逃げ去る男
翌日からメキソには渦動師育成教官が付けられた。渦動師は一人で1~2個小隊の戦力にはなるし、戦い以外にも多くの使い道がある。そのため、軍としては一人でも多くの渦動師を確保したかった。
通常、渦動口は14歳ごろ迄には開き、開けば渦動師となり、多くは軍属になる。金銭的な余裕があれば、技術を高めるために修技館に入学し、選ばれた一部の渦動師は極技館に進んで奥義を極めていく。
しかし稀だが成人後に渦動口が開く者が存在し、『ノロマ』と揶揄された。渦動力には開口時期は関係しないというのが一般的な見方ではあるが、一部に『ノロマ』の方が強いと言う報告もある。また逆の意見もあり、詳細は不明である。そのためメキソの訓練は、研究目的も加味されて研療院と軍に管理された。
メキソは教官の元で渦動師としての適性を調べられた。教官は彼を研療院に連れて行き、そこで心理試験と健康診断、そして肉体的・心理的な負荷をかける試験が行われた。
渦動師の試験の中で、この負荷試験は最も過酷な試験である。心理的・肉体的なストレス下に置かれることで、渦動口が開口することは度々報告されていた。その状況を人為的に作り出し、反応を見るのである。この試験で開口することはないが、アエルの増大などを測定して可能性を推察するのだ。
メキソは約3ヶ月の試験後に部隊に戻された。心理試験と健康診断からは、確かに渦動師としての適性はありと診断されたが、肉体的負荷をかけられても、アエルの増大は認められなかった。結果としては、彼は『渦動師の適性があるが、覚醒するかは不明』とされ、月に1回の研療院での検査を行うことに落ち着いた。
しかし部隊に戻って来たメキソは、心身共にボロボロになっていた。元々言葉少なかったが、試験を受けた後からは益々喋らなくなり、体重も激減していた。
師団付き回術師は、彼に基礎訓練以外の免除と休暇の申請をしてくれた。そしてメキソ兄弟は、2週間の特別休暇を取ることを許可され、凡そ半年振りに帰郷した。
茜色の軍服に身を包んだ二人を、家族や村人は温かく迎えてくれた。そしてルキソは真っ先にオムキに会いに行った。
「オムキ!元気だったか」
「ルキソ、お帰りなさい」
オムキも彼を温かく迎えた。そして突然、彼は彼女を強く抱きしめた。
「オムキ、結婚しよう!俺は除隊なんて待ってられない。すぐに結婚してくれ!」
彼女は驚きながらも穏やかに、彼の腕から逃れた。
「ごめんなさい。あなたとお付き合いはしましたが、結婚なんて急に言われても」
ルキソは身体を背けようとする彼女の両手を握って振り向かせると、熱い視線で彼女の顔を見つめた。
「俺は本気だ。オムキ、お前を絶対幸せにしてみせる。俺と結婚してくれ」
しかし彼女は彼から顔を逸らした。
「少し考える時間を下さい・・・」
彼から逸らされた彼女の眼には、思い詰めたような光が灯っていた。
故郷はメキソの身体を日に日に快方に向かわせたが、彼の心を霧のように覆っている暗い影はまだ残っていた。この影の原因がオムキのことだということは自覚していたが、彼にはどうしようもなかった。
帰郷して3日目の夜、メキソはオムキに呼び出された。彼は帰郷してからオムキを避けていた。彼女に会うと、自分が惨めになりそうだったからだ。しかし彼女からの呼び出し状を受け取った時、彼の心は高鳴った。それは、見てはいけないものを見つけたような、同時に長年に渡り探し求めていたものを見つけたような、複雑な心境だった。そして彼の心は、彼女に会ってはいけないと警鐘を鳴らしていた。
いつかの川原である。辺りはすっかり暗くなっていた。メキソが呼び出し場所に到着すると、そこにカンテラを持つ彼女が一人で待っていた。彼女は彼を見ると、安堵の表情を浮かべた。
「よかった。来てくれて」
「なんだよ、話って。俺、疲れてるんだ。早く・・・」
「メキソ。私、ルキソに求婚されました・・・」
「ああ、そう・・・」
「貴方はどう思いますか?」
「俺?俺は別に・・・君達には幸せになって欲しいよ」
「貴方は・・・狡い・・・」
オムキは涙を流していた。カンテラの光は川面とオムキを照らすだけで、メキソの表情は見えなかったが、彼が震えているのは明らかだった。
「俺は・・・弟に幸せになって欲しい。それを望むのはいけない事なのかい?」
「私は・・・私は貴方を、メキソ様をお慕いしています」
「・・・」
彼は何も答えなかった。
「私の事、嫌いでしょうか?」
「そ、そんな訳ない。でも、ルキソが・・・」
「何故?私はルキソではなく、貴方が好きなの。どうしていけないの?」
「いけないなんて・・・ただ、俺はルキソに幸せになって欲しいだけなんだ。俺はあいつの兄貴だし・・・」
彼女は彼に抱きついた。彼は驚き、直立不動だったが、暫くすると、ゆっくりと彼女を抱きしめた。その時、彼の眼には逃げ去って行く男の影が見えた。カンテラを残して走り去る影は、誰なのかは見分けがつかなかったが、彼には弟である確信があった。
その時、彼は愛する者をその手に抱きながら、愛する者を失ったのだ。