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共生世界  作者: 舞平 旭
幕多羅
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研療院から来た男

 エナタは固定した菊池の標本を、常世の『研療院』の恩師、黄持コウモツに送り、意見を尋ねた。彼には菊池の病態についての解明は困難と判断したのだ。常世の研療院は、房の国の回療学を一手に束ねている最大の研究機関である。

 しかし1週間後に黄持が数名の回術師と共にエナタの元を訪れた時、彼は驚きを隠せなかった。黄持は穏やかな顔をした50歳ぐらいの男で、常に微笑を絶やさなかった。


「先生が自らいらっしゃるなんて、どうされたんですか?そんなに?」


「いや、エナタ君、大袈裟に考えないでくれ給え。ただ少し興味があってね。早速だが、患者を診たいのだが可能かい?」


 黄持は穏やかに尋ねた。


「いや、それがその・・・少し厄介な所に住んでますので、少しお待ち頂けますか?」


 まずい。これは塩土に申し開きができない。しかし黄持が来た以上、誤魔化す訳にはいかない。

 黄持達を自分の回療所で待たせておきと、いつも以上に汗をかきながら、エナタは塩土の所に飛んでいき説明した。


「なんだと!貴様!あれほど誰にも話すなと言ったろうが!」


 塩土は身体をわななかせながら、エナタを怒鳴りつけた。


「ゴメンなさい、ゴメンなさい。でも、まさか直接来るなんて思わなかったんだよ。でも研療院の立派な先生だよ。僕なんかじゃわからないことも、先生ならすぐにわかるから」


 エナタは汗を拭き拭き、怯えながら答えた。


 結局、塩土は不承不承ながら、菊池と黄持の面会の許可を出した。都に菊池のことが暴露ばれた以上は隠す訳にはいかない。まだ匙の国からの返事は届いていないのだ。


「迂闊だった」


 塩土は計画の修正を余儀なくされた。



 黄持はエナタと共に菊池の所にやってきた。そして彼は居間で菊池の前に座ると、穏やかに話始めた。


「あなたが菊池さんですね。私は黄持と言います。房の国の研療院の副院長をしております。今回はあなたの身体に興味があってやってきました」


 彼の声質は低く、他人を安心させる響きを持っていた。


「僕の病気についてですか?」


「病気ですか・・・。確かにそうとも言えます。ですが、あなたの身体はその病気に対して特別な体質を持っているようです。それを是非調べさせて欲しいのです」


「体質?何のことですか?」


「まあまあ、ゆっくりやりましょう。あなたはどこの生まれですか?」


「熊本です」


 黄持は首をひねると、後ろの部下に目配せしたが、彼らも知らないようだった。


「聞いたことの無い土地ですね」


「知らない?九州は?」


「なに州ですって?」


「九州です。『九つの州』と書く」


 しかし黄持は済まなそうな顔をして首を横に振った。


「済みませんが、やはり存じません。それは、ここから遠いのですか?」


「遠いですね。西に千二、三百キロメートルはあるかもしれません」


「なるほど。貴方はやはり西方人なのですね。でもそんな長い距離をどうやって?馬でも二週間じゃ着かないでしょう」


 つまり、この世界の移動手段は江戸時代なみということだと菊池には理解できた。西方人というのは塩土からも聞いていた。アジア系の人種らしい。今は西方人かもしれないと疑念を持たせておいた方が良い。


