歩いていると、レイヨは沢山の人々から声をかけられていた。ここのような比較的小さなコミュニティーでは、住人全体が親しい知人である場合が殆どで、互助精神が端々に見られることが多い。逆にそうしなければ、厳しい世界の中で、小集落は生き残れないのだ。
昔の日本は、互助が日常的に行われていた。『村八分』という言葉がある。人生の大切な10の行事のうち、8つ(婚姻、出産、旅行、病気、水害、成人式、法要、新築)は村の共同体の利用を禁止した刑罰である。しかし2つ、『火事』と『葬儀』は村八分後も共同体が力を貸す。このような所にも相互扶助の精神が覗いているのが面白い。
以前は慣れない菊池の容貌に、戸惑いを見せていた村の人達も、ゆっくりとだが心を許してくれるようになってきていた。
「これあげる!」
市場を歩いていると、果物屋の子供が皮の厚いミカンを二人にくれた。『はっさく』のようだ。子供は菊池に二つ手渡すと、直ぐに店番の母親の後ろに隠れてしまった。
「この子がどうしてもあげたいって言ってね。美味いから食べな」
母親は出っ張った腹をポンポンと叩きながら豪快に笑った。菊池は母親の後ろから恐る恐る覗いている子供に手を振って挨拶をすると、店の脇に座りながらはっさくを食べた。
「おいしーい!」
レイヨは声を上げて喜んだ。はっさくはとても瑞々しくて美味しかった。
「いい村だ」
暖かい日差しを浴びながら、菊池は心から思っていた。
食べ終わって立ち上がると、レイヨは人混みを歩く、一人の女の子に目を止めた。
「あ、ササラ!」
レイヨはササラに手を振った。
「レイヨ!」
ササラはこちらに走り寄って来た。二人は手を取り合ってはしゃぎはじめた。しばらく話していると、ササラが菊池を横目で見ていることにレイヨは気づいた。
「あ、こちらが菊池さんよ」
「ああ、村長さまが仰ってた・・・。初めまして、ササラといいます」
ササラは挨拶をし、胸の前に手を立てた。菊池は彼女の手を触って返礼をした。レイヨが菊池の名字を呼ぶのは変な感じだった。
「初めまして、菊池です。同級生?」
ササラは肩までの、ややウェーブのかかったショートの金髪で、背は少しレイヨより小さかったが、後ろ姿は良く似ていた。肌はやや浅黒く、白人には違いないが中央アジア系の混じった顔付きをした可愛い娘で、レイヨよりも落ち着いた雰囲気があった。
「そう!ササラとは学校が同じでとっても仲良しなの!タカヨシも仲良くしてもらってね」
レイヨは楽しそうに説明したが、ササラの面差しはやや暗さを帯びていた。
「どうしたの、ササラ?」
「ううん。なんでもない・・・。それより、菊池さんのこと、『タカヨシ』って呼ぶんだね」
「!!・・・い、いや、これはね、タカヨシはタカヨシだから・・・」
レイヨは真っ赤になって両手を眼前で大きく降ると、懸命に訳のわからない説明を始めた。
「ははは。レイヨって昔から嘘が下手ね。あなたは大丈夫よ、多分・・・」
ササラは少し俯いたが、すぐに微笑みを菊池に向けた。
「タカヨシさん、彼女のこと、よろしくお願いしますね。この娘とってもいい娘なんです。でも少し後先を考えない所があって」
「もう、ササラったらお姉さんぶって。あなただってナクラが他の・・・」
「ストップ!ストップ!やめてよー」
ササラも赤くなりながら、両手を大きく降ってレイヨが話すのを妨げようとした。二人はジャレあっていた。確か掟で、18歳までは異性と付き合ってはいけないはずだ。一瞬、菊池の脳裏に『死のモニュメント』が浮かび上がりそうになった。まあ、女の子同士、好きな男の話ぐらいはするのだろう。しかし不純異性交遊は、即死刑だ。恐ろしい青春時代を送っている・・・。
「そうだ、少し聞きたいことがあるんだけど・・・。君たちはどうして英語を知ってるの?常世の人達は、知らないどころか、なんか使ってはいけないって感じがしたけど?」
ササラはふざけるのをやめると、菊池に向かい直して答えた。
「ああ、それは塩土様のお考えです。私たちの村では、10歳から英語の勉強があります。先生もわざわざ匙の国出身の人を雇っているんですよ」
「ああ、やな先生だけどね。あいつ、すぐに、『ミーはこんなフールなステューデンツは初めてだ』って」
レイヨは体をくねらせながら、先生のモノマネを始めた。ササラは、
「似てる似てる!」
とお腹を抱えて笑っていた。そんなタコみたいな人間がいるとも思えないが。匙の国は英語を使うようだ。敵性国なはずだが、交流はあるのだろう。距離的に近いし、大きな市場があるために、人・モノの行き来があっても不思議ではない。
「なぜ?なんで村長は英語を学ばせたいの?」
ササラとレイヨは顔を見合わせてると首をかしげた。そして二人一緒に答えた。
「さあ?」
「どんな勉強するの?」
「単語を覚えるだけです」
とササラが答えた。
「英会話は?英語で話し合う勉強とか」
「うーん、やらないよね、ていうか、あいつは喋れないよね、絶対」
笑いながらレイヨがササラの方を見ると、彼女も頷いた。
「英語を話す国ってどこかにあるの?」
と菊池が聞くと、レイヨが答えてくれた。
「さあ、ないんじゃないかな?匙の国でも英語で話すなんて聞かないよ。学校でもそんな国のことは習わないし」
塩土はなぜ英語を村民に教えるのだろうか?コミュニケーションのためではないようだ。だが彼女達が知らないだけなのかもしれないし、ここの教師のレベルが低いからなのかもしれない。
「あ、それじゃレイヨ、タカヨシさん、私もう行かなくちゃ。それじゃ、お幸せに」
ササラは微かに冷やかすようにレイヨに笑みかけると、慌てて走って行った。




