貴賓室
「かかか。どうぞ、お座り下さい」
仏押は楽しそうに菊池に席に座るよう促した。
「早速ですが、私がここに来た目的は、記録師に会いたいからです。私の身体を調べたいならご協力しますので、会わせていただけないでしょうか?」
菊池は真剣に話したが、仏押は髭を弄りながら笑い始めた。
「ふぉふぉふぉ。なにもそう急くこともありますまい。長旅でお疲れでしょう。まずはゆっくりお休みなさい。明日、また相談することにしましょう。黄持、彼らを貴賓室にお連れしなさい。粗相の無いようにな」
話しを中断しようとする老人に、菊池はなおも食い下がった。
「で、ですが」
「かかか。まあいいでしょう。貴方がご存知のことを素直に話して頂ければ直ぐに会わせますよ」
「素直に、と言うと?」
「貴方の正体です。我々は貴方が房の人間でも、西方人でないことも知っています。そして、この世界の人間でもないのではないかと想像しているのです。どうでしょうか?」
菊池は暫く黙って考えていたが、腹を括ると、仏押に自分の身に起こったことを話し始めた。しかし、概要のみしか話さないように努めた。菊池は、自分の武器の一つが『知識』であることに気がついていたからである。
仏押も黄持も眉一つ動かさずに、氷ついたように彼の話に聞き入っていた。菊池の話が一通り終わると、仏押は笑い始めた。
「かかか。黄持、聞いたか?こんな荒唐無稽な話は初めてだ。だが辻褄はあうな」
黄持は菊池に質問をしたそうだったが、仏押はそれを制した。
「わかりました。必ず記録師にお会いできるように手配しましょう。わしの友人に面白い奴がいますから。最後に一つだけお願いがあります。くれぐれも外出は控えて下さい。貴方はこの常世は初めてですな?私が身柄を預かった以上、何かあっては私の沽券に関わります。くれぐれも勝手な行動は謹んで下さい。最近、少し物騒ですのでな。かかかか」
そう言うと、仏押は笑いながら部屋を出て行った。
菊池とレイヨは、黄持に連れられて1号館に隣接する建物に移った。周囲は背の高い塀に囲まれ、外からは覗けない構造になっていた。出入り口は門が一つあるだけで、そこには門番が立っており、茜色を基調とした軍服に身を包んでいた。
「軍が警備しているんですか?」
菊池は黄持に尋ねた。
「ええ。研療院は重要な施設ですので」
彼は微笑みを崩さずに答えた。
門を抜けると巨大な木造の平屋があった。巨大で全体が掴みにくいが、どうも卍型のような造りのようで、4~5軒の平屋が渡り廊下で中央の建物に繋がっていた。二人は中央にある本館から建物に入ると、卍の端にある客室の一つに通された。中は貴賓室というだけあって、かなり豪奢な造りだった。寝室は二つあり、広いリビングに風呂とトイレも付いていた。
「それではゆっくりとお休み下さい。後ほど食事を運ばせますので。明日の朝に部下がお迎えに上がります」
そう言うと、黄持は帰って行った。
残された二人は、豪華だが閑散としたリビングのソファーに向かい合って座った。
「ひ、広すぎるね。私、なんか落ち着かないな」
レイヨが照れながら言った。
「ああ、そうだね。先にお風呂に入ったら?」
「わ、私はまだいいよ。タカヨシが先に入りなよ」
菊池は言われるがままに、風呂に入ることにした。脱衣場には棚が並び、流しが二つ据付られていた。それは岩を削って磨いたもので、顔が写るぼど研磨されていた。棚には浴衣が数枚置かれていた。風呂上がりの着替だろう。その脇にはやはり浴衣なのだろうが、少し変わった着物が置かれていた。今思い出すと、幕多羅にも同じ着物が脱衣所にあった。袖無しで丈の短い白い着物で、生地は少しゴワゴワしていた。こんなの着たら硬くて寝れないなと思ったものだ。
風呂は石造りの立派なもので、7~8人は余裕で入れそうな広さがあった。菊池は広い湯船に浸かり手足を伸ばした。
「ふう」
生き返った心地がした。覚醒してからこれまで色々あった。しかしこうしてお湯に浸かっていると、今迄のことが嘘のようだった。湯船に口までつかり、泡を出す。汚いから湯船に口を入れるな、とよく父親に怒られたのを思い出していた。そして様々な思考が駆け巡ってきた。
自分は一体何をしているのだろう。どうせあと僅かしかない命ならば、過去の出来事など意味はないではないか。それよりも今を生きる方が大切なのではないだろうか。常に自問自答していた。しかし昔から疑問を宙ぶらりんにして置くことができない。知っても知らなくても地獄なら、せめて真実に近づきたい。それが例え暗く救いようのない真実だったとしても。




