眼鏡
村人は処刑の後も何事も無かったかのように、日常の生活を送っていた。それはレイヨとて同じで、あの日の出来事はまるで夢であったかのようだった。しかし夢などではない。事実、菊池は一度広場に足を運んで確かめてみたが、そこには紛れもないモニュメントがぶら下がっていた。風がなかったにも関わらず、二つのモニュメントはゆっくりと同じ方向に回転していた。綱の捻りによるもののようだったが不気味だった。それらは首周囲の組織が腐敗して頚椎が脱臼するまで、ぶら下がったままだろう。彼はどのぐらいかかるのだろうかと考えていた。
数日後、祭りの前日になった。今夜の『御籠もり』から前夜祭が始まる。『御籠もり』は、今年の村若に選ばれた女性が御宮に入り、祝詞を奏上しながら一晩過ごす儀式である。人々はその間、夜通し酒を酌み交わして村の豊穣を祝うのだ。
「タカヨシ、村を見学しようよ。まだ行ったことないでしょ?」
レイヨが誘ってきた。彼女も祭りの準備で忙しかったようで、会うのは数日振りだった。菊池はというと、黄持の診察を受けてから、体調は少しだが良くなってきていた。彼の回術と調合してくれた薬がかなり有効だったようだ。
「そりゃいい。そうだ、キネリも誘おうよ」
しかし、自分の家で読書中だったキネリは、こちらをチラリと見ただけで一言、
「行かない」
というと、本に再び眼を落とした。取りつく島もない。レイヨはキネリの家から出ると菊池に毒づいた。
「折角来てあげたのに、あの子、本当失礼。大体、渦動師の癖に眼が悪いって変だし」
「え、そうなの?」
「そうよ。だって、渦動師で眼が悪い人なんて見たことないよ」
キネリは幕多羅についてから、菊池と接触するのは敢えて最低限にしていた。この村に入ってから、自分に監視者が付けられていることに気づいていたからだった。多分、神人だろう。共生者とは異なり、適応者の監視者に気づくには訓練が必要だが、彼女には容易だった。彼らが屋内に入って来ることはなかったが、屋外では必ず監視されていた。当然、菊池にもつけられていた。しかし逆に考えれば、神人は菊池の安全も保証してくれることになるので、彼女が下手に動く必要はないと判断したのだ。それに今の所、黄持からの命令はないのだから。
菊池達が出て行った後、キネリは眼鏡を直すと再び本を読み始めた。
彼女は孤児であった。共生者には『施し』という考えは無い。個人は各々の裁量で生きていくべきであるという『個人主義』が根強く、それは子供とて例外ではなかった。もし他人に何かをやらせたければ、やらせるだけの利益または道理を与えてやらなければならない。逆に言うと、論理的整合性さえあれば、真摯に対応してくれるのである。この様な社会のため、孤児が生きていくのは大変である。彼女が生きてこられたのは、父親が房軍の兵士で、『目久尻の乱』で戦死したためだった。房の国のような軍事国家では、遺族を厚遇するのは珍しいことではない。そのお陰で極技館まで卒業できたのだ。父親が生きていたら、とても極技館には行けなかっただろう。父を失ったのも、生き残ってこれたのも『戦』のせい・・・。彼女の人生は正に戦いに翻弄されてきたのだった。
彼女の記憶に残る父は、肩幅が広い立派な戦士だった。泣き虫だった彼女はいつも父の胸で泣いた。
「とうさま、行かないで。キネリを置いてかないで」
「どうしたキネリ。大丈夫だよ。直ぐに帰ってくるから。その時はまたお土産一杯買ってくるからね。さあ、笑顔を見せて。父さんの大好きな君の可愛い笑顔を見せてごらん」
彼女の視力が落ちてきたのは8歳の頃で、丁度父親が戦死した直後であった。母親は回療師に治療を頼んだが、視力は回復しなかった。
心因性近視
心の病である。10歳前後の女子に多く、眼に異常はないのに強度近視となり、矯正視力も出にくい疾患である。俗に言う詐病とは異なり、本人には本当に見えていない場合が多い。キネリも、朝起きると突然見えなくなっていた。それから眼鏡をかけている。診断した回療師が彼女に与えた眼鏡は、凹レンズと凸レンズを組合わせたもの、つまり度なし眼鏡だったが、眼鏡をかけると良く見ることができた。眼鏡をかけた彼女を『可愛い』と褒めてくれた母も、父を追いかけるように死んだ。
30に手が届きそうになった今でも、眼鏡をかけないと見えなくなってしまう。キネリ自身も心因性であることは理解しているのだが、完治する気配はなかった。
「ふう」
肩をトントンと叩くと、ため息をついた。そして横になると足を伸ばした。彼女は常に研療院警護隊の制服を身に着けていた。好きな服であったが、タイトスカートがきつい時もある。今がその時かもしれない。