「何ヶ月もかけて徒歩で参りました。ところで貴方がたは都からいらっしゃったのですか?」


「ええ、常世の研療院から参りました」


「行ったことがないのですが、常世は遠いのですか?」


「舟で5日ですから遠いですね。幕多羅は船着場が整備されていないので、半日歩かされました」


 するとエナタが割って入ってきた。


「先生にお手間を取らせて、す、すみません。ですが、川岸の足場が悪くて船着場が作れないんです」


 エナタは汗を拭き拭き、恐縮して話していたが、黄持は笑いながら受け流していた。この黄持という男、かなり地位が高く色々なことを知っているようだ。


「今年は貴方がたの暦で何年ですか?」


「219年です」


 菊池は愕然とした。多分顔に出ていたのだろう、黄持は心配そうに加減を尋ねてきたが、菊池の耳には入らなかった。


「二百・・・げ、元号は?」


「元号?」


「いつの219年かと言う事です。まさか人類はまだ200年しか歴史がないはずはないでしょう?」


「ああ。冠年名かんむりねんなですね。王国歴です」


「王国歴・・・219年」


 菊池は自分の周囲の人々が突然遠くに飛んでいき、自分だけ暗闇に取り残されたような感覚に襲われていた。219年・・・暦はわからないが、少なくとも200年以上は寝ていたわけだ。そんなに長期間のウェットスリープなど可能なのだろうか。高橋は1年と言っていたはずだ。まさか何も調整せずにできる訳がない。必ず高橋が長期間用に調整している筈だ。奴は何の目的で自分を冷凍しておいたのだろうか。


「大丈夫ですか?」


 菊池は我に帰った。自分の周囲が急速に収縮して元に戻って来た。黄持が心配そうに彼に話しかけていた。


「あ、大丈夫です。すみません。少しぼーっとしちゃって」


 頭を振りながら、彼は冷静に思考めぐらせ始めていた。219年には驚いたが、東京感染症研究所を出た時の変貌した街並みを見た時に、100年近くの年数が経っているかもしれないという予感は持っていた。自分の置かれた世界について、まだ知りたいことは沢山ある。しかし質問や返答内容には注意を払わなければならない。自分にとって、彼らが異世界の人々であるように、彼らにとっての自分もそうなのだから。


「所で、貴方が勤めている研療院とはどんな所なんでしょうか?」


「回療院の管理、研究総括などを行う所です。西方ではなんて呼ぶんですか?」


「どんな研究を?」


「そうですね。詳しくは話せませんが、回術全般に渡ります。そろそろ私にも少し質問させて下さい。あなたの年齢は?」


「31です」


 高橋教授は代謝が100分の1に低下すると言っていた。1年に1日の覚醒も合わせると、200年経っているなら、身体年齢は3つぐらい上かもしれない。


「職業は?」


「外科医でした」


「外科医?」


「ええ。あなた方と同業かな、多分」


「面白い呼び名ですね。体調は如何ですか?」


「思わしくはありません。微熱があるので、夕方は特にだるいですね。食欲もないし、味覚も少しおかしい」


 彼等は紙に何やらメモを取っていたが、それを置くと菊池に向き直った。


「それではあなたの身体を診察させて頂けますか?」


 黄持達は菊池の診察を始めた。部下達は器具の準備や記録を行っていたが、驚いたことに全員左利きだった。

 体温36.8℃、血圧118/60mmHg、脈拍72回/分。皮膚に異常なく、樹状痕は認められない。神経学的所見に異常なし。筋力も正常。眼瞼結膜に軽度貧血を認め、眼球結膜に黄染はない。口腔内に異常はなし。頸部にも異常はない。胸部聴診にて軽度の収縮期雑音を聴取。肺音に異常はない。腹部所見に異常はなく、軽度下腿浮腫を認める。血液と尿のサンプルを取られ、便が出たら採取するように指示を受けた。


「貧血と末梢循環不全がありますね。あと心臓に少し気になる点がありますので、心臓の検査をしましょう。そこに上半身裸で左を下にして横になってください」


 菊池は言われるがままに左側臥位になった。黄持は菊池の正面に座ると、


「防性変換」


 と静かに発した。すると右肩に青い光が服の下で淡く光、前胸部を通って左肩の方まで伸びていった。そし左手を菊池の左胸に当てた。彼の掌は淡く光り、その光は波のようにゆっくりとした明暗を繰り返し、菊池の身体に浸透して行くように見えた。



 渦動師の『攻性変換』に対し、回術師は『防性変換』を行う。共に渦動をそのエネルギーに利用するという意味では同じだが、技能は根本的に異なっている。



「なんですか、それは!?」


 菊池は、いきなり目の前の男の身体が光を発するのを目撃し、驚嘆した。身体を起こそうとすると、黄持に穏やかに制止させられた。


「動かないで下さい。直ぐに終わりますから」

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