塩土
夕日が射した頃、塩土は菊池と小川で面談した。彼には、レイヨが菊池の相談を持ちかけてきた時、彼女の言うことが余りに突飛で、にわかに信じられなかったが、その男の風貌を見ると納得せざるをえなかった。彼の顔形は平面な作りで、髪はしっとりと濡れたような黒であり、明らかに自分達とは異なっていた。異人である。昔に会ったことがある西方人に似ているようだ。
「話は娘から聞きました。私は塩土と申します。ここの長をしております」
老人は手のひらを菊池にささげながら話した。レイヨに促されるまま、彼は老人の手のひらに自分の指を当て返礼した。
「娘?レイヨさんのお父さんですか?」
「はははは。イヤイヤ。お国では、そうは言いませんかの。私どもの村では、子供は皆で育てるものと考えております。子供は全て村の子供ですからな」
「そうですか。素晴らしいお考えです。所でここは何という所なんですか?『マクタラ』とお聞きしましたが?」
「はい。ここは房の国の西にある小さな村ですが」
「房の国?」
「ご存知ありませんかの?」
菊池は戸惑っていた。この眼前にいる『シオツチ』という老人はハーフなのか、かなり堀が深い。白髪で白い口髭を蓄えていて、少し背中が曲がってはいたが、洋画に出てくる漁師のようだ。帽子とパイプが似合うだろう。筋肉もついていて、日本人離れしている。そういえば、レイヨも日本人離れして眼が大きいし、彼女の髪は金髪だ。体型もかなりグラマーである。菊池のいた世界なら、黒髪の日本人女性の方が少なかったし、金髪も珍しくはなかったから失念していたが、こんな寂れた土地に美容院があるはずもない。
これはどういうことだ?
もしかしたらここは日本ではないのか?
それとも俺は未だにMASAMIの管理の元、夢を見ているのだろうか?
頭の中を疑問が渦を巻いて押し寄せてきた。
彼らは村はずれの空き家に向かった。塩土はガタガタいう引き戸をこじ開けると皆を家に招き入れた。そしてかまどに火をいれると、家の雨戸を閉じて回った。
「ご不自由だとは思いますが、こちらの事情もわかってくだされ。お疲れでしょうから、今日はゆっくりお休みください。賄いの者は後で参らせますのでの。ほれレイヨ、行くぞ」
塩土は嫌がるレイヨを促してさっさと出て行ってしまった。
菊池は一人取り残された。覚醒してから一人になるのは初めてだったため、不安が募ってきた。ここは平屋の一軒家である。建材は全て木製だった。建てられてからかなりの時間が経過しているようだ。室内はややカビ臭いが十分に清潔だった。天井板は無く、太い張りを直接見ることができた。こんな立派な柱木が日本にあるとは驚きだった。
彼はそのまま寝転がると瞼を閉じた。様々な考えが浮かんでは沈み、沈んでは浮かんできたが、自分でも気づかないうちに板敷の床の上で眠りに落ちていた。
塩土は菊池と別れると、レイヨと共に彼女の家に向かった。
「わかってるとは思うが、このことは両親にも言うんじゃないぞ。それが彼のためだということはわかるの?」
「はい」
彼女は頷いた。
「彼には理解者が必要だ。お前は彼の家に毎日行ってあげるんだ。そして彼を助けてあげなさい」
彼女は何を言われるか緊張していたが、塩土の言葉を聞くと満面の笑みを浮かべた。
「え?よろしいんですか、塩土さま!わーい!任せてください!腕によりをかけて、お料理もしてあげます!」
彼女は塩土の腕を取ると踊り始めた。
「いやいや、お前は料理などしなくてもよい。お前の料理は、去年食べて死にかけたからの。彼に食べさせるわけにはいかん。ちゃんと賄いの婆さんを行かせるから、話し相手だけしてなさい」
それを聞き、レイヨは踊るのをやめ、
「塩土さま、ひどい・・・」
と言って下を向いてしょげてしまった。
レイヨの両親は娘の帰宅を心から喜んでいた。塩土は両親に、レイヨのことは自分にしばらく任せるように諭すと、レイヨの家を出ていった。レイヨの両親には謝らなければなるまい。娘を差し出さなければならない親の苦悩を、彼は痛いほど理解ができた。しかし諦めてもらうしかない・・・。彼ならわかってくれるじゃろう。春の空は既に暗くなり始めていた。塩土は美しく変化していく空を見上げると大きな溜息をついた。
「明日から忙しくなるの」




