囮部隊
雄大な坂東湖の湖畔に、今は使われていない古い小さな舟小屋があった。
トヒセ達がそこに近づくと、中からは楽しそうな騒ぎ声が聞こえた。彼女達の担当する勢子が宴会をしているのだ。
彼らは近隣の農民ばかりである。森主猟りの勢子と偽って雇用されていたので、ピクニック気分だった。
当然、適応者だけでは森主猟りは十分危険だが、今回は渦動師が加わっているのだ。そして賃金が高く、加えてアルコールが振舞われていたことも、彼らから慎重さを取り去っていた。
囮部隊の6人の渦動師は、2人1組になり、それぞれ20人弱の勢子を率いる。
ここは囮部隊の右翼、南端に位置していた。
舟小屋の側には房軍の兵士が数名立っていた。適応者達をここまで連れてきた者達だ。彼らは作戦には参加しない。
トヒセ達を見ると兵士達は、自分の胸を両手で隠すような動作をした。手は開かれて親指は頭、人指し指は足の方を向いている。そして伸ばしている左右の親指同士、人指し指同士の指先を合わせて胸の真ん中に『凧型』を作って頭を下げた。この国の敬礼である。軍に特有のものではなく、一般にも使用されている。
反対に、片手のひらを相手に見せて、右手のひらに触ってもらう挨拶もあるが、これはかなりフランクな方法である。
トヒセ達も凧型を作って返礼した。
「ご苦労様。後は私達がやります。帰隊してください」
「はっ!・・・しかし、今回の作戦はなんなんですか?いくら命令でも、任務遂行中に飲酒を許可されるなど、まるで前線の陣中のような振る舞いではありませんか」
「作戦はお話できませんが、これも指揮官の懐の深さでしょう」
その時、トヒセの傍に立っていた男が兵士を睨んだ。
「お前らには関係ない。余計な詮索などせず、とっとと原隊に復帰しろ!」
兵士達は顔色を変えて再敬礼すると、逃げるように去っていった。
「トヒセ、中に入って適応者達を少ししめてやろうぜ。いくら指揮官のご命令でも、酷すぎるんじゃないか?」
スモニが少し意地悪そうな笑みを浮かべた。スモニはトヒセより2つ年長だったが、階級は等しかった。男の割には線は細めで、戦士よりは文士のように見えた。
「私はいい」
トヒセは俯いた。
ツインテールにまとめた長い髪が揺れた。
皮鎧の下から覗く茜色の軍服は、ミニに改造してあった。今日のために自分でまつったが、上手くいったと思う。
よほどの事をしない限り、制服の事で上官に文句をつけられることはない。大体、指揮官からして仮面にマントだし、副官も胸を強調した派手な軍服を着ている。
これは渦動師に女性が多いことや、共生者の気質が表れている事例である。
対するスモニは、支給された軍服と鎧をそのまま着ていた。
「なんでだよ。奴らが上手くやらないと、俺たちの手柄にならないんだぜ」
「貴方にまかせる」
トヒセは小屋の中には入らず、湖に向かって歩いて行った。
呆れた顔のスモニは、暫くトヒセを見守った後、蹴破るように扉を開けて小屋に踏み込んで行った。
「お前ら!注目しろ!指揮官様のご到着だぜ!」