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共生世界  作者: 舞平 旭
探索
52/179

地獄

 二人はレイヨを先頭にダクトを進んだ。ダクトは四つん這いでも厳しい程のスペースしかなく、辛うじて肘が伸ばせるだけの高さしかなかったため、二人は這うように進むしかなかった。


「タカヨシ、前見ちゃ嫌だよ。絶対見ないでね」


「ああ、分かってるよ。それに薄暗いから大丈夫だよ」


 前を見ると、ぼんやりだが彼女の下着が見えていた。彼はなるべく見ないように、下を向きながら進んでいった。


「腕は大丈夫?」


「ええ。なんとか」


 怪我した腕で這って進むのはかなりきついはずだが、彼女は腕を庇うようなそぶりは無かった。腕はもう大丈夫なようだ。

 しばらく進むと行き止まりになった。四角い格子がはめ込まれているようだった。


「タカヨシ、行き止まりだよ」


「どれ、見せて」


 菊池がそちらを見ようとすると、彼女が騒ぎだした。


「キャー!だめ、だめ。見ちゃだめって言ってるでしょ!」


 彼女は片手でスカートの裾を押さえ、お尻を隠すような動作をした。


「でも、見ないと分からないよ。足を伸ばして、なるべく身体を床にくっつけて低くしてよ。そうすれば白い下着も見えないよ」


 レイヨは言われた通りに身体をのばして床に這いつくばった。それでも菊池の身体が通るのにはきつかった。彼はゆっくりと彼女の上に覆い被さるように前に進んだ。


「ごめん。すこし窮屈だけど我慢して」


「あ!」


 彼の顔が腰に近づいたとき、不意に彼女の腰が上がり、彼は頭を思いっきり天井にぶつけた。


「いてて!なんだよ!危ないじゃ・・・」


「なんで白って知ってるのよ!」


 彼女が後ろを振り向いた。


「何が?」


「何がじゃない!私の下着の色!見たんでしょ!」


「おい、何言ってんだよ、こんな時に」


「見たんでしょ!」


「ああ、でも少しだけだよ。本当に少しだけ」


「ひどい・・・お嫁さんに行けない」


 彼女は泣き始めた。


「ごめん、ごめん。本当に少ししか見てないから。大丈夫だから。約束するから」


「本当?」


「ああ。本当だよ。それよりも早く格子を見せてよ」


 彼女は機嫌を治したのか、ニコニコ微笑むと、再び姿勢を低くした。


「どうぞ、タカヨシ」


「本当に・・・頼むよ」


 菊池はゆっくりと彼女の上に乗っかっていった。彼女の肌のぬくもりが服越しに彼に直接伝わってきた。彼女の体臭も彼の男をくすぐるには十分だったが、必死に欲望に抵抗した。

 彼は、彼女の肩越しに格子を見た。UPLA(Ultra Low Penetration Air Filter)フィルターである。クリーンルームに使用されるフィルターで、HEPA(High Efficiency Particulate Air Filter)フィルターよりも集塵力を強化したフィルターだ。フィルター自体は脆いが、それを補強している格子がやっかいだ。しかし幸いなことに、格子は溶接ではなくネジ留めだった。


「これなら大丈夫だ。ネジを外せばいける」


 その時だった。


「あ、いや・・・息・・・だ、だめ・・・」


 菊池の下から艶かしい声が聞こえていた。彼の息が彼女の耳に吹きかかっていたようだ。彼女は身をよじらせながら、彼の息から避けようとうごめいていた。彼の男は最後の砦を破壊され、その存在感を彼女に示そうとしていた。彼女もお尻に当たる違和感に気がつき悲鳴をあげた。


「きゃー!いや、いや!」


 彼女は菊池から逃れようと、頭突きをしてきた。


「ぐあ!」


 彼女の後頭部が彼の鼻に激突した。彼は急いで後ろに下がった。


「レイヨ!ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。君が変な声を出すからつい・・・」


「いや、タカヨシなんて知らない!」


「そんな。本当にごめん。もう絶対にそんな気持ちにならないから。本当に全然違うんだ」


 菊池が懸命に謝罪すると、彼女もゆっくりと落ち着いてきた。まさか、彼も換気ダクトの中で女の子に30分以上も土下座する事になるとは考えても見なかったが。



「いい、今度変な事したら、絶交だよ」


「うん。絶対しない。だからもう一度やらせて」


 彼は袋から工具を取り出して、再びレイヨの上に乗っかった。


( a + b )2 = a2 + 2ab + b2、( a - b )2 = a2 - 2ab + b2・・・


 やはり因数分解だよな。

 まさかこの年で、頭の中で因数分解の公式を唱えてリピドーを封じ込めなくてはならないとは。彼は彼女の肩越しに腕をのばして格子のねじを外していく。


「ふう・・はあ、お、重い・・・は・・・早くして・・・我慢できない」


 レイヨは下でふうふう言っている。


 わざとか?


 この娘は僕をからかっているのではないのか?

 因数分解はだめだ。次は三角関数でいこう。

 彼はこの世界に来て初めての地獄を味わっていた。

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