面白い所
房の国の帝都、常世。人口50万人を超える房の国最大の都市である。『水の都』と呼ばれるほど水には恵まれており、水上交通が発達している。中央を走る運河により、南北に分けられており、政は北部の宮殿を中心に行われていた。宮殿の一室に一人の兵士が訪ねてきた。探索組に所属する男である。探索組は共生者の中で特に探知能力に優れた者を中心に組織され、主に情報活動を行なっていた。部屋には長髪の若い男が大きなデスクに座り、窓の外を虚ろに見つめながら長い髪をもてあそんでいた。まるで背後にいる兵士に気がついていないかのようだった。兵士は室内に入ると、デスクの前で片膝を着いた姿勢で、若い男の態度など気にする風でもなく、淡々と報告を始めた。
「庵羅様、対象は幕多羅に入りました」
庵羅と呼ばれた男は全ての報告を聞き終えると、
「そのまま観察を続け、定期的に報告をしてください。何があっても決して手を出さないこと」
探索組の男が退出すると、庵羅は口元に笑みを浮かべた。左の頬にある大きな傷が引き連れ、爬虫類の口を思い起こさせた。
「幕多羅とは面白い所に迷い込みましたね」
それからは何事もなく数日が経過した。寝食の世話は耳の遠い老婆が通ってきてくれた。彼女に話しを伝えるのは大変だったが、料理はうまかった。そのお陰ではないだろうが、菊池の体力は徐々に回復し、体調は悪くはなかった。夜になると微熱がでるが、『寝る前』よりは軽い。解熱剤が無くても問題はないレベルだった。
彼は夕食後に床に寝そべると、腕枕をして天井を見上げた。
自分はどうなるのだろうか?
感染して2ヶ月ぐらいでウェットスリープに入ったわけだから、余命あと1~3ヶ月ということになる。今までに、かなりの数の感染者を診てきたが、発症後2ヶ月で自分のように体調に改善がみられる患者はいなかった。もしかしたら、長期の冬眠が何かしらウィルスに作用して、その性質を変化させたのかもしれない。ウェットスリープ前の記憶は残っていたが、まるで幕が張られているように、時には映画を見ているかのように、客観的な事象に感じて仕方がなかった。これもウェットスリープの有害作用なのだろうか?
目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をした。この土地は静かでいい。このままここで死ぬのも悪くはないかもしれない。
覚醒してから1週間が過ぎた。その間に会ったのは、村長とレイヨ、賄いの老婆の3名だけで、この世界の情報はまるっきり得ることはできなかった。しかし、これは彼も望んだ結果だった。覚醒して間も無くは周りの変化に惑わされて失念していたが、AELをこの村の人達に感染してはならないのだ。幸い、レイヨ以外とはそれ程密に接してはいないし、レイヨも感染期間は十分経過したが発症はしていないらしい。考えたくはなかったが、西暦世界とこの世界は、あのビルの様子からみても百年以上は離れている。すると世界は何かしらの技術でAELウィルスを克服したことになる。彼らはワクチンでも完成させたのだろうか?だとしても人との接触は可能な限り最小限にした方が良いだろう。彼女とも会わない方がいい・・・自分のためにも。
塩土はナクラを呼んだ。
「実はお前に頼みがある。匙の国の荒戒議長まで信書を届けて欲しい」
そういうと、塩土は封印された封書を取り出した。
「くれぐれも紛失などしないように、確実に渡してくるんだ」
「はい」
そう言うと、ナクラは信書を受け取り走り去っていった。
「これで引くに引けなくなった。さて、どう出るかの」
塩土は満面の笑みをたたえてナクラを見送っていた。彼は再び賭けに出ることに決めた。幕多羅の命運を決める賭けは、20年ぶりになる。しかし今回は、天安川の乱の時に比べれば、リスクは少ないが得る物が大きい。




