今を生きる
菊池達が幕多羅に帰ると、塩土は彼らを温かく迎えてくれた。その出迎えは菊池の様な特殊な人物に対するものでは無く、仲間を迎えるような親しさがあり、前のように村人達から彼を遠ざけようとする素振りもなかった。既に都に知られている菊池を今更隠す必要はなかったし、彼と接するにつれ、その人となりに好感を抱き始めていたからだった。
一緒に付き添ってきたキネリには、村の議事堂に隣接した来賓用施設の提供を申し出た。塩土の対応は当然である。キネリは研療院所属のエリート渦動師なのだ。しかし彼女はキッパリと断ると、菊池の家のそばの小さなあばら家に住み始めた。
そして幕多羅での生活が再び始まった。しかし菊池は常世に行く前とは異なり、積極的に外に出て、人と面会するようになっていた。黄持からAELウィルスが村の人には感染しないと教わったこともあるが、レイヨと接しているうちに、過去の出来事や将来の不安を考えても仕方がないと思えるようになり始めていた。
とにかく、今を精一杯生きるのだ。
不思議だが、31年生きてきて、『今を生きる』と考えたことは一度もなかった。
限りのある人生。
ヒトは取り上げられて初めて物の価値がわかるものだ。それは、子供の頃のオモチャであろうと、命であろうと違いはない。彼はこの村で命を全うしようと心に決め始めていた。
処刑の話が飛び込んできたのはそんな時だった。一報は以外にも塩土からもたらされた。老人は夕暮れが間も無く訪れようというタイミングに、一人で菊池の住まいまでやってきた。いつもの穏やかな老人とは、まとっている空気が異なっていた。
「お主は、ここ、幕多羅で死ぬ覚悟はあるかの?」
いきなりの言葉に菊池は戸惑ったが、向いに座る塩土は真摯な表情で彼を見据えていた。口調も厳しい。菊池は自分も姿勢を正した。
「はい。私には幕多羅しかないのです」
「よし。その言葉に偽りはないの?それではお前を村に迎えよう。そして、これから村の掟をお見せする。ついて来るがよい。ただし」
塩土は言葉を区切った。
「ただし、お主は村民になったのだから、村の掟には絶対に異を唱えてはならん。例え理屈に合わぬとも、例え自分の矜持に合わぬとも、だ。良いか?約束できるか?」
菊池は大きく頷いた。
「よし。それではついて来い」
彼は老人に連れられて南の森に向かった。南の森には御宮があるが、その傍にある小道を進むと広場があり、既に多くの村人が集まっていた。
「塩土様がいらしたぞ!」
群衆から声が上がると、人々は一斉に菊池達の方に向き直り、左右に分かれて道を作り出した。道の先には簡素な木製の舞台があり、その上には若い男女がうつむいて座り込み、その周囲を数人の男達が囲っていた。
「ついてこい」
彼は塩土の後に従い、舞台に向かって歩いて行った。一体なんの集まりなのだろうか。周囲から張り裂けんばかりの緊張感が伝わってきた。広場は、普段の村民からは想像もできない、暗く、険しい顔に埋め尽くされていた。
小さな舞台には四人の男達が弧を描くように立っていた。その中には真っ青な顔をして震えている若い男女が、手足を縛られ正座させられていた。舞台の後ろ側には10メートル程の間隔で太い柱が二本立ち、その間には太い横木が渡されていた。その横木には輪になったロープが2本ぶら下げられ、足元には小さな木製の台が置かれていた。
塩土は菊池に舞台袖にいるように合図をすると、一人舞台に登って中央に進んだ。そして若者の後ろに立つと、広場を険しい顔つきで見下ろした。間も無く、傍に立っていた白髪交じりの長髪の中年男が声を上げた。
「静粛に!」
男は目の細い温和な容貌だが、今は細い目を厳しく歪めていた。
「塩土さまからお話がある!」
喧騒は一瞬で消え去り、人々の視線が一点に集中した。
「皆、よく聞け!代々守られてきた神聖なる村掟は、何人たりとも決して破ってはならない!どの様な理由があろうともだ!しかし、ここにいるオイテとイオカは、村掟を破り、姦通の罪を犯した。皆よ、この者たちへの処罰は如何に!」
塩土が高らかに手を差し出すと、傍の中年男が同じように手を上げ、
「掟破りには死を!」
と叫んだ。すると群衆は喝采を上げながら、
「掟破りには死を!掟破りには死を!」
と唱和し始めた。
「死を!死を!死を!」
大衆の興奮が菊池にまで伝わってきていた。村人達の顔貌は老若男女問わず一様になり、言葉は波のように襲いかかってきた。この村人達の熱狂は異常だ。普段は優しい彼らとはまるで別の生き物である。人垣を見渡したが、レイヨやキネリの姿は見えなかった。舞台の上の男女は、可哀想に、唇まで蒼白になり、全身で震えていた。




